疫病神は空を噛む

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 都心部ともまた異なるビル街を抜け、一本裏路地に入ると影ばかりが混在しており、一気に身体がひんやり冷えていく。莉々子が足を踏み入れたのは古びたビルのエレベーター。中には数個の事務所があるが、彼女が押したボタンは三。大きな音をたてながら停止し、狭苦しい廊下に出る。正面にある扉の横にはインターホン。莉々子は躊躇なくそれを押した。 『はい』  スピーカーから出されたのは男の声。 「片山充規様はいらっしゃいますか。担当税理士を承っております落合より書類を預かってまいりました」  流れるように嘘を吐き、それらしき笑みを浮かべてみる。 『そうでしたか。少々お待ちください』  まるで十六には見えない莉々子にまんまと騙され、写真通り少々ふくよかな体型をした片山は彼女を迎え入れる。調べによると、彼の自営業の内容というのは、オリジナルオリーブオイルの作成及び販売。農業的作業は雇用者に任せ、片山は事務仕事が殆ど。事務員を雇った形跡は無く、オフィスには普段から片山が一人でいることが多いという。  案の定陽の光に照らされ、観葉植物も満足に育っているオフィスにあるデスクは広々としたものが一つ。大して金が掛けられていないところを見るに、まだ事業は軌道に乗っていないのだろう。  彼が依頼している税理士の名が落合ということに相違は無い。かつその落合という男は若い女性を助手にする傾向があり、高頻度で秘書が変わることでも定評がある。莉々子が吐くには丁度良い嘘だった。 「今茶でも出しますんで―――」 「いえ、結構です。長居は致しません」  ソファで向かい合うと同時に机に置かれたのは、莉々子の学生証。彼女が唯一自身の身分を証明することができるものだ。片山は目を見開き莉々子の顔を見直す。勿論彼が驚いたのは、学生に秘書を騙られたことではない。 「十年前は、ありがとうございました」  〈神田〉という苗字には痛いほど覚えがあった。片山の頭に浮かんだのは当時六歳だった少女。瞳の奥に激痛が走り、目の前の視界がぐらりと歪む。 「そう、か。十年ですか」  何故莉々子は感謝を述べたのか。彼女自身記憶があったわけではないが、昨晩十年前の葬儀の参列者の名簿を確認した際、唯一片山の名があったのだ。それは、彼が事件関与をしていない裏付けの一つにもなり得る。だからこそ莉々子は自然に微笑むことができている。それが無ければ、少なからず憤りを感じていただろう。 「突然、嘘まで吐いてすみません。アポイントを取っても断られると思いまして」  実際に会って莉々子は確信をした。片山は十年前の出来事を悔やんでいる。おそらくそれは、当事者側として。 「謝っても許されない罪だと分かっています」  一回り以上年下の少女に片山は敬語を使う。そうしなければならないと彼の本能が訴えた。 「十年前も、自分なんぞが線香をあげてよいものか悩みました。でも、実際に手を下した三人を止められなかった責任もあり、謝罪を込めて足を運びました。喪主が神田先生のお父君だとは聞いていましたが、その隣にいたのが神田先生の子だと知って、情けなくも誰より先に逃げました。全てを、お話ししなければならなかったのに、私はその責任さえも…」  片山は何度も何度も謝り、大人げなく涙を流した。言い訳がましいが、彼も十年間苦渋とともにあったのだ。忘れようとしたことはなく、実際忘れられたこともない。事故とされた一件が殺人だと世間が知れば、一般的な騒ぎでは収まらなくなる。分かっていながら、彼もまた我が身が愛しかった。せめてもの戒めか彼は未婚である。 「両親の死は覆せるものではありません。なので、事故と処理された事象を覆したいのです。ご協力いただけませんか。十七年前、そして十年前の出来事が知りたいんです」  涙を拭いながら、片山は強く頷く。自分ができることであれば力添えしたい。むしろ彼の方から莉々子に近づいてきた。 「十七年前、そこら辺に転がってるような悪ガキだった私達は、親の稼いだ金をひけらかして生きていました」  親が金を払ってまで行かせていたはずの塾に真面目に登校したことなど片手で数える回数のため知能が低く、偏差値六十を超えている入学試験の過去問題では目も当てられぬ有様だった。そんな中迎えた十五の冬、高校受験。真っ向から受験をすれば確実に落ちることが分かっており、インフルエンザを装って後日受験となった大島と携帯電話を通してチャットで繋がり、試験監督に隠れながら答えられない問題の回答を得ていた。ちょうど数学の時間監督に当たっていた神田雄介がそれに気づき、全員を試験会場から追放。その日の内に開かれた倫理委員会にて点数をゼロにすることが決定し、それに関わった者も含め計四名が強制不合格とさせられた。 「実は私はカンニングがばれた後、神田先生に〈受験資格を辞退したい〉と申し出ました。それで私だけ先に家に帰され、当然のごとく両親に叱られ、一年間真面目に予備校に通い、次の試験で入学しました」  その高校は昔から名の知れた進学校で、そこに入学し勉学に励めば、大抵の大学の推薦入試を受けることができた。そのため彼らの親は、出来の悪い子供を何とかして入学させたがったのだが、試験先の学校から職場へ突然入った連絡の内容に絶句し、名と顔を捨てたいと願いながら子供を迎えに来たのだという。 「私以外の三人は、一年間外出を禁じられていました。親には恥だと言われ、中学に戻る席も無く、卒業式も親が欠席とさせ、一年間まるで存在していない子供のように扱われていたと聞いています」
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