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【10】
……かわええのぅ。
私はぼんやりとシェーン様と初々しくダンスを舞う女性たちを見ながら、自分も16の時はあんなに初々しかったんだろうか……と考えていた。
……あぁ、去年もダンスが酷い状態で、シェーン様の足を死ぬほど踏んだわ。
だって何度も無理だからと断ったのに、
「婚約者とデビューダンスも踊らないなんて」
と頑なにシェーン様が出ろと言い張ったんだもの。
「僕は頑丈だから全く問題ない」
って言うから一番最後に入れて貰って踊ったけれど、次の日土下座するつもりでお詫びに行ったら、
「全然平気だから気にしないでいい」
って何でもないように答えたけど、歩く速度がカタツムリのようだった。
シェーン様は、顔は何故かいつもしかめっ面だったり仏頂面だったり未知の生命体に襲われたような険しい顔をしているけれど、ああ見えてとても心が広く思いやりがあって優しいのである。
ダンスも上手い。
更には素晴らしくイケメンだ。
人間性込みでチートってすごいわね。
表情筋さえ自在に操れれば限界突破だろう。
あれだけ念押ししたせいか、ダンスをしながらも辛うじて不機嫌には見えないレベルの無表情をキープしている。
もう少しキラキラパウダー的な笑顔を振りまくとか何とか出来んものかと舌打ちしそうになるが、私も全開の笑顔というシェーン様を見た記憶がない。
ない袖は振れないのは、まあしょうがあるまい。
今の無表情Cでもレア度は高いのだ。有り難く思いなさいよお嬢さんたち。
ちなみに私が勝手に区分けしているだけだが、無表情Aはかなりご機嫌斜め、Bは普通、Cはそこそこ機嫌のいい状態である。
Dのかなりご機嫌モードでも口角のみが少し上がっているだけの状態で、一般の人が肉屋にいって「ちょっとオマケでもしてもらったのかな」と感じる程度。
年に1度か2度見られればいい方である。
シャンパンのお代わりを頼もうとして、シェーン様の飲みかけのワインが置いてあるのに気づいた。
ほぼ減ってないのでグラスの半分以上はある。
私は昔から勿体ないオバケを背負っている人間であるからして、物を粗末にするという行為がなかなか出来ない。侯爵家でお金には困ってないのだが、前世からの性格的なものだろう。別に悪いことだとは思ってないのでこのオバケと別れる予定はない。
(んー……まあワイン一杯位なら大丈夫ね)
私はナプキンで軽くグラスを拭うと有り難く頂く事にした。
少々口に含むと、えぐみもなく飲みやすい。
話し相手もいない状態ではダンスを眺めながら飲むぐらいしかやることがないのだ。
可愛い子もいいけど、早くミーシャが出ないだろうか。もう8人は踊ったと思うのだけれど。
シェーン様は、見た目にさほど変化は見えないが、元から表情に変化が乏しいので、もしかするとかなり疲れている可能性もある。
既に1時間近くはダンスしているのだし。
ミーシャ、早く……と思っていたらようやくミーシャがシェーン様の前に出て淑女の礼を取った。
軽やかなステップで会場を彩る2人は恐ろしく絵になっていた。周りからも注目を浴びている。
そうでしょうそうでしょう。
ミーシャは女性からも人気が高くてガチ天使と呼ばれていた程の自慢の子である。
さあさあフォーリンラブはどうよ。どうなの?!
私はじいっ、と食い入るように眺めていたが、シェーン様は先程と変化は見当たらない。
何かを語りかけている気配すらない。
え?え?と思っているうちに、ダンスが終わってミーシャが下がるではないか。
次の子の手を取りまた何事もなかったかのようにシェーン様は踊り出した。
手を離しがたく2曲目を踊る訳でもなく、何かを話す訳でもなく。ガチ天使のミーシャをその他大勢と同じ扱いにしたのかしら?ねえ、そう言う事なのシェーン様?
「……インポね。絶対インポだわ」
私は頭を抱えた。
いくらインポだろうとも困るのよミーシャと恋に落ちて貰わないと!
私はフラりと立ち上がる。
接触するつもりなどなかったが、このまま恋愛フラグが立たなければ私の命はどうなるか分からない。
ミーシャが誰狙いなのかも分からないし、こうなったらさりげなく顔見知りから友人にステップアップして、お相手を探りだすか、それともシェーン様が屋敷に来るタイミングで何度かバッティングするようにして、強制フォーリンラブしてもらうかしかないわ。
でもあんな可愛いミーシャに声をかけられるのかしら私。私の評判を聞いていたら避けられそうだし。
もしそうだったらどうすれば。
私は足を庇う演技は忘れずに、トイレに立つ振りをしながらミーシャ捜索に出るのだった。
◇ ◇ ◇
「……貴女、目上の者への礼儀も知らないのかしら」
(んん?)
耳に入ったとげとげしい声に足を止めた私は、イヤな予感がして声のした方にそっと近づいた。
柱の陰から覗くと、人気の少ない中庭でミーシャが数人のデビューダンスを踊っていた子に取り囲まれていた。
なんかデジャビュ……。
似たようなシーンを何処かで見た気がして目をつぶる。
──あっ!あの縦ロール、思い出したわ。
名前は忘れたけれど、私の取り巻きになる予定だった子たちだわ。
どうも、平民上がりという噂は思ったよりも早く回っていたたらしく、もやっとした感情が湧いていたところ、この素晴らしく可愛いミーシャがダンスを終えて下がる時に少し肩が当たってイラついたらしい。
「あ、あの、ですが謝ったではありませんか」
ミーシャが少し怯えたような表情で縦ロールに答えた。いやー顔も綺麗だと声も美しいのね。鈴を転がすような声ってただのイメージだと思ってたけど、こういう声をいうのねぇ。
「元々平民ごときがぶつかるのも許せないけれど、シェーン様と踊るのはもっと許せないわ。貴女とシェーン様とは天地ほどの身分の差があるの。お分かり?」
「でも、デビューダンスはシェーン様が踊って下さる決まりと伺っております」
「別に他の男性と踊っても宜しいのよ?貴女のご身分に沿ったレベルの方も沢山いらしていたし」
「そうですわねえ」
「図々しいにも程があるわ」
取り巻き軍団が迎合するが、縦ロールは伯爵令嬢だったけど、あんた達は子爵令嬢と男爵令嬢じゃなかったかおい?
いくら元が平民とは言え、伯爵家に入ったのだからミーシャは君らより格上だぞ。
「ちょっと顔がいいからっていい気にならないで頂きたいの。所詮付け焼き刃のマナーしかない淑女もどきなのだから」
「私はいい気になってなんか……あっ!」
いきなり平手打ちをされ、頬を押さえるミーシャを見て、天使に何て事を!と私もカッとなって縦ロールに向かって駆け出した。
「こんな所で何をしてらっしゃるのかしら騒々しい」
「ル、ルシア様!……」
縦ロールが目を見開いて私を見た。
そーよ、さっき親とヘラヘラ挨拶に来たから私の顔は分かるわよね?
「貴女、大丈夫?」
「は、はい」
私はミーシャを見て、そっと頬に当てていた手を下ろし打たれた辺りを確認する。
うん、私が平手打ちをしたらこんなもんじゃ済まないだろうけど、大抵のお嬢様は体を鍛えるなんて事はしないから力も弱い。音の割りには大した腫れもないから明日には赤みも引くだろう。
「あの、ルシア様、この子が私の肩にぶつかって……」
縦ロールが慌てて言い訳を始めた。
「あら、いつからこの国では肩がぶつかった位で女性の顔を叩いても良いと言う法が出来たのかしら?
それにそこの貴女と貴女、確か子爵と男爵のご令嬢だと思ったけれど、伯爵令嬢に対してこのような扱いをして何事もないとお思いなのかしら。
最低限のマナーもお分かりにならないの?」
「も、申し訳ありませんでした!」
「ジェシカ様に失礼な態度を取られたので私たちもつい腹が立ってしまって……どうかお許し下さい!」
あー、そういやジェシカって言ってたわ縦ロール。
「謝るのは私ではなくてよ?貴女……お名前は?」
「ミーシャ、ミーシャ・カルナレンでございます」
うん知ってる。
でも聞いてもないのに名前呼ぶ訳にもいかないからね。ほんとごめんね。
「ミーシャ・カルナレン伯爵令嬢に謝罪なさい。下手したら嫁入り前の女性の顔に傷を残すところよ?
謝罪なんかでは本来許せるものではないけれど、──ミーシャとお呼びしても?」
「あ、ええ」
「ミーシャもせっかくのデビューの日にケチを付けたくないでしょうから、ここは謝罪を受け入れて下さらないかしら?私ルシア・バーネットが立会人になるわ」
まぁ許せないってんならバックにつくけど、色々と面倒じゃない?
「そうですね。大事にしたくはございません」
ミーシャは頷いた。くっそ可愛いなほんとに。
「……も、申し訳ございませんでした、ミーシャ様」
「申し訳ございません」
「心からお詫び致します」
3人それぞれ血の気が失せたような顔で頭を下げた。
「ミーシャ、宜しいかしら?」
「ええ。誤解がとけたなら嬉しいですわ」
そそくさと消えていく3人と入れ違いになるようにシェーン様が、
「ルシア、こんなところにいたのか。捜したぞ」
と早足でやって来た。
「……こんなに歩いて、足は大丈夫なのか?」
と聞いた瞬間に(やべ、忘れてた)と思いうずくまった。
「化粧室から戻ろうとして、トラブルを目にしたので思わず飛び出てしまいました。アルコールで痛みが鈍っていたようですが、またジンジンと……」
と足首をさすった。
「それは良くないな。悪化するといけないからもう送って行こう。ほら腕に掴まれ」
「はいすみません。……ミーシャ、ちゃんと帰ったら頬は濡れタオルで冷やしてね」
「ありがとうございます。助かりましたわ」
「いいのよ、私は何もしてないから」
私はシェーン様の腕に掴まると、足を庇う演技をしながら馬車に戻った。
──とりあえず、とりあえずはミーシャに顔と名前は覚えて貰ったわ。
後はどこかのお茶会で偶然を装って親しくなる方向に持っていかなくては。
私の道はまだまだ地雷源の上である。
なんだかドッと疲れた。
「大丈夫か?」
心配そうに私を見ているシェーン様に、
「大丈夫ですわ」
と答えたものの、さっき飲んでいたワインが回ってきたのか睡魔が半端ない。
「少しだけ眠ってもよろしいですか?少々疲れてしまいまして」
「ん。勿論いいぞ」
シェーン様が向い合わせから隣に座り直し、
「ほら、もたれる物がないと眠りにくいだろう?」
と私の頭を自分の肩に寄せた。
「いえそんなっ」
「いいから」
グイグイと頭を押されている内に、もう睡魔が抗いがたくなってきた。
「それでは、お、言葉に甘えて……」
目を閉じるとあっという間に眠りに落ちてしまった。
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