疫病神は空を噛む

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 同時刻、齋藤美千代が首を切った廃工場内奥、旧冷蔵庫。そこにいたのは二メートルの間隔を空け、パイプ椅子に座らされている二名の男。ワックスで髪の毛をしっかりと固めている内田健に、天然パーマをそのまま伸ばしたような荒山一馬。どちらも普段の仕事着ではなく、休日に軽く買い出しに出る際に選ぶような軽装をしていた。彼らは拘束されているわけではない。本当に何一つの変哲も無い椅子に座っているだけだというのに、子犬のように震えながら、この明らかに普通ではない現状から逃げ出そうともしない。 「あら、逃げたと思っていました」  重い扉を押し開けて入ってきたのは、腰まで隠れる白く緩やかなノースリーブのトップスに、薄い色合いのデニムを履いた疫病神、神田莉々子。彼女の手に凶器は無い。 「せっかく十分も猶予があったのに、勿体ないですね」  壁に寄せていたもう一つのパイプ椅子を開き、莉々子は彼らの向かいに腰掛ける。 「良かったですよ、片山さんの連絡先をお二人が消していなくて」  今朝、ホームページから調べた片山の会社に電話をし、内田と荒山両名の連絡先を伝え、この廃工場へ向かうよう電話をかけさせた。あえて十年前の事件をそのまま持ち出し、警察が探している旨まで二名に把握させ、〈隠れなければならない〉と本能が動くように仕向けたのである。  結果廃工場にて出会ったのは、そこまで強くは無い意志を持って殺した教師夫婦の娘。犯行後逃亡に逃亡を重ねた二人は、莉々子を見ただけで足が竦んでしまった。ようやく親の手から離れ、軌道に乗り始めた人生。その終演が一瞬なれど見えてしまった。  そして莉々子が無言のまま流したのは、両親が最後に撮影した、今現在証拠の一つとされている動画。新藤が加工した音声を後日合わせたものである。死への恐怖より、娘を失う恐怖に嘆く神田夫妻の叫び声に、荒山は耳を塞ぐ。 「こ、ころ、殺すつもりなんて無かった、本当に。単なるいたずら心で、鬱憤晴らし程度で」  荒山の声は震え、目は泳ぎ、手だけでなく足も動き始める。内田の計画に賛同し、自らボウガンを手に取ったのだ、十年経ってもその感触は色濃く残っている。 「誰も、あの程度で死ぬなんて思わない。小学生がBB弾使うのと同じ感覚だった」  さして反省の様子が見られない内田に苛立つこともなく、莉々子は頷きながら〈言い訳〉を聞いている。 「つまり皆さんは当時大学生の頃でも、中身は小学生以下だったという認識でお間違いないでしょうか」  逆ギレでもされたらたまったものではない。莉々子は彼らと一定の距離を保ちつつ、持っていた携帯電話を床に落とす。それなりの高さから落下し、古びたそれはプラスチックが割れたような音を出した。 「自分で自分の管理ができないことに気付かず、全てを他人のせいにして命を奪うなんて、確かに小学生でもやりませんね」 「だからわざとじゃ―――」 「結果死んでるんですよ。故意云々なんてどうでもいい」  もう言い訳は必要ない、と口を挟んできた内田の言葉を断ち切る。三十を超えていようが関係は無い。今ここにいるのは、両親を殺された娘と、殺した大人しかいないのだ。泣きも叫びもせず、低い声と共に目を見開く莉々子は、疫病神というよりも鬼の形相に近かった。 「疫病神って呼ばれるようになって良かったです。周りが死んでいくだけじゃなく、両親を殺した相手が寄ってきてくれたんですから」  その呼び名を知らない二人には、莉々子が微笑んでいる理由が見えない。いや、彼女はわざとそうしているのだろうか。
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