悲劇の案内人

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悲劇の案内人

 私は泣き声や悲鳴がよく聞こえる。たとえその人が表に出さなくとも、私には聞こえる。これは私にとって生まれつきのことであり、当たり前のようなものだ。  なぜ当たり前なのか?まずは私についてから話を始めることにしよう。               * * * * *  私の名前はトラジェディ。年齢はもう覚えていないが、長く生きていることは確かだ。  もしかしたら私の格好について聞いたことがあるかもしれない。私はいつも茶色のトレンチコートにハット帽を被っている。そして左手には長年愛用しているトランクケース。これが仕事をする時の私の格好だ。時折、私の格好を見て不思議なことを言う人がいる。宇宙人を捕まえてそうだとか訳の分からないことを言うのだ。  そんな格好をして私がする仕事、それは〝案内人〟だ。だが案内人といってもただ案内するだけではない。意味が分からないという人もいるだろう。分かりやすく言えば、保険会社の営業マンといったところだろうか。  だが私が営業するのは保険ではない、〝悲劇〟だ。様々な人に悲劇を提供して案内する、それが私の仕事だ。なぜそんな仕事を?と私はいつも聞かれる。それに答えるためには私が生まれた時のことまで遡ろう。               * * * * *  私が生まれた家は、代々悲劇にまつわる仕事をしていた。悲劇を世界に向けて提供していたのだ。父や母、そして兄も、一家揃って悲劇にありふれた環境で生活していた。  そんな家に生まれたものだから、私には悲劇があるのが当たり前だと思っていた。物心つく前から、そばには常に悲劇があったのだ。遊ぶ時も食事の時も、そして寝る時も私の隣には悲劇があった。私は悲劇と共に育ったのだ。  そして私もそれなりの歳になると、社会に出る時がやってきた。当時、初めて出た社会というものに私は気分が舞い上がっていた。広い世界に、沢山の人々、私の目に映るものはどれも新鮮で、その世界でこれから暮らしていくと考えるだけで心が躍った。  私はいよいよ、そのとてつもなく大きな世界を相手に仕事を始めた。  その仕事が〝悲劇の案内人〟だ。  私より先に社会に出ていた兄とは違う仕事ではあったが、両親の強い勧めもあり、〝悲劇の案内人〟をすることに決めたのだ。親しみがある悲劇を取り扱うものだったので、私は何も抵抗なくその仕事についた。  だが最初はあまり上手くいかない時もあった。悲劇を欲しているとは言うが、いざ案内をしようとすると拒絶する人がいたり、何も知らないくせに口だけは達者で、ただ悲劇という言葉に酔いしれたかった奴もいた。  そいつらを相手にするのは大変苦労したが、あまりそのことについて考えることはやめ、問答無用で案内することにした。一度契約してしまえばこっちのものだ。今更引き返すことはできない。  そうした心意気で仕事に臨むだけで、私の心は晴れやかになった。その後は仕事も順調にいき、私の業績はどんどん上がっていった。  私は様々な人々を悲劇に導いた。親友の手によって家族を殺された、恋人に騙されて借金を抱え全てを失ったなど、案内した悲劇は様々だ。  私は順風満帆の人生を送っていた。だが一人の男が現れてから、雲行きは怪しくなった。その男と出会ったのは、私が悲劇に案内をし終えた後だった。ソイツはいきなり後ろから私の肩を叩いたのだ。 「あなたがトラジェディさん?どーも、僕、コメディっていいます。今日からこのエリアで喜劇の案内人をすることになりました」  何だコイツは?随分とへらへらしている。それが私のコメディの第一印象だ。彼の格好は、少し胸元が見えるくらいに開いた白いワイシャツに、よれた黒いズボン、そして赤いリボンが付けられた、やけに長い黒のシルクハットを被っていた。顔立ちは私よりも幼く、少し明るい色をした髪はボサボサの天然パーマだった。そして何よりも彼は終始笑顔だった。一体何がそこまで可笑しいのか?そう考えてしまうほどに笑顔だった。               * * * * *  それからコメディとはよく仕事先で会った。私の行く先々で現れる彼は、私の客を横取りしていった。前々から目をつけていた人を私よりも先に声をかけて、喜劇に案内したり、私があと一歩までといったところまで来ていた客を、コメディは悲劇から喜劇に変えていった。  その時放った彼の言葉は今でも忘れられない。 「あれ?ひょっとしてこの人、トラジェディさんのお客さんでした?あー、それはすみません。てっきりまだ声をかけていないものだと、悲劇になっていなかったものですから」  憎たらしい笑顔だった。アイツは私を見下すように鼻で笑いながら言ったのだ。その時、強い腹立たしさと悔しさを覚えた。  その後は、どちらがより早く案内するかのデッドヒートの状態だった。余りにも多くの人を案内してしまったせいで、私とコメディはよく上司に怒られた。いっぺんに案内しすぎだと、対処しきれないと言いながら頭を抱えていた。               * * * * *  それからしばらく経った時だ。  私とコメディは上司に呼ばれて会社に出向いた。その時、よく尖がらせていた口元はなく、額に沢山の線を描くようにした皺の寄った眉間に視線が向いたのを覚えている。  眉がなかなか離れない上司は私とコメディに一枚の写真を見せた。 「この客から依頼を頂いた。何でも悲劇と喜劇について知りたいそうだ」  写真に写っていたのは、まだ子どもの女の子だった。格好は随分とみすぼらしかった。 「……子どもですか」  コメディが不安そうな声で言った。子どもの客はあまり珍しいことではない。だが私たちは、まだ子ども相手に仕事などしたことがなかった。 「だからお前たちを呼んだ。今回は二人で担当してくれ」  上司はそう言って、私とコメディを残して会議室から出ていってしまった。何ともいえない気まずい空気が流れていた。普段は争うように仕事をしていた私と彼だったが、急に一緒に仕事をしてくれと頼まれたのだ。その空気の中で最初に口火を切ったのは、その時でも笑みを浮かべていたアイツだった。 「……とりあえず、会ってみますか?」  私は素直に何回も頷いた。               * * * * *  写真の女の子の名前はサラ。歳は十四で、住まいは街の中でも比較的、港に近くボロい集合住宅に彼女は住んでいた。サラの家はとても貧しく、彼女は学校にも行かずに家のすぐ下の道端で靴磨きをして日銭を稼いでいた。  サラは二人の妹と弟一人、母一人の五人家族で生活していた。母親は毎朝早く家を出て、日付が変わる頃に帰ってくる。そんな母の姿を見ていたからか、彼女は靴磨きをしていた。  そんなサラの下へ、私とコメディは出向いた。その時、彼女はちょうど靴磨きを終えたところで、すかさずコメディが声をかけた。 「こんにちは!君がサラちゃん?君にお仕事を頼まれたコメディっていうものです!」  コメディお得意の笑顔で、子どもにも親しみやすいように話しかけた。こういう時のアイツは私は純粋に凄いと思う。とてもじゃないが私には出来ないだろう。  サラはコメディの挨拶に無言で静かに頷いた。この時の彼女の顔は脳裏に焼き付いている。彼女は無表情で、瞳の奥には暗闇が広がっているようだった。そして何よりも私を驚かせたのは、悲しみや喜びの感情が一切感じられなかったことだ。まるで機械を相手にしているみたいだった。コメディもひきつったような苦笑いをしていた。 「君は……悲劇と喜劇を知りたいのかい?」  私は思わずサラに尋ねてしまった。  サラは顔を上げて、じっと私を見つめてこう言った。 「おじさん、変な格好ね」  ……まさか彼女の第一声がそれとは思わなかった。               * * * * *  翌日、変わらず靴磨きをしているサラに、まずはコメディが喜劇へと案内する。彼はまず、彼女の下へ裕福な男を向かわせた。少し寂しい襟元からタートルネックが覗いているチェスターコートに、光沢があり色気を漂わせるブーツ。いかにも品位が高そうな男だった。 「そこの少女よ、私の靴を磨いてはくれぬか?」  サラは裕福な男の靴を見た。その靴は磨く必要がないほどに綺麗で、光沢も相まって輝いており彼女の顔が映りこむほどだった。  サラは不思議そうに首をかしげて裕福な男に尋ねた。 「……この靴ですか?」 「そうだ、何だ?磨けぬとでも言うのか?」 「……とても綺麗な靴だと思いますが」  サラが言うと、男はいきなり声を張り上げて、彼女に怒鳴りつけた。 「何を言う!!ここに汚れが付いているではないか!!!」  サラはもう一度、裕福な男の靴を見る。よく見てみると靴にはとても僅かではあるが、泥が付いていた。その汚れはとてもじゃないが虫眼鏡でも使わないと見えない。 「……失礼しました、磨かせて頂きます」 「分かれば良いのだ」  サラは道具を手に取って、彼の靴を磨き始めた。私にはとても理解できない光景だった。人はあれ程の小さな汚れさえ許さないのか?と。もっと他に磨く所があるだろうにとも思った。  だが考えようによってはあの男、悲劇に案内することが出来そうだ。そう考えていた時、隣にいたコメディが私の肩を叩いた。 「あの人、僕のお客さんですからね。横取りはダメですよ」  お前がそれを言うか、と私は柄にもなく心の中で突っ込んだ。その時、靴を磨かれていた裕福な男がまた大声を出す。 「何と素晴らしい!これ程までに綺麗に磨き上げるとは!!」  裕福な男が舐めまわすように靴に見惚れてはしゃいでいる前で、サラはその滑稽な姿を無心で眺めていた。 「……あの」 「ん?ああ、余りにも綺麗になったものだから、つい興奮してしまった。それ金だ」  サラの目の前に裕福な男は、トランクケースを置いた。彼女が中を開けると、見たこともない紙幣の束が所狭しと並べられてケースに詰まっていた。紙幣にプリントされた男の複数の顔が一斉に彼女の前に現れて、少したじろいだ。 「……いいんですか?」 「いい!お前はそれ程の価値がある仕事をしたのだ!!」  そう言って、彼は笑いながらサラの下から去っていった。サラはトランクケースを持ち上げて運ぼうとするが、余りにも重かったせいか、両手が震えて手が赤くなっていた。そしてゆっくり歩きながら彼女は家に戻っていった。  母親が仕事から家に戻ると、声にならない声を上げて腰を抜かしたそうだ。そして、笑っているのに泣きながら彼女に抱きついた。  サラは貧乏から抜け出したのだ。  だが彼女は笑っても泣いてもいなかった。               * * * * *  次の日は私がサラを悲劇へと案内した。やり方は至って簡単だ。母親に対し多方面から借金取りを向かわせて、昨日の金を全額取り上げさせたのだ。  母親はいくつかの所から金を借りていたのでそれを利用させて貰ったのだ。そこにプラスアルファの要素として、利子を付け加えて、貧乏生活へと戻したのだ。母親や兄妹たちは一気に落胆の表情となった。  だがサラだけは変わらなかった。  その顔は固まったセメントのように崩れることはなかったのだ。               * * * * *  その明くる日はまたコメディが案内し、その次の日は私が。交互に目まぐるしく喜劇と悲劇を繰り返して彼女に案内した。その度に母親と兄妹たちは喜んだり、悲しんだ。だがサラは変わらなかった。表情を何一つ変えず、出会った時のままだった。  サラを担当して二週間が過ぎた時だ。私は彼女の家を訪ねた。昼ぐらいに向かったのだが、いつもの所でサラは靴磨きをしていなかった。  私は彼女の家のドアをノックした。だがいくらドアを叩いても中から返事は返ってこなかった。いつもはサラの兄妹たちの元気に溢れる声がドア越しに聞こえてくるのだが、その日だけは何も聞こえてこなかった。  ドアをもう一度ノックしようと思った時、キィと音を立てて少し開いた。だが誰も出てこない。単純に鍵が開けっぱなしで開いていた状態だったのだ。  私は失礼ながらドアを開けて、家の中に足を踏み入れた。暗い廊下を通り抜けてリビングに出ると、そこは窓から入る日差しで明るくなっていて昼間の陽気が漂っていた。  テーブルの上には食べかけのご飯が置いてあり、ナイフとフォークが床に転がっている。 「サラさん?いるのか?」  サラを呼びかけたが、返事一つ返ってこない。だが代わりに聞こえてくるものがあった。泣き声だ。私は暖かい床の上をひたひたと歩き、声の元へ向かった。 ぐずるようなその声は部屋の奥から聞こえてきた。私は部屋のドアを開けた。  部屋の中はカーテンで閉め切られていて、真っ暗だった。カーテン越しの太陽の明かりが部屋をほのかに照らす。やがて見えてきたのは、部屋中に飛び散っている赤い液体と寝転がっている母親に兄妹らだった。  母親は床に横たわっていて、兄妹らはベッドの上や椅子の上にうつ伏せになったり仰向けになっている。一番小さい妹はベッドの上から片腕を怠そうに出している。私が部屋の周りから視線を真ん中に戻すと、そこにはサラが立っていた。彼女の右手には、赤く染まったナイフを持っている。サラは私に気付いたのか、こちらを振り向いた。 「おじさん?いたの?」 「サラさん、これはどうしたの?」  私がサラに問いかける。彼女は一息置いて話し始めた。 「私ね、おじさんたちが色々と案内してくれたのがあんまり分からなかったの。だからお母さんに聞いたんだ。どうしてそんなに喜んだり泣いたりしているのって。でもね、お母さんを怒らせちゃった。私、何かいけない事でも聞いちゃったかな?」  サラは私に逆に聞き返した。だが私もそれについては分からない。私はただ仕事としてやってきただけで、その人がどう思うかまでは考えたことはない。ただ悲劇に案内する、それだけだったから。 「さあ、それは私にも分からないよ。でもサラ、これはどうしたんだ一体?」  改めてサラに尋ねる。この部屋の有り様は説明がないと私にも理解が出来なかった。彼女は続けて言った。 「いくら聞いても分からないから、自分で確かめようとしたの。お母さん、よく泣きながら私を叩いたり、笑いながら叩いたりしたから。だから同じことすればいいのかなって。でも私は、鈍いみたいだから中途半端なやり方じゃ分からないと思ったの。だからね、ナイフを使ってみたんだ」  私は改めて血が付いたナイフから、細い腕に線を向ける。彼女の体には所々に青くなったあざがあった。 「でもね、おじさん。私が試したこと、誰にも聞けないんだ。これは悲劇なのか喜劇なのか。それにね、何だかモヤモヤするんだ。ねえ、おじさん。私って今、嬉しいのかな?悲しいのかな?」  サラの顔は血がベッタリと付いていた。だがその顔は私に初めて動いている所を見せた。だがそれがどういう表情なのか私には分からなかった。  サラは笑いながら泣いていたのだ。それを見た時、私は未だに何故あんな事を言ったのか分からない。でも何か私の中で揺れ動いたものはあの時、確かにあった。 「サラ、それを決めるのは君自身だ。嬉しいと思えば嬉しい。悲しいと思えば悲しい。おじさんはね案内は出来ても、それが何かは決める事は出来ないんだ。君は今、何を望んでいるんだい?」  私が言うと、サラはその場に座り込んでしまった。尖った先端から血が一滴ずつ垂れていたナイフを床の上に置いて、頭を抱え込んでいる。ぶつぶつと何か呟いているのが聞こえてきた。耳を澄ましても、何と言ってるのかは聞き取れなかった。  私はコメディと上司に連絡して、これ以上は案内不可能だと伝えた。連絡を終えて、私はその場から立ち去った。まだサラは座り込んだままだった。  私の耳には彼女の泣き声とも笑い声ともいえぬ声がこびり付いていて、未だに鮮明にあの光景が蘇る。               * * * * *  さて、話が長くなってしまった。だが私について知って頂けたと思う。この話を聞いてどう思うかは貴方次第だが、言いたい事はこれだけだ。  私は悲劇の案内人。悲劇を望む人たちを案内するのが私の仕事だ。だって望まないものに案内をしてもしょうがないだろう?仕事なので利益を出さなければいけない。それにわざわざ望まない人を相手にするほど、私も暇じゃない。  様々な人に様々な悲劇を案内する。これほど魅力的で、私に合った仕事はそうないだろう。なぜ魅力的か?それは私が悲劇へと案内すると、人それぞれに悲劇は姿形を変えるのだ。  私は色々な悲劇に出会った。それはこれからもだ。案内した悲劇がどう姿形を変えるのか、それは私にも分からない。
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