眺望魚

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 眺望魚。海の底に3億ほどの卵を産み、そして死んでいく魚。稚魚が成魚になる確率は、わずか0.0001%と言われています。……そう言われましても、いまいちピンとは来ないですね。なにせ、当事者なもので。  深い海の底をよく覚えています。視覚ではなく、嗅覚で動かなければならない場所です。おそらく、人間が見ている海の底と、我々が見ている海の底は、かなり違った様相をしているはずです。  それに比べて、ここはずいぶん明るいですね。いささか、私の目には明るすぎます。私は今、陸に居ながら、海にいるのでしょう? 何と言いましたっけ……海洋……研究所? の……そう、水槽? というのでしたっけ。ええ、水槽の中は快適ですよ、とても。  人間というのは面白いことを考えるのですね。他の種族と会話をしようだなんて。我々だったら、他のウツボやイソギンチャクと会話をしようとは思いません。第一、話したところで何の利益があるというのです。  ああ、でも。あのシラウオの群集する様子と言ったら、どういう思考で動いているのか全く見当は付きませんし、我々のエサである小エビどもが、どのような考えで逃げているかを知ることができれば……そうですね、我々の狩りも楽にはなるのかもしれません。  あなた方人間も、そのような思惑で、我々と会話をしようと思ったのですか? いやはや、変わっていますね。第一、あなた方は陸の生物で、我々は海の生物ではないですか。  あなた方は私に『知性化』を施したと言います。私は魚の身でありながら、人間と同じような知性を得たのだとか。しかし、そもそも『知性』とはなんですか? 私には理解しかねます。が、何か私の身に、今までとは違う何かが起こったということ、それはわかりますよ。  ああ、そうでしたね。本題に入りましょう。あなた方人間は、我々『眺望魚』について知りたいのだとか。  確かに人間から見れば、我々眺望魚は変わった魚でしょうね。ほほう、これが眺望魚の図鑑の説明とやらですか。『未来を読む魚』……。なるほど。  津波が起こる海域を予知して大移動を行い、稚魚の段階から安全な場所を事前に認知。天敵であるタコの動きをいち早く察知し、サメと戦う際は、『未来を読むかのような』回避行動を行う。  かねてから人間の科学者たちは、眺望魚のこの行動を不思議に思っており……そこにきて、この、『動物の知性化』が開発されたわけですか。つまり、眺望魚自身にこの『未来予知』の行動を説明させようと。なるほど、そういうわけでしたか。  それではお答えします。隠すようなものでもありません、答えは簡単です……実際に、我々眺望魚には未来がわかっているのですよ。  我々は3億もの兄弟とともに生まれます。しかし、言い換えればこうです。3億とも、すべて私なのです。私は我々で、我々は私。3億匹の稚魚は、すべて私の自我を持っているのです。  説明するとこうです……。ある1匹の、孵化したての稚魚がいます。その稚魚は、海の波にあおられてしまいました。海底に流されてしまうと、哀れ、1匹のエビに食べられてしまいました。おしまい。  さて、次に目覚めると、私また3億もの同胞とともに、孵化しています、。さっきのは夢だったのかしら、だなんて思いながら私は泳ぎます。    群れから離れると波にさらわれてしまうことが分かったので、今回は皆とはぐれないように泳ぎます……しかし、目の前には大きなサメが現れました。哀れ、私は他の同胞とまとめて食べられてしまいました……おしまい。  次に目が覚めると、また孵化したシーンです。私は死の度にずっとループを行っているのです。死ぬたびに、別の個体として目覚めるのです。  皆と泳いでいると、まとめてサメに食べられてしまうと分かった私は、策を練りました。ある程度の大きさになると群れから外れ、岩の底にじっと見をひそめます。この作戦は成功しました。何度かの食事を行い、私の体は、稚魚とは言えないような大きさの体に成長していました。  ある朝、なにか光るようなものを見つけ、不思議に思いながらそれを口に含むと……それは釣り針でした。私の口には針金が喰い込み、問答無用で海中から引きずり出され、何か、立ち上がるような大きな生物が、大きくて鋭いものを振り上げ、それが私のえらに食い込み……その時の記憶はそれまでです。  さて、次に目が覚めるとまた孵化のシーンです。私の身は一匹の小さな稚魚で、いつもここからスタートするのです。  そうです、私は記憶を保持したまま、ずっとずっと孵化のシーンからループしているのです。群れからはぐれ、エビに喰われた『過去の私』を私は見ました。群れから外れ、岩の底へもぐって行った『過去の私』を、私は見ました。また、ある時は、運悪く失敗し、せっかく記憶も知識もあるのに、稚魚の早い段階で喰われ、そこで終了してしまったこともあります。  ずっとずっとループを繰り返しました。ある時の私はサメと激闘を繰り広げ、その傷が元に死に。ある時は津波に巻き込まれ死に。ある時は釣り人に吊り上げられて死に、ある時はプラスチックを誤飲して死に。  死の度に、私は学習しました。眺望魚が未来を読む魚と言われる所以はそれです。私には未来がわかっているのですよ。
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