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「──ディア・イム・ミルファイア! 余はこの場で君との婚約を破棄することを宣言しよう!! 大罪を犯した者を王妃にはできるものか!!」
エボルシオン王国第一王太子レックス・ブルー・アドラシオンは国中の貴族達の前でそう宣言した。エボルシオンの国宝である聖剣を盗んだ婚約者を断罪する為に。
婚約破棄を宣言された当のディアは自分の地位の剥奪が決定したというのに眉一つ動かさない。そんな彼女を周囲は「まるで魔女だな」と気味悪がる。レックスの父親でありエボルシオン現国王であるアレスが追い打ちをかけるようにディアの死罪を宣言した。レックスの傍らに寄り添うアンジュが場の雰囲気に怯えているのか身体を震わせている。レックスはそれに気づくと、そんな彼女を胸に抱いた。そして唖然として自分達のやり取りを見守る貴族達に目を向ける。
「皆の者、突然このような茶番を見せつけることになってしまってすまない。そして聞いてほしい。このディア・イム・ミルファイアという女の大罪を! まずは一つ、このディアは王妃候補に相応しい地位だけではなく、突出した炎属性の魔法の才能を持っていたことで余の婚約者となった。しかしその彼女の正体は大量の魔物の血を飲み続け、魔力を得ていたに過ぎなかったのだ! ……そうだな? アンジュ」
ざわっと観衆が一斉に騒ぎ出す。レックスは傍らのアンジュに視線を戻した。ディアとレックスと同じ魔法学校に通っているだけのたかが平民の彼女は非常に場違いな存在だ。しかし彼女はディアが魔物の血を飲んで魔力を得ていることをレックスに密告した本人である。さらにそのことをきっかけに交流を深めた今ではレックスにとって密かに心惹かれる存在でもあったのだ。アンジュは必死に声を張り上げる。
「はい! 本当です! 私は、真夜中の校舎でディア様が魔物の血を啜っている場面に遭遇しました。ミルファイア家の従者がこっそりと魔物の死体をディア様に定期的に届けていたのです!」
「このことは余も確認済だ。信じられない者は後で詳しい記録を公開するので読むように。ただ一つ言えるのは、余とアンジュの証言が“本音薬”を飲んだ上でのものだということ!」
本音薬。その単語に、より観衆が騒いだ。それは飲んだ直後に問われたことには嘘をつくことができない魔法薬のことである。故にあられもない噂や情報操作が蔓延るこの貴族世界で信憑性の決定打となりうる代物。ディアへ、貴族達の敵意が一気に向けられた。しかしそれでもディアは眉一つ動かさない。いや、それどころかニタリと笑ってみせたのだ。レックスはそんな彼女に後ずさる。
「な、何がおかしい!」
「あぁ、すみません殿下。私としたことがつい。どうぞ私への断罪を続けてくださいな」
「くっ、気味が悪い……。こほん。それでは二つ目のこの女の大罪だ! この女はあろうことか我らが国宝である聖剣を盗んだのだ!! しかもその聖剣の在処を知らないと言い張っている。勿論本音薬を飲ませ尋問したが、彼女は己の炎魔法で喉を焼くという奇行に走った。故に聖剣が今どこに在るのか正確には分からない。しかし安心してほしい。父上が言うには聖剣には意思があるという。必ず、再び勇者である父上の元へ帰ってくることを誓おう!」
歓声がヒートアップする。レックスは大声を出したことにより、顔に熱が篭もった。達成感を覚え、くいっと口角を上げつつディアを見る。ディアは相変わらず真顔であった。そんな彼女にレックスは思わず舌打ちが漏れる。するとそこで国王アレスが立ち上がった。ゆっくりと拘束されているディアの下へ近づき、彼女を見下ろす。
「──もういいだろう、レックス。おい、この魔女をさっさと牢獄へ連れていけ。明日の正午、我の名の下にこのディア・イム・ミルファイアを処刑する。……自分だけ先にさっさと自殺した父を恨むんだなディア。我は君に期待していたというのに残念だよ」
「……よく言いますわね陛下、自分の罪を人に押し付けておいて」
「っ!!」
ディアがボソリとそう呟いた。レックスはそんなディアの言葉に眉を顰める。一方アレスは顔を真っ赤にして、ディアの頬を強く掴んだ。
「貴様っ、この我にっ!! 勇者であり国王である我に今なんと言った!!」
「っぐ、」
アレスの突然の激昂に違和感を覚えるレックス。慌ててアレスの名を呼べば、アレスは我に返ったような表情を浮かべてディアから離れた。そしてわざとらしく咳をすると、気を取り直してディアを牢獄へ連れていくように兵士に指示する。ディアは連行されることに抵抗しなかった。そのまま大人しくレックスの横を通り過ぎる。
そして──その際に、一言。
「──どうか、長生きしてくださいね殿下。今まで必死にエボルシオンの為に努力してきた貴方に、幸あらんことを」
「…………っ!!」
レックスは唖然とした。すぐに振り向く。ディアの小さな背中が見えた。ぞわぞわ、とディアの言葉が反芻するレックスの中で何かが蠢き始めたのだ。
──止めろ、彼女を死なせるな。
──馬鹿野郎、何を黙って見ているんだ!!
心の中で、己を叱る声が聞こえる。レックスは自分の異変に気づきながらも、自分の傍らに寄り添うアンジュが不安げに自分を見上げていたことから、それを知らないフリをした。彼女に心配をかけさせたくなかったのだ。大丈夫、余は正しい。ディアは罪人なのだ。そう何度も自分に言い聞かせる……。
「──兄上? 大丈夫ですか?」
レックスが次に我に返った時には、レックスは実の弟でありエボルシオン第二王子のヘクトルに顔を覗きこまれていた。窓から見える暗闇が既に現在が夜中であることを告げている。ヘクトルは無垢な瞳でレックスを心配そうに見上げていた。どうやら彼は昼間から顔色が悪かった自分を心配してこんな遅い時間に部屋に訪ねてきたらしい。
「あぁ、大丈夫だヘクトル。心配をかけてすまなかったな。もうお前は寝るといい。おやすみ」
「はい兄上! ……その、ディア様のことはどうかお気になさらずに。兄上はエボルシオンの為に当然の断罪を行っただけですから!」
「……。……あぁ、そうだと、いいな」
煮え切らないレックスの返事にヘクトルは首を傾げた。レックスはそのままヘクトルを半ば強引に部屋から追い出す。一人になった私室で、ベッドに沈んだ。昼間のディアの言葉がレックスはどうしても頭から離れなかった。
──『どうか、長生きしてくださいね殿下。今まで必死にエボルシオンの為に努力してきた貴方に、幸あらんことを』
──あれは一体どういうつもりなのか。嫌味には思えない優しい声色だった。
──いや、意味などない。ただ最後の余への嫌がらせとして、余を惑わせるための戯言だ……。
──そう、きっとそうに違いない……そうに、決まってるのだ……。
レックスは瞼を閉じる。どういうわけか、あれほど無表情に見えた断罪の際のディアの顔が彼の記憶の中で必死に涙を堪えながらも冷静を装っているようなものへと変貌していた──。
***
翌日の正午前。もう少しでディアは処刑される。……だというのにレックスは断頭台がある広場に行く勇気が出なかった。昨晩から一睡もできず、重い倦怠感に襲われる。頭の中ではずっとディアのことを考えていた。勇者であり、国王である父親にコンプレックスを抱いて今まで苦しんできた自分を支えてくれたのは一体誰だったか。散々八つ当たりをしても黙って己の傍にいてくれたディアの温もりは今だってはっきり思い出せる。それに対して自分は彼女に何かしてあげられたのだろうか。彼女は魔物の血を定期的に啜っていたのは事実だが、本当にそれは彼女自身が望んだことなんだろうか……。本当はレックスの側近候補であるオディオの家を敵対視している彼女の父親が強制的に飲ませたものではないのだろうか。魔力を持たないディアがオディオ以上の魔法使いになるにはおそらくその手しかないのだから。
──いや、惑わされるな。
──どちらにしろディアは国宝を盗んだのだ。処刑は免れまい。
──しかし聖剣の在処が分からない今、ディアの真意が分からない。その真意を聞き出すまで処刑するのはまずいのではないか? 父上もどうしてあんなにディアの処刑を急いでいるのか……。
──と、レックスがそこまで考えると私室のドアがノックされた。ドアの向こうにいたのはレックスの側近候補のオディオ・アゴニー・ヘイトリッドだ。オディオは恭しくお辞儀をすると一通の手紙をレックスに渡す。
「レックス殿下。こちらを」
「? 余に手紙か?」
「……、ディア・イム・ミルファイアからです。たった今、これを殿下に渡す様にと」
「っ!!」
レックスは目を丸くした。つまりこれはディアの遺書ということになるのだろう。どんな自分への恨み言が書いてあるのかと手が震える。オディオが眉を顰めた。
「申し訳ございません殿下。やはりこの手紙は僕が処分しておきま──」
「いい。余はこれを受け止める義務がある。……礼を言うぞオディオ」
そう言ってドアを閉めた途端、レックスはソファに腰を沈める。そしてため息を溢し、昂る鼓動を感じながら手紙の封を開けた──。
「……は?」
手紙を見た瞬間、レックスはポカンとしてしまう。何故ならその手紙は──解読不能な文字で書かれていたからだ。何度も何度も最初から読み直してみるが、やはり理解できなかった。理解は、できない。だが──どこか、懐かしくもある。特に一番最初に書いてある「優馬」の二文字。
「ゆ、う……ま、へ?」
そう無意識に口にした自分自身に驚いた。そして確信する。知っている、と。この解読不能な言語を自分は知っていると。それに気づくと次第に脳が書かれた言語の意味を勝手に翻訳していく。レックスは、言葉を失った……。
【優馬へ
もし、貴方がこの日本語の手紙を読めたとするならば、貴方は前世の記憶を思い出してしまったのでしょうか。この手紙から分かる様に、これを書いた私は貴方の知るディア・イム・ミルファイアではありません。日本という国で前世の貴方に恋をしていた“彫芳咲”です。そしてこの手紙の宛先もレックス・ブルー・アドラシオンである貴方ではなく、前世の私の幼馴染であり恋人である“加藤優馬”である貴方へ向けてです。
……どうして貴方が加藤優馬の生まれ変わりだと分かるのか疑問に思いましたか? そりゃ、一応十六年以上貴方の傍で片思いをしてきたのだから分かります。照れくさい時の癖だとか、苦手な食べ物の傾向だとか、プレッシャーに弱いところだとか……他にも数えきれないくらい、貴方には加藤優馬の片鱗が見えるのです。だからこそ私は、この手紙を書きました。自分が狡くて残酷なことをしているのは百も承知です。でも、それでも私はもし貴方が前世の記憶を思い出した時のために私の想いを遺しておきたかったのです──】
手紙は続く。その後の手紙の内容も衝撃的な内容だった。それは「どうしてディア・イム・ミルファイアが聖剣を盗んだのか」というレックスが抱いていた疑問の答えであったのだ。
結論として言うのならば、ディアは聖剣を盗んだわけではなかった。
聖剣を解放したのだ。
レックスの実の父親でありエボルシオン国王であるアレス・ブルー・アドラシオンは若い頃、聖剣という聖遺物を手に入れた。聖遺物とは神が天界から落としたとされる神聖なものであり、人間の想像を超える力を秘めている。そんな聖剣を手に入れたアレスは人間と長年に渡り戦争を繰り返してきた魔族の王打ち倒すことに成功する。英雄アレス。その言葉が大陸中で謳われるようになった。
──彫芳咲によると、そんなアレスは聖剣を手にした時に聖剣ととある契約を結んでいたという。
それは“魔王を討ち滅ぼした際には人気のない森の中に祠を作り、そこに聖剣を眠らせること”だった。しかしアレスは知っての通りそうはしなかった。他国に奪われることを恐れ、その力を封印した上で城の玄関に仰々しく飾ったのだ。その方が貴族達に自分の権威を見せつけられるから。アレスは聖剣との約束を破った。故に聖剣はそんなアレスに憎しみを抱いている──らしい。
「しかしどうしてそれをディアが知っているのだ……」
そう、疑問なのはそこだ。どうして彼女がそれを知ったのか。その疑問の答えも当然書かれていたのだが──その答えも、レックスの常識を遥かに凌駕していた。
【私は、一度死にました】
手紙にはこう記されていた。意味が分からない。手紙を読み進める。
【私は、一度死にました。私の断罪の数日後に行われる貴方の十六歳の戴剣式で聖剣に殺されたのです。戴剣式で、聖剣を国王アレスから受け継いだレックス・ブルー・アドラシオンの身体に復讐の機を窺っていた聖剣が憑りついたのです。貴方は聖剣に操られ、全てを殺します。その時城にいた者を全員殺します。国外追放を言い渡され、地下の牢獄にいた私ですら殺されました。私を殺した際、貴方の顔はとても酷いものでした。守るべき民や家族を殺した罪悪感で気が狂っていました】
レックスは、息を呑んだ。
【だから私は──貴方に誓いました。“必ず、貴方を救う”と。死んでもなお、私はひたすら祈り続けました。私の大切な人を救うチャンスを与えてくださいと願い続けたのです。そうして、私は──】
──気付けばその記憶を引き継いだまま、断罪される数日前の自分に戻っていたのです。
その文章を読んだ瞬間、レックスは手紙を握りつぶした。気付けば自分が泣いていることに気づく。嗚咽が漏れて、ようやくレックスが口にしたのは、
「──馬鹿だろ、」
の、一言だった。
「それならなんですぐに逃げなかったっ。断罪されるのも、その後の戴剣式で殺されるのも分かっているというなら何故ひっそりと逃亡しなかったんだ! どうせ俺を騙すための作り話なんだろ。証拠も何もないくせに! そんな小説みたいな話、誰が信じるものか!! ……はは、俺も俺で何を泣いて──、あれ……俺?」
自分の異変に気付くレックス。涙が止まらない。身体が叫んでいる。止めろ、と。彼女を死なせるな、と。レックスは部屋を飛び出した。道中でオディオと出くわしたが、無視をする。足を止めるなと怒号が頭の中で響いたからだ。喉に血の味が滲むのを感じながら、広場へ足を踏み入れる。民衆達の隙間を割って、ようやく断頭台の真正面へたどり着くと──
──丁度、ディアの頭部が台に転げ落ちた瞬間だった。
「あ、ああ、」
レックスは震えた。
「あ、あああああああ、あああ、ああ、ああ、あ、あ──!!!!」
なんて残酷な話なのだろうか。
失った直後で、思い出すなんて。
前世の自分──加藤優馬の、記憶を。
前世で自分には大切な、人がいた。
誰よりも隣にいてくれた人。誰よりも自分を愛してくれた人。
そして誰よりも──自分が愛した、女。
「──咲ぃいいいいいいいいいいいっっ!」
混乱する兵士を殴り倒して、レックス──否、優馬は彼女の身体と生首を抱きしめた。冷たくなったそれらは何も言わない。それに一番優馬の心を抉ったのはその生首の表情が慈愛に満ちた笑みを浮かべていたことだ。ディア──否、咲の言葉をもう一度思い出す。
──『どうか、長生きしてくださいね殿下。今まで必死にエボルシオンの為に努力してきた貴方に、幸あらんことを』
あの言葉の意味を、今なら理解できる。彼女は優馬が聖剣に呪われることがないように聖剣を解放しただけに過ぎない。優馬を救ったのだ。自分だけで逃げることができたのにも関わらず、彼女はそうしなかった。断頭されることなど容易に予想できたはずなのに──。
「馬鹿だなぁお前は。ほんとに、前世でも頭悪かったけどさぁ。ここまで俺の為に馬鹿になるなよ……っ!! ちくしょう、ちくしょうぅっっ!!!!」
拳を地面にぶつける。何度も何度も。記憶を思い出した今、自分が彼女に本当に何もしてやれなかったことが浮き彫りになる。魔物の血なんて不気味なものを咲が好んで飲むはずがない。だが、咲が優馬の傍にいる為にはそうするしかなかった。婚約者であったはずなのに、自分は彼女に与えられてばかりでそれが当たり前だと思っていた。そんな自分を殺したくてたまらない。
──と、ここで優馬はあることを思いつく。
咲が、「死後なお祈り続ければ、やり直しのチャンスを得られた」ことを思い出したのだ。
──それならば、それは俺にも出来るのではないか?
──確証? そんなものはない。だが可能性はある。それだけで十分だ。
「──咲、お前に誓うよ。俺はもう一度、やり直す。そして今度は俺がお前を救って、お前が幸せになる未来へお前を導いてみせるさ」
兵士が落とした剣を手に取る。観衆から悲鳴が上がった。
そして優馬は、その剣を己の胸に向けて──。
***
「──殿下。あちらが例の屋敷でございます」
「あぁ、だろうな」
コソコソと泥棒のように周囲に警戒し、茂みに隠れる。そんな王太子ならぬレックスの行動にオディオはため息を溢した。
「はぁ、一体どうしたというのです陛下。ディア様を断罪したと思ったら、その日の夜にアレス陛下とお話されてディア様への刑罰を死罪ではなく王都追放へ変更してもらうなど……。一体全体どんな心変わりで? アレス陛下もよくその要求を認めましたね。どんな説得をしたんですか」
──結局、レックスもとい優馬はやり直しすることができた。
あの後、ディアを断罪した日の夜中──つまりは弟のヘクトルとの会話している自分に転生していたのだ。咲の言う通り、やり直しは可能だった。それをすぐに理解した優馬はヘクトルとの会話を中断し、すぐさまヘクトルを連れてアレスの寝室へ向かったのだ。そして彼にディアの死刑を取り消す様に要求。その代わりに「アレスが聖剣の怒りを買ったことを黙った上で、自分が聖剣を見つけ出し誠心誠意謝罪すること」を提案した。アレスは意外にもあっさりこれを受け入れた。何故ならレックスがアレスと聖剣の関係を漏らしてしまった場合、自分の名誉を傷つけるだけではなく、アレスが原因で聖遺物という得体のしれないものが国の敵になってしまったことが公に晒されてしまうのだ。アレスは己の自伝を本にしたり、民の前で魔族を倒してみせたり、まるで自分の玩具を自慢する子供のように聖剣の強大な力を散々国に示してきた。今はそれが仇になった。その強大な力が自国に向けられるかもしれないと分かった国民はアレスをどう思うだろうか。本音薬というものがあるが故に余計に逃げられないとアレスは理解したようだ。それにアレス自身、毎晩聖剣の恨み言満載の悪夢に悩まされていたり、聖剣の前を通る度にその声が聞こえていたりと聖剣に恨まれている自覚があったのも勝因の一つといえる。
翌日、アレスは優馬との約束通りディアを死罪ではなく王都追放へと変えた。咲は優馬も信頼できる辺境の貴族の家へ使用人として引き取られたのだ……。
ちなみに、現在はその半年後である。明日、優馬は聖剣探しの旅へ出ることになっていた。その前に咲の顔を見ておきたかったのだ。自分が「加藤優馬」の記憶を思い出していることを優馬は咲に話してはいない。咲には一度彼女を救えなかった自分など忘れて、他の人間と幸せになってほしかったからだ。自分に咲と幸せになる権利などあるはずがないというのは優馬自身が一番理解していた。
「それで、ディアはどこにいるんだオディオ」
「はぁ。殿下の心が僕には分かりません。殿下はてっきりアンジュ様に心を寄せていたように思っていましたが」
「ははは。そうだったかな。でもこれから俺の心はたった一人に捧げることにしたよ。そう決めたんだ」
「はぁ……」
オディオは理解できないと言いたげな様子だった。それが当然の反応だろう。優馬は自分の心は自分だけがはっきり分かっていればいいと微笑んだ。
「なぁオディオ、このまま待っていても埒が明かない。中庭へ行ってみよう。ディアが見えるかもしれん」
「……仰せのままに」
ところが中庭には誰もいなかった。この屋敷の主自慢の花園が広がっているだけだ。しかし妙なのは人気がなさすぎること。こんな広い花園には庭師の一人や二人、いそうなものだが……。
「殿下。あそこに──」
「ん?」
オディオが示した先にいた花園を歩くメイド達は白い蝶のようだった。レックスは思わず目を凝らす。その中には──ディアの深紅の髪も揺れている。他のメイド達と楽しそうに会話している彼女の後ろ姿に優馬は胸を撫で下ろした。
──なんだよ驚かすなよ。何かあったのかと思ったじゃないか……。
しかしそこで、オディオが優馬の腕を掴む。その顔は酷く引き攣っていた。優馬の鼻が微かに腐臭を感じ取る。ハッとした。
「──おい!!!」
メイド達が優馬の声に振り向く。
そして、唖然。
メイドの一人は目玉が垂れ落ち、一人は頬の肉が削ぎ落されている。そして最後にディアもとい咲は──
「さ、き……?」
「…………、」
顔全体が焼けただれていた。優馬は思わず吐き気を催す。優馬とオディオに気づくなり、メイド達は糸が切れた操り人形のようにその場で事切れてしまった。すぐに咲に駆け寄る優馬。
「さき、さき!! なんで、なんでこんなことに……っ」
……と、その時。必然とも言えるこのタイミングで優馬の頭に前世のとある記憶が流れ込んできた。
それは優馬と咲が死ぬ直前の記憶。二人きりの学校の帰り道での会話──。
──『最近さ、ウェブ小説でループものとかやり直しものってのが流行ってるよね。ほら、死んだら過去に戻っていて、自分の未来を変えるためにやり直していくってやつ。私そのジャンルのこの作品好きなんだ。優馬も読んでみてよ』
スマートフォンの画面をそう見せてくる咲に優馬はコンビニで買った肉まんを齧る。
──『俺もそういうのは好きだが……実際自分が主人公になったらって考えると怖くないか? 死んでも終わりがないなんてよ』
──『それは分かるけどさ。でも、この小説の主人公はそれでも守りたかった人がいるから何度も何度も死んでやり直すの! 私はこの主人公、すっごく好きだな。ヒロインを本当に愛してるんだって画面越しに伝わってくるから』
咲はうっとりした表情を浮かべた。そんな恋人に少しだけロマンチックな台詞を吐いてみたいというお年頃な感情が疼いた優馬は、
──『俺だって、咲がヒロインなら何度ループしたって救ってやりたいと思うよ』
……なんて、こっぱずかしいことを言ってみる。咲はそんな優馬に腹を抱えて笑った。顔が熱くなり、後悔する優馬。涙目の咲が優馬を見上げる。
──『ぶっくく、優馬にそんな根性あるわけないじゃん!』
──『はぁ!? あるわ!! 何度死んだってお前のハッピーエンドまで諦めねぇよ俺は! 神に誓ってな!!』
「神に誓ってなんて、俺が軽はずみで言ったから、こんなことになったのかな、咲……」
動かないディアの身体。そこに宿っていたはずの咲の魂ももうそこにはいない。ポタポタと彼女の無残な状態の顔に優馬の涙が滴り落ちていく。
──もしかしたら神なんてのが本当にいて。俺の冗談交じりの台詞を本気にして。俺と咲を試しているのだろうか、なんて。
──それならばもし俺がやり直しても、咲はこうして死ぬ運命なのかもしれない。そう、それこそ本当に“ループ”だ。何度も何度も、神とやらの気が済むまでこの絶望は続くのかもしれない。
「ごめんな、咲。……本当に、ごめん」
優馬はぎゅっとディアの身体を抱きしめた。そして己の中から次々と溢れてくる感情を押し殺しながら、唇を噛みしめる。
「──大丈夫だ、俺は有言実行する男だよ。お前をハッピーエンドに導くまで何度でも何度でもやり直すから。そしてお前が幸せだったと微笑みながら寿命を終えたところで、このループは終わるんだ……」
次に優馬が死んでもやり直しができるとは限らない。だというのにどこかで「諦めない限りは何度でもやり直しは出来る」のだと確信している自分がいるのだ。ひとまず今は、次の“やり直し”へ向けてどうして咲がこんな状態になってしまったのかを探る必要がある。
優馬は涙を拭い、立ち上がった。フラフラと頼りない足だけれどまだ走れる。そうして一歩一歩を噛みしめるように歩き出したのだった……。
《了》
***
只今「黄金の魔族姫」という婚約破棄された聖女がどういうわけか魔王の娘になることになって、チートな治癒魔法を極めたり、落ちこぼれと馬鹿にされ続けた王子と恋に落ちたりする物語書いてます。かなり面白いので、気になった方は覗いてくださると嬉しいです。
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