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僕が生きている間に旅をする理由
生きている間にできるけ旅をしよう。
たぶん若い頃にはそんなことを考えていたけれども、現実ではまったくそんなことはなくて、生まれた土地、北海道に何度か行ったのと、家族旅行で熱海やら伊豆やらに行った程度だった。
今の仕事について10年になるけれども、大阪、神戸、名古屋、福岡、札幌と主要都市に行くことが増え、佐賀や岐阜、三重、秋田、新潟、金沢にも行くことができた。
プライベートで行ったのは静岡と鹿児島くらいだけれども、それでもSNSのおかげでいろんな人とつながり、1人で行っても退屈しないでいられるのは、本当にラッキーなのだと思う。
もちろん基本の行動はひとり。出張先で時間が空くと、特に観光地を巡るわけでもなく、気ままに散歩をするのが楽しい。その土地の人の暮らしを歩きながら観察するのは、一つには小説のネタになるからなのだけれども、錆びた年代物の看板やずっと放置されているだろう車や空家を眺めながら、まだそれらが現役でいた頃の時代を想像し、この場所の暮らしというのがどう変化していったかを肌で感じることが、何よりも貴重なのだ。
旅は好きかと問われると、僕は少し困ってしまう。計画を立てて休みをとって、いろいろと調べて、宿を選んで交通手段をチェックして……そういうことは楽しくはあるし、面倒だとは思わない。
だけれども自発的に行きたい場所を選ぶという事が僕にはどうしようもなく苦手なのだ。むしろいけない理由を探してしまうくらいに奥手になってしまう。
それに出張で仕事をしっかりこなして、空いた時間に友達に連絡をとって、あとはおまかせ。それでしか出会えないいろいろな楽しみというのがあって、僕はそんな無計画な旅ができていることを本当に幸せに思っている。
金曜日、お昼の便で福岡に向かったのだが、九州地方は悪天候で福岡空港に降りることができないかもしれないと言われた。くしくも東京ではコロナ感染者が200人を超え、どうやら今回の旅はあまり歓迎されないかんじだと、ある程度覚悟をしていたのだけれども、いざ飛行機が飛び立つと、持ち前の晴れ男ぶりが発揮され、僕を乗せた飛行機は定時に空港に降り立つことができた。
空を見上げると空港の周りだけ明るい。そこから車で佐賀に向かう。出迎えてくれた福岡の営業所の人たちは開口一番「熱はないですか?」と聞かれ、「僕はいたって健康で、新宿にはここ数ヶ月いっていないですよ」と答えた。
正直に言えばこれは半分本当であり、半分嘘だった。
いわゆる「夜の街」と言われている新宿には数ヶ月どころか1年は行っていないし、人生の中でも実は10回まで行っていないと思う。新宿は嫌いだ。
しかし仕事では何度か足を運んでいるし、乗り換えで降りることもしばしばだ。そして体調に関して言えば、健康なのは間違いないが疲れている。この状態が続くとあまりよろしくはないなという自覚もあった。
それでも陽気に振舞い、初めましての方々と土砂降りの中、車の中で談笑する。これがまた、正直なところは疲れる。福岡市内から佐賀までは簡単に言うと一山越えるわけだけれども、高速に乗ってからは声が通り辛いほど激しく雨が降っていた。
ところが山を越えて佐賀市内の現場につく頃には傘をささずに歩けるまでに雨足は弱まってくれた。どうやら僕は佐賀に歓迎されているらしい。
人仕事終えてホテルにチェックインし、ホテルの周りを散策する。気になる店の前を少しうろうろしたあとに『喫煙可能』と書かれた店を発見し、そこに飛びいる。
串焼きは1人で入るのに一番いい。地元でも一軒、毎日のように通っている店があるが、ここの串もなかなかに美味い。まずは甘い胡麻ダレで和えたカンパチをいただく。
そこでハイボールを注文したことをすぐに後悔し、ここならば明日もきてもいいと焼酎のボトルをキープし、お湯でいただく。
僕は黒霧よりも白波が好きだ。初めていも焼酎にはまったのは宮崎にいったときだったが、数年前、鹿児島にいってからはすっかり白波のファンになってしまった。
おまかせ串焼き1000円(二人前)とメニューには書いてある。そんなにはいらないなと店員に聞いてみる。
「大丈夫ですよ。500円で一人前、お作りしますよ」
厚揚げはしっかりタレに漬け込んでこんな食べ方があるのかと思うほどにおいしかったし、豚バラはこの地方では有名なだけあってとても美味しい。ししゃもをまぜてくれたのもとてもうれしかった。
調子に乗って、豚足と地鶏を注文。これも九州地方では名物だ。
豚足はしっかり炭火で焼いてあり、香ばしくて美味しい。地鶏に関して言えばやはり宮崎のガスバーナーで焦げ目が着くような食べ方のほうが好きだが、これはこれで純粋に鶏のよさが引き立つ美味さ。
その日はここまで。店の人とのコミュニケーションは明日の楽しみにとっておこう……と思ったのが失敗だった。
翌日、この店のラストオーダーの時間に間に合うことができないくらいに仕事が押してしまった。
あのボトルは流れてしまうだろう。
その未練もまた楽しい。
それにしても僕ははずれを引かない運を持っている。ふらっと入った店でこうかいしたことは一度もないとまでは言わないが、少なくともここ5~6年は記憶にない。
今年、静岡の三島にいったときもそうだった。せっかくだからうなぎを食べようと調べると、あいにく月曜日はどこも休み。町の中を散策しているうちに朝から営業している居酒屋の看板を発見し、白焼き半身1000円の文字に心おどろされ、ふだんだったら絶対に入らないだろう店の佇まいに臆することなく、ビルの入り口から暗い廊下をあるき、さらに薄暗い階段を上って、おそらくはパブだろうという店のドアを開けると、目の前にカウンターに座っている初老の酔っ払いが目に入った・
彼は驚きを隠せず、こちらを凝視してから「いらっしゃいませ」と声を上げた。それがその店のマスターだった。
マスターはおそらく普段カラオケに使っているモニターにテレビのニュース番組を流し、ひとりでちびちびとやっていた。そこにまさかの来客というわけだ。
お茶割りを注文し、カウンター越しに酒を出せばいいものを、ご丁寧にカウンターからでてきてお酒とお通しをおいてくれた。いや、そうではなかったのだ。マスターはそのまま僕の隣の席に座り、「では、乾杯しましょう」と所見の僕と酒を飲み始めたのだ。
いつもそうなのか、僕がそういう空気を出していたのかはわからないが、コロナの騒ぎが始まった頃でもあり、一見の客などめったにこないといった空気はなんとなく理解できた。
その日、僕が帰るまで、マスターはずっと僕の隣にいた。
「朝11時から飲んでるんですよ」
なるほど、もう本当に説明がいらないくらいに出来上がっている。大丈夫かなと思いつつも、僕が注文するよりも先に「白焼き、食べますよね」とマスター。「はい、お願いします」と僕は答えるしかなかった。
僕はその日、19時半の新幹線に乗って帰ったのだが、17時からその時間まで客は僕1人だった。
ふらっと入った店で、その店のマスターと今の世の中、いろいろあるねと世間話から、土地の歴史やマスターの生い立ちなどを聞き、僕は僕でバンドをやっているとか、人生遅くからでもいろんな体験ができるといった話をした。
そうやって楽しく、美味しく飲んでいたのだが「せっかくだから、お兄さん、ここらで一曲歌いましょうよ」とマイクを二本用意してきた。
いやいや、マスターが歌いたいんじゃないですか。という顔をおそらく僕がしてしまったのか、最初からマスターはそのつもりだったのか「では、僕が先に歌いますね」と加山雄三を歌い始めた。十八番なのだろう。
僕はその場の空気を荒らさないように、坂本九を歌い、リクエストにお答えして、アリスを歌った。マスターも三橋美智也を熱唱した。
僕は運がいいと、自分では信じていますよ。こういう飲み方を望まない人もいるでしょうし、どうせ隣に座るならきれいな女性がいいというのもわかります。
でも、僕はこれがたまらなく好きなんですよ。
だから、生きている間には、できるだけ旅をしたいです。
なぜなら僕は運がいいから……ということになるでしょうかね。
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