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 私も歴史ある名家の侯爵令嬢という肩書きを背負っているので、最低限マナーや教養……そしてこの国だけではなく周辺の国々の主要な産業や特産物も把握しており、各国の貴族名鑑丸暗記などという離れ業もやってのけるスペックはある。    だてに前世で石橋を叩きまくって渡るようなデータ収集型オタクだった訳ではないのだ。    いつまでも婚約破棄をしてくれないシェーン様のせいで【お妃教育】などという、平民になるか領地でスローライフを目論む私には一生役に立たないような勉強もさせられたが、全て記憶力の高さで乗り切った。  ありがとう前世の私!      ……ただ1つ、記憶力と運動神経だけではどうにもならないものがある。      それが『社交ダンス』である。        ー ー ー ー ー ー ー ー       「……ルシア様、私の足は絨毯でもMっ気のある男のケツでもございません」   「ちょっと品がないわよ……ぜっ、ぜっ、分かってるのよそんなことはねっ、まるっと承知しているの、よっ!  ……あ、また踏んだわ、ほんとごめんなさい。  ねぇフェルナンド、今思ったのだけど、貴方の足の運び方が問題なのではないかしら? 私ね、天啓が降りた気がするの。  だっておかしいじゃない?  全部ステップは記憶しているのに、この無駄1つない筋肉が私を裏切る訳がないもの」   「……っつぅ!いえ私は、ルシア様以外にこんなに足を踏まれた事も足運びが悪いと指摘を受けた事もございません。リズム感はどちらへ置き忘れたのですか?」   「元々持っていた記憶すらあやふやだわ。  ほらあれよ、以前肺炎を起こした時、生き延びた代わりに脳が大切に保管していた基本性能をリセットしたんじゃないかしらね。高熱って怖いわねー」        来週、シェーン様とダンスパーティーに出席する事になった私は、執事のフェルナンドを相手に必死でステップを踏んでいた。    どうやら私にはリズム感というものが欠如しているらしい。ダンスそのものも大の苦手である。    まあどのご令嬢もコンテストで優勝を競うレベルのダンスが出来る訳ではないと思うが、この国の王子と踊るのに、お迎えが近いバー様のようなカタカタした動きではシェーン様に恥をかかせてしまう。    そもそも何故こんな高いヒールを履かなければならないのだ。ペタンコ靴があれば私だってもっとマシに踊れる筈だと思うと腹立たしい。      本来なら出来る限り参加したくなかったダンスパーティーに出ようと思ったのは、ひとえにヒロインであるミーシャ・カルナレン会いたさである。    今回は王宮主催なのでかなり大規模だ。    16になった乙女たちもデビュー戦で何人も来る。  そこに1年遅れ……17歳になったミーシャがとうとう出るのだ。    もちろん、下手に接触するつもりはない。    後々、このまま婚約破棄出来てない状態でシェーン様と出来ちゃった場合に、    『社交界デビューの頃から快く思ってなかった』    だの、    『わざと恥をかかせて楽しんでいた』    だのと、むやみに冤罪をかけられる可能性は出来る限り排除したい。      ゲームではヒロインはこのパーティーでシェーン様と出会う。デビューの子たちは全員、シェーン様が一通り踊って祝いの言葉をかけるのだ。  そこで、ヒロインの美しさに恋に落ちる。      その時、悪役令嬢である婚約者は何をしていたかなど何の説明もなかった。    当然だ、当時ゲーマーである私はヒロイン視点で攻略対象から逆ハー状態で美青年たちにチヤホヤされて浮かれていたのだから、操作も出来ない婚約者の様子など覚えている訳がない。    テキストも後半は流し読みしていたから説明があったのかすらも記憶にない。      情報量が少なすぎるが、ヒロインと言葉も交わした事がない状態で虐め抜くもクソもないので、遠くから眺めて様子を伺うのが最善策である。      という訳で私は何があっても行かなくてはならない。    だが、毎日毎日練習しても一向に上達しない。  フェルナンドの足に連日攻撃しているだけだ。    一体どうしたら……ん?攻撃?なるほど攻撃か……。    私は日課の腹筋と腕立て伏せを終えると屋敷のエントランスに向かった。    じっと一点を見つめると頷き、ジジを呼んだ。   「はいルシア様、何か御用でしょうか?」   「ジジ、お願いがあるのよ。これ、私の足に思い切って落としてくれない?ほら、自分でやると反射的に避けちゃいそうだから」    目の前の大きな花瓶を指差した。   「──は?」   「怪我をしたいのよ。ダンスを踊らなくて済む理由が欲しいの。あ、勿論貴女に責任がない事は私がきっちり説明するから安心して。さ、一息にお願い!」    私は怖いので目を瞑った。   「無理です!そんなこと出来ませんてばっ!」   「本人がいいって言ってるのよ。ノープロブレムよ」   「……何がノープロブレムですか。問題しかないでしょうが」    背後から聞き慣れた声が怒りを乗せて聞こえてきたので振り返る。   「あらフェルナンド。丁度良かったわ、水の入った花瓶はジジじゃ重いものね。貴方でいいわ。  デビューイヤーのご令嬢たちとも踊るシェーン様にご迷惑をかける訳にはいかないのよ。さささ」   「さささ、じゃございませんルシア様。  何としてでも愛するシェーン様と一緒にダンスパーティーに行きたいというお気持ちは分かりますが、何も本当に怪我をする必要はないでしょう?  単に足首にでも包帯を巻いて、痛そうに歩けばいいだけではございませんか。骨折でもしたら運動もお休みしなくちゃいけませんし、ルシア様の大好きな裏切らない筋肉がみるみるお別れを告げますよ」   「──まあ、愛するシェーン様云々はともかく貴方頭がいいわ!怪我をした後の事までは考えてなかったわ。  筋肉は唯一の友達なのに、危うくそれすらも失うところだったわ。ありがとうフェルナンド」    私はガシッとフェルナンドの手を握りしめた。      よし、これでダンスパーティーの準備は万全だ。          
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