疫病神は空を噛む

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 その日の内に新藤から連絡が入り、九名の内一名が、十一年前に警察学校を卒業していたことが分かった。 「大島幸也(おおしまゆきや)…〈幸〉の字をもらうなんて、大層なご身分ね」  三浦から送られてきたFAXを片手にアイスコーヒーを飲む莉々子は、現在の大島の顔写真を蔑むように見ていた。突然取り押さえれば面倒なことになるため、大島本人と彼をコネで入庁させた警視正である父親を避けつつ、新藤が捜査本部を作るらしい。被害者の肉声と写真は大きな証拠となり、少なくともただの事故であったという結果は覆るという。  手紙に似たメモ書きのようなそれを見、莉々子はようやく始まったかと息を吐く。小噺で言えば序章が始まって数頁といったところだ。全く関わりの無い人間からすれば、単なるくだらない復讐の真似事に見えるだろう。しかしこれはそういった類ではない。莉々子にとっては一種の制裁だった。 私は過ちを正すヒーローでもなければ、悪者も救おうとする偽善者でもない。稀に転がっている小さな疫病神だ。疫を引き寄せることは決して良いことではない。自分が何一つ関与していない事象でも、誰かが死ねば私のせいになる。病が〈偶然〉悪化しても、自転車が〈偶然〉車と接触しても、鬱が災いし〈偶然〉マンションから飛び降りても、全て神田莉々子に矛先が向けられる。それこそ〈偶然〉死ぬ前に会話を交わしただけだというだけで。 だが、それを一つの才と捉えればどうだろう。暴論ではあるが、ここまで自分の存在を否定される人間もいまい。であるならば、それを利用しなければどうする。幸いにも、私は現在幸福ではない。恨む対象がいて、そこへ向け凶器を手に持つ権利がある。疫病神という名は好都合だ。死に関わるものすべてを引き寄せてくれる。 今までは、自己防衛のために被らされた冤罪の否定を行ってきたが、今回は違う。意思を持って災厄を探し、信念に怨恨を添え振り翳す。 「生きてきてよかった」  両親を失ってから初めて、生み落とされた自分の命に感謝した。周囲に消え失せろと何度言われても、もう折れることは無い。自分のこの生には意味があるのだから。莉々子はそっと映像が流れ続ける画面に触れた。  数日後、新藤から警視庁に努めている一名を除いた全員の現在の職場、並びに両親の職業―――退職者を含む―――が郵送で届けられた。口頭でも文筆でも伝えていない神田家の住所を調べ上げた辺り、よくニュースで聞く〈捜査本部〉というものが本気を出せば個人情報などいとも簡単に引き出せるようだ。  そんなことはどうでもいい。封筒を開き、莉々子はソファに座ってローテーブルに一人一人の紙を並べる。全て一字も逃さぬよう頭に入れてから、数秒間目を閉じる。自身が持つ記憶と引き合わせ、パズルのピースがずれなく組み合わされる物のみを炙り出す。莉々子の両手が乗せられたのは、二名。 「内田健(うちだたける)と、荒山一馬(あらやまかずま)」  両者共に現在三十二歳で、大島も同い年である。内田の両親は医師で、父親は大学病院の教授である。荒山は母親が元ピアニスト、父親が教育委員会副委員長。これであれば恨みを持っても納得はいく。莉々子は二名の紙を封筒に再び戻す。  探していた三名が分かったわけだが、莉々子はもう一枚別の紙を手に取り立ち上がる。そこに記されている名は〈片山充則(かたやまみつのり)〉。現在埼玉で自営業を行っており、新藤曰く大島らと共に受験資格を剥奪された残りの一名である。備考欄に唯一〈運転免許未取得〉並びに〈高校在学中右肩の骨折経験有〉と書かれていたため、十年前の犯行は厳しいだろう。最も事件関与から離れているとはいえ、その把握までしていないとは考えにくい。実際。内田は二度留年し現在ようやく医師として働き始めたところで、荒山は塾講師をしている。高校卒業後進路が分かれた後に行った犯行であるため、片山にのみ連絡が届かないことはないはずだ。  莉々子はカレンダーを眺め、明日から夏休みの最終週が始まることを再確認する。優等生らしく課題は全て済ませており、後は当日に忘れ物をしなければ面目は保たれる。数分前莉々子に食われた氷が、音を立てて砕き消された。  その日は既に日が傾いていたため、莉々子は翌日の朝、ラッシュアワーからはみ出た時間帯の電車を乗り継ぎ埼玉へと向かう。高校自体自転車で通える範囲内のため、それといった上辺以外の友人がいない莉々子は遠出などしたことがない。傍から見ればそこらの若者と変わらないが、七分丈の白いデニムに体のラインが出るグレーのノースリーブは、長い髪の毛を下ろしていても暑苦しさを感じられないだけでなく、休日を謳歌しているOLに見間違えられてもおかしくはない。  無意識に周囲の視線を集めながら、莉々子は改札を抜けた。途中手洗いに寄り日焼け止めを塗り直したおかげで、日焼けの不安は払拭されている。携帯電話で周辺の地図を出し、目的地までの道を確認する。何度もシミュレーションをしたため、単なる最終確認に過ぎない。
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