疫病神は空を噛む

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 それ以降、意外にも周囲から疫病神と呼ばれるようになる時期が早く訪れ、莉々子は正味驚いている節があった。危篤になっていた親族の殆どが墓入りし、それらの葬儀全てに莉々子は出席していたが、それが災いした可能性が高い。近年生まれた子供には親が〈神田莉々子は疫病神だ〉と言い伝え、生き永らえている老人は仏に祈りながら〈疫病神が自分に微笑まないように〉と手を合わせ続けた。  天井のその先にある空に手を伸ばしながら、莉々子は過去に向けていた目を開く。ここ約二年間で得た情報は無に等しかった。母の撮影した写真に車のナンバーは写っておらず、男の顔も分析が難しい。だが二日前、三浦からその件に関しての連絡が入った。彼が信頼を置いている警官が、動画の音声の解析ができたのだという。交番勤めと未成年の少女が突然警察本庁へ赴けば周囲の視線をまとめ買いしてしまうことを考慮し、その警官が私服警官を装いこちらへ向かっているとのことで、まさにそれは今日だった。  まだまだ夏の真っ盛り、莉々子は自身が持つ記憶全てを携えて交番を訪れる。手を振る瀬田に会釈をし、三浦と共に奥の休憩室へ入る。そこには既に白髪頭の老人が座っていた。外見的には定年間近といったところか。 「…大きくなったな」  その顔に莉々子は見覚えがあった。霊安室で自分にランドセルを手渡した警官。豆だらけの武骨な手の感触が蘇る。 「まだ、現役でいらしたんですね」  他人に向ける笑顔と同じものを浮かべる莉々子に、老警官は目を見開く。そうか、この子はそう育ってしまったのか。何もできなかった当時の自分を恥じながら、彼は早速私物のパソコンを開く。 「俺は新藤玄一(しんどうげんいち)だ。お前さんも覚えてるようだが、十年前神田夫妻を看取った。実際現場に行ってはねえから情けないことに俺も事故だと思っててな。お前さんからもらった知らせを受けなきゃ、あの夫婦は無残な事故のまま終わらせられるとこだった。よく勇気出したな、助かったよ」  そういった誉め言葉でも揺れない莉々子の心を感じ取り、そこらの老人のように息を吐いてから開いた画面を莉々子に向ける。 「よく聞けよ」  前半は動画のみで判別可能であった両親の会話だが、そこから周囲の雑音が全て抜き取られ、殆ど聞き取れなかった全ての言葉がはっきりと確認できる。 『あいつら、何でこんな…』  雄介の声から始まり、続く七緒の声も震えている。 『昔、七年前のことじゃない。話し合って、落ちることになったんでしょ』 『カンニングしていた複数の携帯電話の履歴が見つかったんだ。それを確認したのが、俺だった』 『そんなの、雄介さん悪くないじゃない』 『腹いせだとは思う。でも…ごめんな。七緒も莉々子も巻き込んだ。俺がもっと考えて行動してれば…!』  その後に続いたのは、二人の嗚咽と娘の名を呼ぶ声だけだった。奥歯を噛み締め、莉々子は停止したソフトを睨み続ける。そんな中莉々子が持ってきていた小さな鞄から取り出したのは、三つ折りにされたA4サイズの用紙数枚。新藤と三浦が揃ってそれを開き見ると、中には簡易的な写真付きの履歴書のような内容がまとめられていた。四枚の用紙に、合計八名分。 「現在を含めて過去十年間で私が通っている高校を卒業した生徒の内、入学前に一年以上浪人した生徒の一覧です」  その情報を得るためだけに莉々子は父が勤めていた高校に入学し、第二学年に上級後、生徒会に入っていた優等生の肩書がやけに似合う齋藤美千代に声を掛けた。仲良くしている風を見せつつ、生徒会室に保管されている卒業生一覧からそれら九名をピックアップしたのだ。 「現在の就職先は私には分かりませんし、この九名から両親を殺した二名の絞り込みもまだまだです。新藤さんにお願いしたいのは、ここに載っている中で警察に勤めている人間がいるか探していただくことです」  確実にタイヤに刺さっていたであろうボウガンの矢を抜き、ただのパンクと見せかけるなど現場検証を行っていた警官以外にできることではない。莉々子の読みが理に適っているとし、新藤は今日中に名簿をひっくり返すことを約束した。 「あと、この九人の中で、両親の職業が議員や教師、医者だったりする方がいないか調べていただけませんか。流石にそこまでの情報はうちの高校に残っていなかったんです」 「可能な限り漁ってはみるが…なんでそこまで調べる」  カンニングをしたという完全に自己に非があったにも関わらず、それを学校側へ告発した神田雄介を逆恨みしたのは、〈確実に入学しなければならない理由〉があったためと考えられる。彼ら九名は特に奨学金も受けておらず、家庭環境が粗悪だったという記録も無い。カンニングをしてまで入学を望んだのは、〈落ちれば親の顔に泥が塗られる〉と見ることができる。その可能性を考慮した場合、親の職業が街中でもよく知られている何かでなければならない。 「〈誰々のとこのお子さん、浪人したらしい〉なんて言われれば、プライドの高い親なら出せる顔が無くなるでしょう。その八つ当たりが子供に来れば…規則を何とも思わず破るような子供です、怒りの矛先をおかしな方向へ向ける可能性も決して低くはない」  角麦駿がやけに大人びて育ってしまった件と、正反対のパターンだろう。親が朝まで酒を飲み歩いていると近所で噂になれば、子供はあまりの恥ずかしさで外に出ることすら拒むようになってしまう。親が恥か、子が恥か。たったそれだけの違いである。 「そうと決まればさっさと調べてこよう。再捜査ってなると諸々の処理ってのが増える。警察官が事件の隠蔽をしたってなりゃうち的にも大打撃っちゃそうだが、罪は罪だ、形として償わせてやる」  ノートパソコンを閉じ、鞄の中へ大事に紙を畳み入れ、新藤は私用車にしか見えない公用車に乗り込む。アクセルを踏み込もうとしたところで、運転席の窓を開けた。 「うちの三浦は信頼できる男だ。昔から知ってんだろ、ちったあ大人を頼れ。協力はありがてえが、それでお前さんの精神が削れちゃあ、先に死ぬ俺達が親御さんに向ける顔失くしちまう」  実の子供でもない他人の娘に向ける言葉ではない。莉々子がそう首を振れなかったのは、素直に受け取っても罰は当たらないと考えたためだ。 「ありがとうございます」  結局張り付けられた顔は不自然なままであったが、新藤は満足気に走り去っていく。 「両親のことを知っている方で安心しました。すごく話がスムーズに進んだのでほっとしてます。ありがとうございました、三浦さん」  礼は不要だと言いながら手渡されたのは、まだ結露が微量しか現れていないアイス。この気温ではすぐに形を失ってしまうかもしれないと、遠慮する暇も与えられず莉々子は袋を開く。棒型のバニラアイスを頬張ると、隣で三浦も同じ物に歯形を付けていた。
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