生きていれば涙を流すこともある

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生きていれば涙を流すこともある

 喜怒哀楽。  そこには顔がある。  喜びに満ちた満面の笑顔、怒りに震える真っ赤な顔、悲しみに沈む色あせた顔、楽しい出来事にこぼれる微笑。  そこに彩を添えるのが涙である。  病に伏せていた大事な人が九死に一生を得たとき、人は喜び涙する。  ぶつけようのない怒りがこみ上げたとき、それをこらえて人は涙する。  自分の思いが相手に伝わらず、悲しみの中で人は涙する。  馬鹿馬鹿しくも、得がたい仲間のおどけに笑いと一緒に目が潤む。  生きていれば、心が揺さぶられるときがある。嬉しくても悔しくても悲しくても楽しくても、人は涙を流すのだ。  僕は涙を流さない。  たぶん、人にそれを見せたくないからだ。それでもこらえ切れないときがある。  喧嘩をした。  自分を誹謗中傷されようとも、受け流すことはできても友達や大事な人を愚弄する行為は許せない。怒りの感情を抑えようとすればするほど、そのかわりに涙が出てくる。  そんな僕の姿を見て、その人は始めて自分がしでかしたことの重大さに気づいたのかどうか。そのあと二人でいろいろ話し合った。互いの思うところを言葉でぶつけ合って、理解が深まれば、嬉しくてやはり涙が出た。  理由のわからない涙に戸惑うことがある。  悩み事の相談というわけではなかったが、ひとつの疑問に対する僕なりの仮説を立てて、それはこういうことではないのかと提言したそのことで、その人の中で何かがつながったらしく、ひどく落ち込んで涙を流し始める。  うかつだったと思いながらも、僕は僕の仮説の正しさを呪うしかない。僕自身もその悩みの事柄に関係している人物である以上、もっと早く気づいていれば、この涙は見ないで済んだのかもしれない。  生きているうちは、そういうことがままならない。  不意な訃報に戸惑うしかなく、それでもこういうときに声をかけられるのは、自分しかいないと勇気を振り絞り、悲しむ間もなく最愛の人の受け入れがたい死を前にして、気丈に対応するしかない古い友人と連絡をとる。  かける言葉を捜しながらも、30年近い時の流れを埋めるのにさほど時間もかからず、あのころの自分と彼女の関係であれば、僕は励ますでもなく、ともに泣くでもなく、ただ寄り添って起きた事実とその先と、どうしていくべきかを話し合った。  初七日、四十九日とそれぞれが済んだタイミングで「がんばったね。お疲れ様」と声をかける。  人の死を受け入れるのはたやすいことではない。それがわかっているから大丈夫だと言って慰めるようなことはしない。受け入れがたい事実にどう向き合うのか。極端な話、「彼はお星様になったんだよ」というような子供じみた言葉を笑いながら昔話をすることで、死別という悲しみは、それを上回る大いなる幸せ、大いなる愛がずっとずっとそばにいたことの幸せをしっかりと抱きしめられるように物語の回想を一緒にした。  電話口から聞こえる嗚咽は、痛いものでも辛いものでもなく、流れ出す涙の暖かさが心に染み渡るようなやさしいものに変わっていってくれたのなら、僕はこれ以上、できることはないと思えた。  長い間振り切れぬ思いを、ようやく断ち切ることを決めたその人は、かわいさあまりに憎さ100倍とあまりに、笑いながら悪態をつく。  もう何杯目になるだろうか。僕よりも酒が強い人はそうはいないのだけれども、彼女にはかなわない。  まあいい、会計がどんな恐ろしいことになったとしても、今晩くらいは付き合うさという覚悟を、彼女には何度させられただろうか。  でも、そうか。これが最後かもしれないと僕に思わせたのは、やはり彼女の涙だった。  決別を決心し、これまでの自分に別れを告げる哀悼の涙なのだろか。  とっくに終電の時間は過ぎ、いつの間にかまた電車の走る音が聞こえてくる時間。ごめんねとありがとうを繰り返しながら、彼女を見送る自分は、いったい何をやっているんだろうかと泣きたい気持ちになるが、やはり、僕は涙を流さない。  生きていれば涙を流すこともある。そしてそれを見守ることもある。ともに流すこともある。人知れず涙を流すことも、そのうちあるのかもしれないが、生きているうちは、なるべくそうならないようにできればと思う。  そうだった。人知れず涙を流したのは19の春だった。「もう会えないかもしれない」という一本の電話。受け入れがたいその言葉に涙をして以来、僕はもう、そんな涙はいらないと思ったのだった。  それ以上のことはこの先ないのだろうか。  生きていれば、その答えもいずれ見つかるのだろう。
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