疫病神は空を噛む

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 そして祖父も三年前に逝去。この広すぎる家に一人で暮らすことにも慣れた莉々子は、中学3年次になって初めの頃、高校に入学するか否かでひどく悩んだ時期があった。中卒でも働くことが許された職場もある。学歴が無ければその分手に入る金も少ないが、学費のことを考えればまだましかもしれない。 そして記念受験のみにしようとしていた夏休みのある日、何を思ったか莉々子は両親の部屋に入った。そこにはまだ残されている生活感と共に、手を付けられていなかった遺品の数々が仕舞われている。莉々子が徐に開いた段ボールの中には、一昔前の携帯電話が顔を覗かせていた。ダブルサイズのベッドの脇に置かれたままの充電器はそれ用の物で、使用可能かどうかは不明だったか電源を入れてみる。すると画面は明るくなり、線を差したままの状態であれば何とか作動した。メールフォルダを見る限り、母の携帯のようだ。父とのやり取りが一言一句取りこぼされずに残っている。 「…お母さん、絵文字ばっかりじゃない」  儚げに笑いながら、莉々子は写真フォルダも開いてみる。古い物から順に見ていくと、最も下にある最新の物を見て莉々子は手を止める。そこには、子供だった莉々子に伝わっていなかった、〈事故〉の真実の一片が記録されていた。  後部車両の助手席に座る、ボウガンを持った若い男。車が横転する際に母はカメラを作動したままだったのだろう、映像は歪んでいるが、両親の声がしかと録音されている。 『七緒、捕まってろ!』 『雄介さん、駄目よ!莉々子が一人になる!』 『親父に今メールした。莉々子を頼むって』 『莉々子、莉々子…!』 『あいつら、何でこんな…』 『…七年前……って…落ち…』 『かん……けいた………』  鉄と鉄同士がぶつかり合うような音でかき消された声を探していると、鼓膜に直に触れてくるような爆発音が響く。思わず携帯電話をベッドの上に放り投げ、莉々子はその場で腰を抜かした。  警察から聞かされていた〈突然タイヤがパンクしたことによる不運な事故〉という説明が虚偽であると気が付き、数年ぶりに莉々子は頬に涙を伝わせる。あぁ、両親は自ら死に近づいたのではない。第三者が強制的に彼らの幕を閉じたのだ。遺品として親族に預けられた物の中にあった証拠を見つけられず、警察も事故だと済ませたのか。しかし写真を見ると、パンクと言われたタイヤの傷の原因は、男の持つボウガンだと考えられる。現場検証を行えば他者の手が加わっていることに気が付くはずだ。それでも彼らの死は偶然の物とされた。つまり、少なからず共犯者が存在しうるということになる。  その当時から、莉々子が信頼できる警察の人間は一人しかいなかった。携帯電話を片手に、日焼け止めも塗らず日傘も差さず、莉々子は交番へ向かう。そこで風鈴の音に耳を傾けながら書類にハンコを押している男の視界に入る位置で足を止めた。 「どうした、神田。また疑い掛けられてんのか」  祖父が亡くなってから親族が立て続けに倒れるようになり、莉々子のせいではないかと陰口を言われるようになってからというもの、その補導の担当となっていたのが三浦であった。それらが全て親族たちの腹いせであることを理解していた三浦は、補導という名目で莉々子にアイスを買い与えるのを日課としていた。しかしその日の莉々子の表情に普通ではない何かを感じ、冷凍庫に伸ばしかけていた手を止める。 「三浦さん、力を貸してください」  今までの第一声は、〈いつもすみません〉だった。そうではない、初めて大人を頼った莉々子の瞳に、三浦の警察官の熱意が火を帯びる。手渡された携帯電話から、莉々子が見つけた写真と動画をパソコンに取り込む。三浦がそれと同じ型番の携帯電話を使用していたことも救いの一つであった。 「…これは、只事じゃないな」  小さな交番で仕事をしている自分の手には余る一件だと分かり、三浦は本庁へ外線を繋ごうと受話器を手に取る。そして莉々子は番号を押そうとする三浦の手を止める。 「事件を事故にした人がいるはずなんです。三浦さんが、絶対に信用できるという人にだけ連絡してもらえませんか」  莉々子は早急の事件解決を望んでいるわけではなかった。たとえ長丁場になったとしても、両親の命を奪った者は全員裁かなければならない。莉々子は既に、自身の残された人生を全て両親に捧げる覚悟ができていた。昔から子供らしくない少女だと思ってはいたが、こうも〈予想通り〉育ってしまうと本来歩むべき道に戻してやる術が無くなる。この街で娘のような存在でもある莉々子の綺麗な手は護らなければ。その義務感もあり、三浦は本庁にいるたった一人の警察官にのみ連絡をとった。 「俺が本庁第一課にいた頃、一緒に唯一御上に逆らってた人だ。その人に当時の捜査内容を探してもらうよう頼んでおく。俺はもらったデータは一旦削除した。この携帯電話は大事な証拠だ、大切に取っておけ」  感謝を告げる莉々子の瞳は潤まない。その奥に薄ら感じ取れる殺意は、警察官だからこそ見える本人も気付いていない真の心だろうか。 「三浦さんには本当助けられてばかりです。もう私の周りに頼れる人はいませんし、ここ数年で会った親族が悉く危篤状態にあります。なんだか私、疫病神みたいですね」  その微笑みに掛ける言葉は無い。彼女自身がそれを拒絶しているのだから。夏の逆光で影が濃くなり、更に少女の存在が遠くなる。三浦はそれでも手を差し伸べなかった。彼女はきっとそれを握り返さない。あくまでも無垢〈だった〉少女にこれ以上階段を駆け上らせないためにも、三浦はその日から莉々子との間に太い一本の線を引いた。
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