僕が闇に落ちてしまった時の話

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 事務所でうっかり転寝をしてしまった。時計は夜の3時を回っていた。慌てても仕方がない。片づけをして家に帰る。途中、空腹が寄り道を誘う。そういえば今日はまだ、まともな飯を食べていなかった。  シニカルなインナーパーソンもワイズマンも腹をすかしているときには話しかけてこない。脳に活力が足りていないときは、彼らもおとなしい。  駅を過ぎ、少し回り道をして牛丼のチェーン店に入る。店には客が1人もいない。もしかしたら営業していないんじゃないかと思いつつ、自動ドアに触れる。店の奥のほうから「いらっしゃいませ」と店員の声。少し前まではこんな時間でも従業員は二人いたように思ったが、記憶は定かではない。  券売機でいつもの定食のボタンを押そうとしてためらう。「こんな時間にこれは多いか」と思いつつも、陰鬱とした気分が思考を妨げる。ほどなく目の前にカルビ定食なるものが配膳される。バーベキュー味のタレと胡麻のドレッシングをかけて、機械のように口に放り込んでいく。 「ご馳走様でした」の声に、すぐに反応はなく、ドアを開けたタイミングで「ありがとうございました」と声が聞こえる。ないよりはいい、でも、そうではないのだと、どこか拗ねた自分がいる。  家に帰ると当然のように部屋は真っ暗で、みんな寝ている。とにかくもう寝ようと、明日はゆっくりできるのだと、寝床に着こうと思ったとき、そこに『夢の国』のお土産袋が目に入る。  まるで心当たりがないものでもなかったが、一応中身を確認する。そこには『夢の国』の人気キャラクターの帽子とタオル。そしてパスいれが入っている。その中に入っていた一日フリーパスは、僕の手元にはない。  このパスはもともと僕を含めた三人で一緒に『大人の夢の国』に行こうとプレゼントされたものだった。だが僕は貰ったその場で、三人では行きたくない。二人で行ってきなさいと断ったのだった。  頂いたものは、あとでどうするか考えると言ったものの、僕はそれをどうするかは心に決めていた。  後日、そのパスは、『大人の夢の国』に行った二人のうち、男性のほうに「今度は『夢の国』に行ってきたらいいよ。一枚は君から彼女にプレゼントしてデートに誘いなよ」と言って手渡した。  ただ、残念なことは、僕がそれを実行する前に、そのパスをプレゼントしてくれた女性から「あのパス、返してくれたら、今度は『夢の国』に行ける」と言われてしまったことだった。  言われたことが残念だったのではない、言われる前に行動できなかったことが残念なのだ。でも、おそらく彼女は、どちらの残念も、知ることはないのだろう。それがわかるくらいなら、自分から返してくれとは言わないのだろうから。いや、あるいはそう考えることが、間違っているのかもしれないが、その間違いを正す気には、まだなれない。  結局、帽子とタオルと、空のパス入れは、隠すということでもなかったが、押入れにしまいこんでいたのだが、おそらく妻が何かを探しているときに、それを偶然――というより、当たり前に見つけてしまったのだろう。 「これはどういうこと?」といわんばかりに、それは机の上に置いてあった。 「そんなもの、処分してしまえばよかったのだよ。せめてもの記念にだなんて、そんな未練がましく、しかも無用心に押入れに放り込んでほったらかしているから、あとで不愉快な思いを人にさせてしまうのよ。男って本当にそういうところ、だめなんだから」  僕の中のインナーパーソンたちは誰一人、味方をしてはくれない。  とくに彼女はいつも僕に公平に不平を言う。
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