RAIN4 踏み出すって簡単なこと

4/6
前へ
/20ページ
次へ
 針葉樹についた滴が、風に流されて視界を白く染める。  真っ白なレース越しに見るようなその景色は、印象派の絵画に似ていた。  色づき舞う広葉樹の葉が足元に広がり、色を添え、風がひっそりと立ち尽くすその人の髪をシャツを撫でて、はためく上着は羽衣にも似ていて――  ここがキャンパスで、自分は今しっかり起きている、そんなことすら忘れそうな、夢の一場面のような景色だった。 「……蓮」  捜していた人は、そこに居た。  声を掛けると、天女は途端友人へと変わり、いつもの笑顔を向けてきた。 「何してんだよ、傘は?」  風吹は蓮に傘をさし掛けて、聞いた。  ぼうっと立ったままだった蓮が首を横に振る。 「……頭、冷やしてたんだ」 「……はあ?」 「全部、忘れるかなと思って」  その言葉が妙に切羽詰っているようで、風吹はまともに返事が出来なかった。 「……今日、講義出てないって聞いた。一日、ここに居たのか?」 「いや……色々野暮用で」 「男関係? 親衛隊とかって奴?」 「親衛隊? 何それ、あいつ等はそんな健気なもんじゃ……」  蓮はそこまで口にして、しまったといった具合に口を閉じた。 「……何か、あったんだな。昨日、お前のこと襲った奴らか?」 「なんでもない。ホントに、なんでもないんだ」  蓮が俯いてしまうので、風吹は居た堪れない気持ちになる。 「……姫様、なんてただの冷やかしなんだな」 「ああ……経済の誰かに聞いたんだ、それ」 「……言えば、楽になることもあるよ……?」  風吹は、蓮の目を見詰めて細く笑った。 「……俺が遠藤の家の前に蹲ってたあの日……維幸さんにバレたんだ、俺の嘘。遠藤が彼女と居るところ、あいつ等の誰かが見たらしくて。で……呼び出されて、無理矢理された」 「されたって……」 「男の体ってさ、受け入れるように出来てないんだよ。だから、準備が要るんだ。それ、怠ると殴られるより辛いんだ……今日も、ね……」  蓮が、ぐっと拳を握りこんだ。  口調は軽いが、言っていることは重く未知の領域なだけに、風吹には途方もないことのように聴こえていた。 「もう、いいよ。辛いなら、話さなくていい」 「……軽蔑、しないんだ」 「するね、そいつ等を。蓮、この先なんかあったら……いつでも相談乗るから、言えよ」  風吹が言うと蓮は、きっ、とそれを睨み上げた。 「適当なこと、言わないでよ。俺は、王子様しか要らないんだから、その気がないなら優しくなんかするな」  哀しそうな目だった。視線は強いのに、その奥は脆くて、震えているようだった。 「なんだよ。使用人くらい、居てもいいだろ?」 「要らない」  蓮は、そう言いながら、ふわりと風吹の体に両腕を廻した。  驚いて風吹が傘から手を離す。 「おい、蓮っ……!」 「……遠藤なんか、大嫌いだ」  胸に顔をつけ、くぐもった声で蓮が呟く。  泣いてる、そう気付くのに時間はかからなかった。  風吹はおずおずと、蓮の肩に腕を伸ばした。ゆっくりと包み込んだその体は大分冷えていた。絞れるくらいに濡れた衣服から体温が伝わる。 「冷たかっただろ」  聞くと、蓮は僅かに頷いた。それでも頭は何も忘れてくれない、と呟く。  知らずに風吹の腕に力がこもる。気付けば大事そうにぎゅっと蓮を抱き締めていた。 「……あったかいな、雨」  蓮は、風吹の腕の中、呟いた。 「そうか?」  俺は冷たい、と笑う。 「……遠藤から落ちてくる雨、すごくあったかい」  風吹の濡れた髪の先から、蓮の頬に滴が落ちて弾ける。  蓮はそれを嬉しそうに受け止めていた。 「けど、これ以上ここに居たら、本気で二人ともダウンするぞ」 「だね。帰ろうか」 「そうだな」  二人はゆっくりと離れ、なぜか照れくさそうに距離を空けて歩き出した。
/20ページ

最初のコメントを投稿しよう!

184人が本棚に入れています
本棚に追加