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僕が闇に落ちてしまった時の話
僕は苛立っていた。
苛立つというのは、思い通りにいかないから。いや、思い通りに行かないことに苛立っているのではなく『思ってしまうこと』に苛立っている。
なぜ、自分はそう思ってしまうのだろう。そうしたいと思うのだろう。もしそのことを誰かに相談したのならば、きっとこういわれるのだと思う。
「そんな奴、放っておけばいいじゃん」
それはわかっているから、誰にも相談はしない。
わかっている。
解決しないことも、解決の方法がわかっていることも、人に相談することは無意味なのだ。
しかし問題は、それを無視できないでいる自分、自分の思い、つまりは心が、自分の事ながらに理解ができず、それを考えても結局は苛立つのか、そうでなければ落ち込むしかない。
落ち込むくらいなら、苛立ったほうがいい。
僕は救いを求められたなら、手を伸ばせる限り伸ばしてその手を握り「大丈夫だよ、任せておきな」といいながら「でも、僕は君を助けることはできない。君は自分で助かるだけ。その手伝いなら、いつでも引き受けてあげる」と、その人が自分で立ち上がれるようにアドバイスをする。
もちろん、それがわからない人にはそれなりの対応をする。
問題解決さえできればそれでいいのだという人には、そういう対処をする。そんなことで僕は苛立ったりはしないのだ。少し残念ではあるけれども落ち込みもしない。
「散々利用するだけ、利用しておいて、ここぞというタイミングで理由をつけて、はい、さよなら。それはどちらかといえば、やった奴よりもやられたほうの問題だよ」
手厳しい言葉だ。誰から言われたわけでもない。僕の中のシニカルなインナーパーソンは僕を嘲笑う。
「でも、そうだとわかっていても、君はそうしないではいられないのだろうし、やらずに後悔することよりもやって後悔したいって思っているんだろう?」
冷静に分析するのは僕の中のワイズマン。彼の言葉はいつも正しい。
「どうせこんなことになるんだったら、もっとやりたいようにやればよかったのさ。君はいつだって相手のことを考えすぎるのさ。ギブアンドテイクのなんたるかを、まるでわかっていない。いや、わかろうとしていないのさ。『それが自分らしさだ』とそう自分に言い聞かせている。それは立派なことかもしれないけれども、結局バカを見るのは君のほうじゃないか。あの時も、そして今もね」
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