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いつもよりも時間を掛けて戻ったアパートのドアの前に、細い肢体を折り曲げて座り込む誰かが居た。
紅音かと思ったがそれはないだろう。紅音にしては、少し大きい。けれど、女のように見えた。他にここまで来るような知り合いなどいたかと首を捻りながら、風吹は近づいた。
「遅かったね」
否、女ではない。女のような容姿をもつ男だった。
「ウチの前で何してんだよ。てか、なんで俺ん家知ってるわけ?」
座り込んだまま自分を見上げる目に問いかける。
蓮はゆっくりと立ち上がると笑って答えた。
「それは、俺が遠藤って呼んだ時点で気付いてほしかったな」
その言葉に風吹が軽く首を傾げる。
調べたってことか、と納得して、風吹はため息を零した。
「で、入れてくれる?」
「……入れてほしいから、ここに居るんだろ」
「そうだね」
「入れよ。十月ったって、もう寒いだろ」
「やっぱりお人よしだね」
蓮は笑いながら玄関へ入る。
「帰ってもらってもいいんだぜ?」
「優しいねって言ったんだよ、俺」
蓮は事も無げに言って、靴に軽く指を当ててそれを脱ぐ。
不自然に遅いその行動に、外気が部屋の温度を下げるのを感じた風吹は急かすように言った。
「早くしろよ」
とん、と軽く右手で腰を叩くと、蓮は声にならない悲鳴を上げてその場に膝を折った。
「――! ……っにすんだよ!」
振り返ったその目が潤んでいる。
「んだよ、ちょっと叩いただけじゃねぇか。男がそんなことでガタガタ騒ぐなよ」
「何もわかんねぇくせに!」
蓮は言い放って、部屋へ上がると、目の前に広がるベッドへと突っ伏してしまった。
風吹は、ため息をついてドアを閉めると、蓮の寝そべるベッドに寄った。
「……悪かった」
座り込んで、風吹が頭を下げる。
「何かなきゃ、通りすがりの俺のとこなんか来ないよな。気付いてやれなくて……悪かったよ」
風吹が頭をたれると、小さく笑い声が響いた。
「ふ、ふふふ……あはは、ホントに人がいいね、遠藤って」
起き上がって笑い出した蓮に、風吹が真っ赤になる。
「おまっ……! 帰れ、今すぐ帰れ」
「ごめんってば」
蓮が瞳に溜まった涙を拭う。
笑いすぎて泣いたように見せかけていたのは、風吹にもわかったのでそれ以上言うのをやめた。
ため息をひとつ吐いてから、台所へ向う。コーヒーでも淹れようと、お湯を沸かすのにヤカンを火に掛けた。
「遠藤、これ……彼女?」
ベッドサイドにある棚の上、シンプルな写真立てに入ったそれを指差して蓮が言った。
中には風吹と紅音が仲良く並んで笑っている写真が入っている。初めてデートした時の写真だ。
「ああ……だった子、かな」
「別れたのか?」
シンクに寄りかかりながら、蓮を見やる。蓮は既に起き上がり、写真を眺めていた。
「んー……多分近いうちに」
「どういうこと?」
「事実上の破局はしてるみたい。後は互いに判を押して提出するだけ、みたいな」
「なるほどねぇ……甲斐性なかったんでないの?」
にやにやと笑いながら、蓮がこちらを窺う。風吹は軽く笑った。
「多分ね。俺って器用かと思ったけど、意外と不器用だったみたい」
「――セックス下手で飽きられたのか?」
「バッカ、下ネタじゃねぇよ。メンタルな話してんの」
風吹は沸いた湯をインスタントコーヒーの入ったカップに注いだ。顆粒が渦を巻いて、溶けていく。
「メンタルねぇ……」
よくわかんねぇや、と蓮は呟くとベッドから降りて床に座りなおした。
一瞬、蓮の表情が歪んだ。
「……どうかしたか?」
カップを二つ手にして戻ってきた風吹がそれを見て聞く。
「いや、ちょっと怪我」
「怪我? 見せてみろよ」
風吹は言うが、蓮は思いっきりかぶりを振った。
「見せられっかよ!」
「……痔?」
「なわけねぇだろ!」
「何だよ、怒んなよ……」
カップをテーブルに載せてから、風吹は口を尖らせた。
「ノンケにゃわかんねぇんだよ」
蓮はカップのひとつを手に取って、小さく呟いた。
「ノンケとホモじゃ、何か違うわけ?」
「違うよ、全然。ゲイなら、今の俺をわかってくれる。抱き締めて、慰めてくれる」
「……なるほど」
風吹は蓮の手からカップを外すと、その体を両腕で包んだ。
「可哀想だね、蓮……」
ぽんぽん、と背中を軽く叩きながら囁く。
「……蓮って、言った?」
「あ、気安く呼ぶなとか思った?」
連はふるふると首を振った。そして風吹の背中に腕を廻して、ぎゅっと抱きついた。
「――もっと呼んで」
そんなふうに呟いて。
「蓮、今日はココ貸すから。ゆっくり休んでけよ」
しばらくして風吹はベッドのシーツを取替え、枕を直すとそんな風に蓮に言った。
「遠藤は?」
「俺はその辺転がるからいいよ」
その言葉に蓮の表情が翳る。
「それは、申し訳なさすぎるよ」
「いいよ。怪我人なんだろ」
「じゃあ……半分返すよ」
「……っても、大の男二人がシングルには納まらないだろ」
風吹は、改めて自分のベッドをみやる。極一般的なシングルベッドだ。
「俺、標準より小さいし、遠藤も縦長体型だろ。平気だよ」
「けどなー……」
風吹が渋ると、蓮がその目を見て呟いた。
「ホモと同じベッドで寝るの、嫌か?」
「俺、そんな偏見あるように見える?」
「けど……」
「大体な、襲われるかも、とか乙女な発想できてたらまず部屋になんか入れないっての。解ったか」
「まあ、そうだな」
「今夜は一緒に寝てやるよ、ガキ」
「……今日は許すけど、次にガキなんて言ったらぶっ倒すかんな!」
「はいはい」
不機嫌な表情の蓮に対し、風吹は笑って軽く答えた。
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