RAIN1 お人よしってこういうこと

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 その手紙が、風吹の元に届いたのはあの日から三日後のことだった。級友から『経済の友達から廻ってきた』と言われ受け取ったものだ。  差出人の名前は蔵野維幸(くらのいさき)。内容は一行、『○日の午後五時、林間で待つ。』それ以上は白紙である。 「なんだ……これ……」  航生の言葉は、素直な風吹の感想と同じだった。もう頬の腫れも引き、あの日のことも、日々の生活の波に呑まれ忘れようとしていた。 「新手の悪戯だと思う?」  道場の隅、引き戸を開け放ち、ぽっかりと口を開けた部分の縁に座ってコンクリートに素足を投げ出す。  足元では防具が秋の太陽に干されていた。 「これ、今日だろ? 五時ったら……あと三十分か」  隣で同じように座っている航生が道場の壁に掛けられた時計を見上げて呟く。 「行くべき?」 「……行かなきゃ、それはそれで気持ち悪くないか?」 「まあ、そうだけど」 「この間、殴られたアレ関連じゃねぇの? 林間なんて場所」 「……航生クン、一緒に…」 「行かない」 「うわ、薄情」  がくん、と項垂れる風吹に、航生が笑う。 「竹刀持ってけよ」 「それじゃ、一昔前のケンカじゃねぇかよ」 「だったら潔く丸腰で行って来い。第一、取って喰うなんて一言も書いてねぇし」 「いや、あの、北嶋さん……取って喰う人は、取って喰うなんて書きませんよ……?」 「心配すんな。部長はなんとか言って誤魔化しておくから」 「そういう心配じゃねぇよ! てか、お前行かせたいだろ?」 「さあ、次は風吹はどこ腫らせて帰って来るかな」  航生は楽しそうに言いながら立ち上がった。 「マジ勘弁してよ……」  ため息をついて航生を見上げる。 「もしかしたら、それ、女の子の方かもしれないぜ」 「名前、すっげ男くさいんですけど」  言ってから風吹は思い出した。  とりあえず色々な誤解を生みたくないから男女のカップルと設定を変えて皆には話したが、実際は男同士だったのだ。  男っぽい名前で正しいのである。 「ま、三十分戻らなかったら迎えに行ってやるから」 「絶対だかんな」 「おう。木刀挿して駆けつけるよ」  航生は袴をつけた自分の腰をとん、と左手で叩いて笑った。  そんなわけで、風吹は剣道着のまま例の場所へ来ていた。  待っていたのは、風吹を殴ったその人だった。 「……蔵野、さん?」 「遠藤くん、君はよほどお人よしなんだな。それとも、蓮と関係を持ってるってことか?」 「レンっていうんですか、彼」  維幸は風吹の態度に数回頷いてから口を開いた。 「名前も知らない関係だ、と言いたそうだな」 「その通りですから。俺、全然男に興味ないし」 「だったら、どうしてあの時、蓮を庇った?」 「あー……あいつ、遠くから見ると女に見えません? 間違い? 勘違い? みたいなもんかな」 「なるほどな」  維幸は納得したようで、会話はそこで途切れた。  どうやら無罪放免のようである。  風吹は、それじゃ、と言ってそこを立ち去ろうとしたその時だった。 「遠藤!」  木立の間から、名前を呼ぶ声がして、次の瞬間にはその声の主が姿を現した。 「蓮……」  維幸がその人の名を呼ぶ。まさに、風吹が数日前に庇った女顔の男だった。 「維幸さん、遠藤は関係ないんです。俺が……俺が勝手に好きになってて遠藤はそのこと知らないんです」 「そう、そうなんですよ、何にも知らな……って、ぅええっ?」  蓮の言葉に相槌を打って終わりにしようと思ったら、予想外な言葉を口にされて、風吹は蓮の顔を驚いて見つめた。 「ごめん……遠藤。巻き込んじゃって……」  切ない目が、風吹を見上げてくる。適度に濡れたその目は男と解っていてもどきりとする。 「え、あ、ああ……」  風吹は訳もわからず頷いてしまった。  巻き込まれたのは事実である。 「維幸さん……俺、維幸さんのことホントに好きだったんです。でも、遠藤に会ってしまって……」  蓮はそこで言葉を詰まらせ、俯いた。泣いているのかもしれない。 「蓮……」  維幸がそんな蓮にゆっくりと一歩近づいた。 「殴ってください、俺のこと。だって、こんなの……自分が許せない。いっぱいいっぱい維幸さんに愛されてるのに……俺っ…」 「もういい」  一言言うと、維幸は蓮を抱き締めた。 「維幸さっ……」  驚いて蓮が顔を挙げる。  瞳からは揺れて落ちる涙の粒。  不覚にも、キレイだと思ってしまうほど、澄んだ涙だった。 「俺が悪かったんだ。お前を追い詰めるようなことをして……。蓮にだって俺よりいい男を選ぶ権利はあるよな」 「ごめん、維幸さん」  維幸の胸の中で呟く蓮を見ながら、風吹は唐突に我に返った。  ――俺、バカ面さげて男の抱擁なんぞ何で見てんだ?  アホらし……  風吹は口の中でため息をつくと、踵を返しそこを去ろうとした。 「遠藤」  すると、背中に維幸の声が掛かった。さっきから帰るタイミングを失ってばかりである。 「はい」 「蓮を、頼まれて欲しい」 「………え?」  たっぷり五秒ほど相手を凝視してから、風吹は聞き返した。 「蓮が慕う相手となら、俺はきっぱり諦められるから」 「え、あの……俺、さっきも言ったけど……」 「わかってる。ノーマルの君にいきなり蓮と付き合えっていうのも無理なんだろう。でも、蓮は君が好きなんだ。それを理解して欲しい」 いや、俺の事情も理解してください、なんて言えず、風吹は黙り込む。 「遠藤……やっぱ無理だよね……」  蓮がこちらを振り返り、タイミングよく滴をひとつ零す。女の涙は武器とか言うけど、男でもこれだけきれいだと武器になるのかと風吹は視線を泳がせた。 「えっとぉ……」  ――俺、男なんぞイケる体なのか? てか、男同士の恋愛ってどんなのなわけ? やっぱりキスとか……その先とかも、するんだ…よ、なあ……  ていうか、そもそも俺には紅音がいるし!  思考回路から煙が出るのを感じた風吹は顔を挙げて言った。 「俺、今彼女がいて、付き合うとかは無理だけど、友達とかでいい、なら……」  付き合う気はないとは言えなくて、風吹はそんな提案をする。 「遠藤……ホントに?」  蓮が表情のトーンを上げて聞く。 「あ、うん……」 「遠藤、蓮を頼むな」  維幸は、蓮の体を離すと風吹の肩を叩いてそのまますれ違った。  振り返ると、背中は木立の間に消えて行った。
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