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玄関から、来客のチャイムが響いた。
こんな時だ、無視を決めたがそれはしつこく鳴るので仕方なく風吹はベッドを降りた。
玄関で、ドアを開けずに「はい」と答える。
「土屋蓮、来てるだろ?」
「こんな夜中に名乗りもしないで、いきなりなんなんだよ。帰れよ」
ドア越しにいきなり不躾なことを言われて、少々機嫌の悪くなった風吹はそう言って踵を返した。
「このドア、ぶっ壊してもいいんだぜ。遠藤」
物騒なことを言い出すと同時に、ドアを蹴り込んだのか、ドカ、という音が響いた。
「器物損壊で訴えるぞ」
風吹が言い返すと、後ろからシャツの裾を引っ張られた。
「もう、いいから。ありがと、遠藤」
蓮は、そう言うとドアに向って口を開いた。
「今、行きます。近所迷惑になるから、下で待っててください」
その言葉に満足したのか、外の人間は大人しくなったようだ。立ち去っていく足音が響いている。
「じゃあ、服は……洗って返すから」
蓮は玄関でまだ濡れている靴に足を滑り込ませながら言った。
「蓮……いいのかよ、これで。また、酷い目に遭うんじゃないのかよ」
「……慣れたよ」
蓮は振り返らずに返すと、すばやくドアを開けて出て行った。
足音が遠ざかっていくのを、風吹は立ち尽くしたまま耳にしていた。
――面倒事から、解放されたんだからこれでいいんじゃないか。そうだ、ゲイはゲイ同士解決すればいい。俺は、関係ない。
ぐっ、と握った拳に力が入る。
『……遠藤から落ちてくる雨、すごくあったかい』
不意に、夕方聞いた言葉が頭に浮かんできた。
――雨をしのいでやれる傘にはなれないかもしれないけれど、俺の体温で冷たい雨を温めることなら……出来るだろ、風吹。
「……友達って……そういうもん、だよな」
呟くより早く、風吹は玄関を飛び出していた。
アパートの前には、一台のセダンが停まっていた。車の周りに三人の人影が街灯に照らされている。雨は既にあがっていた。
走って近づくと、一人は蓮、もう一人は知った顔だった。
「……確か、あんた……」
風吹が思わず口を開く。
「……君には関係ない、と今蓮から聞いたんだが」
風吹の登場にいささか不満げな蓮の元彼が言う。
「遠藤、どうして……」
蓮はどうして降りてきたんだよ、と言いたげだった。
「……蓮を受け入れろって頼んだのはそっちだろ」
「……蓮の芝居に引っ掛かったとわかるまではね。遠藤、白谷紅音っていう彼女が居るんだろう? 付き合ってもう半年以上だとか」
「……その情報、古くない? 俺、紅音とはこの間別れた。この場限りの嘘じゃねぇよ」
風吹は蓮に近づいて、その腕を引き寄せた。
「え、えんど……」
「こいつのために、別れたんだ」
風吹は精一杯の虚勢を張って、維幸に対峙した。
「へぇ……ノーマルの君がね」
「俺は、初めコイツを女と勘違いしたけど、男でも可愛いと思った。俺も、完全なノーマルじゃなかったって、ことじゃない?」
全てを見透かすような視線に耐えながら視線を合わせると、維幸は軽くため息をついた。
「嘘なら、いつかバレるだろう。俺も大人だ。今日はそういうことにしておく」
「なんなんだよ、お前……蓮のこと、何だと思ってんだよ!」
「親衛隊が守るべき姫様、だな」
維幸は、呟くように答えてからセダンの助手席へ滑り込んだ。
その様子にもう一人が慌てて運転席へ入る。
「守るのは、俺一人で充分だ」
風吹が窓越しに維幸を睨みつける。
「……前よりは、マシな芝居だったよ。今度は花束でも届けよう」
それを捨て台詞にセダンは走り去って行った。
「誰が受け取るか!」
セダンのテールランプに噛み付くように言ってから、風吹は引き寄せていた蓮の腕をそっと離した。
「部屋、戻るぞ」
そう呟いて。
「また……迷惑、かけた。ごめん、遠藤」
静かな部屋の片隅に座り込んで蓮が呟いた。
「……まあ、まんざら嘘ってわけでもないしな。紅音のことも、お前を女と間違えたのも事実だし」
「確かにそうだけど……関わったら、後戻りできないよ? 維幸さん、すごくしつこいから」
「だろうな。親衛隊ってのも、結局はアイツのコマみたいなもんなんだろ」
「俺の監視役。だから、逃げたかったんだ。維幸さんと付き合うだけなら、別にどうでも良かった。でも……生活を始終監視されるのは耐えられなくて……」
蓮は今まで誰にも言えなかったであろうことを話し始めた。ゆっくりと言葉を選んでいかないと、途中で自分を傷つけてしまいそうで怖かったのだろう。
それでも自分に話そうとしてくれている、そのことが嬉しかった。
「監視か……。大層なことすんだな。これからは、俺もその監視下に置かれるわけか」
「……友達、なんてごまかし効かないよ」
蓮が寂しそうに呟く。既に、風吹のはったりがバレると決め込んでいるようだった。
「……親友で、どうだ?」
そんな蓮に対し、風吹はさらりと言い放った。
「え?」
「いや、だからさ……お前の気持ち、嬉しいんだけどまだ、応えるには少し時間が要ると思うんだ。このまま恋愛しようっていっても、結局蓮を傷つけることになる……だから、時間が欲しいんだ。無理か?」
風吹は言ってから、隣に座る蓮の目を見る。
その目は驚きで見開いていた。その頬がかあっと紅潮したかと思ったら、目を閉じてふるふると頭を振った。
「無理じゃない!」
途端、蓮は腕を伸ばして、風吹に抱きついた。
「うわぁ、オイ! 蓮!」
いきなり抱きつくなよ、と風吹が身をよじる。
「ハグくらい、いいだろ? 嬉しいんだから」
蓮が風吹の胸に顔を押し当てて呟く。
「……はいはい」
浅いため息をついてから風吹が答えると、蓮は不意にその顔を挙げた。
一瞬、優しく花が綻ぶような笑みを浮かべたかと思ったら、そのまま風吹の唇を自分のそれで塞いだ。
「……! おい、蓮!」
「キスくらいさせてよ。だって……」
「嬉しいんだから、とか言うなよ。その理論を通させると、俺の貞操が危ない」
「貞操って……まあ、オトコは初めてなんだからそう呼んでいいのかもだけど……どっちにしても俺は奪えないから」
にこり、蓮が微笑む。
「……は?」
「俺、そっちじゃなくてあっちしかしたことないから」
蓮の言葉に、風吹は一瞬怪訝な顔をしてから、え、と声にした。
「あっちって、あっち?」
「……誘うだけなら、いくらでも誘ってあげるけどね」
「い、いや! いい! 遠慮しとく!」
慌てて蓮の体を引き剥がした風吹はそのまま、する、と少し後退りする。
「はは、冗談だよ。……俺、ちゃんと待つから。遠藤の気持ち」
「蓮……」
「待ってて、いいんだよね? 遠藤」
「……風吹」
「え?」
「風吹でいい。その方が、あいつ等に悟られないだろ。そのうち嘘じゃなくなるんだと思うけど、まだ……恋人とかじゃねぇし……」
風吹は視線を明後日の方向へ外しながら言った。
「うん。風吹、早く俺のこと好きになってよ。俺、まだ風吹としたいことたくさんあるんだ」
「……卑猥」
「風吹の方が。夢うつつで、俺の舌吸い込んだくせに!」
「ばっ、アレは……!」
風吹はそこで言葉を切った。
シフォンケーキだのチョコレートだのなんて言ったら……なんて言われるかわかったもんじゃない。
「と、とにかく! もう少し、待ってくれよ」
「うん、了解。初めての禁欲生活、頑張るよ。でも、どうしてもダメになったら……ごめん」
「今から謝るなよ!」
「……あはは」
蓮が可愛らしく笑うので、風吹は思い切りため息をついてしまう。
けれど、蓮の存在が自分の中で『親友』の枠から飛び出すのも時間の問題だろうな、なんて思う。
だって、今、蓮の笑顔はこんなに輝いて見えている。
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