眺望魚

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 それにしても、ループの度に現れる、『黒い海』については閉口しました。私が孵化してから50回目の食事を終えるころに現れるのが『黒い海』です。  体にまとわりつく、べとべととして、息ができなくなる、タールのような、『黒い海』。その海に触れた生き物は、すべてが死に絶えます。私も例外ではありません。私の命は、何度もその『黒い海』によって台無しにされてきました。  『黒い海』が突然現れる海域と、私が生きる海域は、どうやら一緒のようなのです。突然現れる『黒い海』はかなりの広範囲にわたるらしく、私がいくら移動しようともそれは追ってきました。  ならば、と通算何回目のループになるかわからない私は思いました。あの海から逃げ切って見せよう。  稚魚の段階から、少しずつ私は生息する海域を東へ、東へと移動することにしました。つまり、エサのある安全な海域から動かなくてはならないということです。  稚魚の私に身を守る術などありません。何度も私はやられました。『黒い海』ではなく、他の捕食魚によって、です。  何度も喰われて死に、温度変化で死に、浜辺に打ちあがられて死にながら、私は計画を変更しました。  稚魚の段階で、大移動を行うなど無謀な話です。ならば、ある程度体を大きくしてしまえばいい。そして、あの『黒い海』がやってくる直前に、一目散に東へ泳ぎ出してしまえばいいのです。そのころには私の体はある程度大きくなっているので、小エビサイズの捕食者に怯える必要などありません。  『黒い海』から逃げ切るタイミングを計るのには苦労しました。ある時は遅すぎて『黒い海』に巻き込まれて死に、ある時は早すぎて成長しきっておらず、道中で捕食者に喰われてしまうのです。  それでも何度も、いえ何百回も繰り返すうちに、ようやくタイミングがつかめてきました。スタート地点は、私が孵化した岩の影。稚魚の段階から数えて食事が50回終わり、月が満ち、波の力が大きくなる夜、私は一目散に東へと泳ぎ出します。  同じタイミングで逃げ出した、他の『私』の姿も見えます。ある『私』は小さすぎ、ある『私』は遅すぎ。  そして背後から轟音が聞こえ、『黒い海』がゆっくりとその腕を伸ばし始め、後ろを泳いでいた私が何匹か巻き込まれ、それでも私は一目散に泳ぎます。  私はこの目で、その『黒い海』の正体を見ました。あれは水ではありません……もっと、別の液体です。例えるなら、……そうですね、他の魚を喰った時に、口の周りから漏れるもの。人間の言葉で言うと、何でしょう。あれはそう……油です。  ある日突然、どす黒い油が、我々の海域を覆うのです。そんなものが私の体に憑けば、動きは鈍くなり、呼吸はできずに死んでしまうに決まっています。私は逃げます。『黒い海』が追ってこなくなっても、一目散に逃げ続けます。  とにかく、何千回目かのループで、私は『黒い海』から逃げ切りました。勝ったのです。  といっても、逃げ切った先の海域でも、私のやることは変わりません。海底に身をひそめてエサを食べ、体を大きくする。新たな海域に逃げ込んでもなお、もっと大きな魚に食べられて命を終えたり、ある時は人間に捕まって捌かれたり。何度も何度も、それを繰り返しました。  ある時のループの私は、人生でなすべきこと遂げたことがあります。卵を産んだのです。その時の私はメスでした。ご存じ、眺望魚のメスと言うのは、卵を産むと寿命を迎えて死にます。そういう生き物なので。  自分が孵化した場所に似た、大きな岩の影を見つけると、私はそこに卵を産み落としました。そうして母親になった私はしばらくの間、文字通り憑き物が落ちたようにふらふらと泳いでいました。が、そのうち海の底に力尽きました。これが、私が何億回もループした中で、一番の意義のあるループだったでしょう。  ……目覚めると、私はまた稚魚でした。一瞬、何もわからなくなりました。私は、何のためにループを繰り返しているのか?私は本当に稚魚なのか?もしかすると、先ほど生んだ、自分の卵から目覚めたのではないか?  しかしそうではありませんでした。海流は流れ、サメは襲い掛かり、海の底は冷たく、我々稚魚にとっては地獄、いえ、きっと地獄のほうがもっとましでしょう。  深く考えこまずにはいられませんでした。卵を産んでなお、次の世代に命を託した後でさえも、どうしてループを繰り返して、生きているのだろうかと。  それからの私は、しばらくのループを、放心状態で過ごしました。何の目的もなく、その場にフワフワと浮かび、喰われるだけ。何も食べずに餓死してたこともあります。そんな無意味な生をしばらく味わいながら、私の心の奥底には、ふつふつと1つの疑問がわいてきたのです。  この海域を襲う、私が逃げ切った、あの『黒い海』の正体は一体何だったのでしょうか。サメやクジラではないことは確かです。それでは小魚の群れでしょうか?いいえ、違います。あれは液体、無機物、生物ではないのです。  私はあの黒い海の正体を探ることにしました。
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