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 ルシア率いるアエーシュマ歩兵隊は、血と死体まみれの目抜き通りを通って、アルブラの中心にある竜港まで来た。  ラブリスは荷物袋からアジ・ダハーカ国旗を取り出すと、数人の部下をつれて、竜の発着場のとなりにある監視塔へ入った。監視塔の頂上にアジ・ダハーカの旗を揚げれば、アジ・ダハーカで待つ本軍の兵士が遠眼鏡でその旗を見つけ、本軍と騎士隊がアルブラへ来る手はずである。  旗が揚げ終わるまでの間、ルシアは残りの隊員たちとともに竜港で周囲を警戒していた。ルシアの心の中にはまだ嫌な予感が渦巻いたままだった。ルシアは何か危険がないか、あたりを見回した。閃緑岩の石畳を放射状に敷きつめた竜の発着場は、岩に含まれる石英が太陽光を反射し、きらきらと輝いている。発着場の脇には、竜を休ませるための竜舎があった。竜舎は木造の平屋で、中型の荷竜なら十頭ほど収容できるだろう。竜舎の外には、竜が寝床として使う干し草が積んであった。干し草は一度使用済みらしかったが、竜の糞尿で湿ってはいない。  まだ使える干し草を竜舎から搬出したのか?  ルシアの心の中で、漠然とした不安がまとまり、一つの答えが形成されそうになった。が、なかなかはっきりとした形にならない。  ルシアが人刺し指を唇に当てて思考をまとめようとしたとき、監視塔の上からラブリスのどら声が聞こえた。 「隊長!」  ルシアは監視塔を見上げた。太陽の光が覗き穴から差し込み、ほおにかすかな痛みを感じた。「旗を掲げ終わったか?」 「妙です! 監視塔の上に置かれた対竜バリスタのまわりに、バリスタ用のボルトが置いてありません!」  罠だ!  ルシアがそう気づいたとき、木造の竜舎の屋根が弾けた。  屋根に開いた大穴から、銀色の竜が飛び出した。竜は巨躯で、アルブラの郊外で戦った竜たちの二倍はある。分厚い竜鎧をまとい、背にはファフニールの国章が入った幕を飾った鞍を背負っていた。鞍の上には四人の人間が乗っている。前方の席に座り、手綱で竜を操る操縦手。後部座席に背中合わせに座り、クロスボウで敵を狙う二名の射手。そしてその者たちの中心に座し、指揮をする竜長。 「くっ」ルシアが目を細める。「まさか戦竜が潜んでいたとは」  戦竜――アルブラ郊外で戦ったような一人乗りの騎竜に比べて機動力は落ちるが、圧倒的な火力と防御力で敵を薙ぎ払う複座式の重装竜だ。  ルシアは戦竜を睨みながら、なぜ竜舎の外にまだ使える干草が積んであったのか、理解した。戦竜の騎士たちは、竜舎の中に隠れてる間、金属製の竜鎧が擦れたときに出る火花で干し草に火が点いてしまわないように、竜舎の床に敷きつめてあった干し草を外に出したのだ。  白銀の戦竜の上で、竜長が叫んだ。「ファフニールの美しき白銀の背を、よくも薄汚い足で汚してくれたな、アジ・ダハーカ人どもよ。貴様らのつけた足跡は、貴様らの血で洗い流させてもらうぞ」竜長が洗練された動きで長槍を構える。「我が名はラインハルト・ハイデンベルク。我が竜はカラミティウェザー。貴様らを葬る者の名だ、覚えておくがいい!」  次の瞬間、竜港に陣取っていたアエーシュマ歩兵隊の一小隊が、突風にあおられた藁束のように吹き飛んだ。カラミティウェザーの太い尾が歩兵たちを薙ぎ払ったのだ。歩兵たちのうち何人かは、もう起き上がることはなかった。  アエーシュマ歩兵隊の弓兵たちが、戦竜に向けてクロスボウを撃った。が、クロスボウの矢は竜鎧や銀色の鱗にあっさり弾かれる。 「くそったれ! 歩兵のクロスボウじゃ戦竜の鱗は貫けねぇか」  監視塔の屋上で、ラブリスはそこに置かれている対竜バリスタをちらりと見た。対竜バリスタならば戦竜の鱗も貫ける。だがバリスタ用のボルトがない。 「まさか、あのラインハルトとかって野郎が兵士にボルトを隠させたのか。最初から、この竜港で俺たちと戦うつもりで」  アルブラ守備隊の指揮官ラインハルトは、アルブラ郊外で部下の騎士たちが落とされたのを見て、アエーシュマ歩兵隊のアルブラへの侵入を防げないと判断した。それで、歩兵隊をアルブラの竜港にまで誘い入れて、戦竜で一掃する作戦に切り変えたのだ。対竜バリスタのボルトを隠したのは、バリスタをアエーシュマ歩兵隊に流用させないためだ。  カラミティウェザーの鉤爪が、アジ・ダハーカの槍兵を鎧ごと握りつぶした。同時に、後部席の射手がクロスボウを撃ち、アジ・ダハーカの弓兵の胴体を射抜く。弓兵は腹を押さえながらその場に崩れ落ちた。  圧倒的な力の差に、さしものアエーシュマ歩兵隊員たちも退き気味になった。 「好機!」竜長ラインハルトが操縦手に指示を出す。「歩兵どもをカラミティウェザーのエサにしてやれ!」  操縦手が手綱を操った。カラミティウェザーが大口を開け、人の腕ほどもある牙で歩兵たちを噛み砕こうとする。  そのとき、竜の口めがけて赤い小剣が飛んだ。 「ぬぅっ」ラインハルトが長槍を振るい、小剣を弾いた。  小剣の牽制により、カラミティウェザーの噛み付きが中断された。その隙にアエーシュマ歩兵隊員たちは竜から距離を取り、態勢を立て直す。 「何者だ!」ラインハルトが小剣が飛んできた方向を見た。  ルシアが、小剣に繋いだ鎖を左腕に巻き直しながら、ラインハルトを見返す。「わたしの仲間を喰わせはしない」 「ほう、そのクモの仮面は⋯⋯。貴公が噂にきくアジ・ダハーカのジョロウグモ、ルシア・ツァラトゥストラか。気づかなんだぞ。ジョロウグモのルシアといえば、素手で敵兵の両腕を引き千切る、竜にも勝る体躯をした女傑、という噂だったからな」 「竜より体が大きいなど、そのような化物女がいるわけないだろう。敵の両腕を引き千切るという話については、確かに昔にやったことがあるが」 「アジ・ダハーカの全騎士団を統率する将軍家の娘でありながら、騎士の資格を剥奪され、歩兵に身をやつしているとは聞いていたが、このようなところで出会うとはな」 「歩兵を卑下するその言い様、ファフニールの騎士らは皆プライドが高いな」ふと、ルシアの脳裏にとある騎士の姿が浮かぶ。「いや、騎士が歩兵を見下すのは、どこの国も同じか」 「歩兵とはいえ、ツァラトゥストラ家の娘を討ち取ることは多大な名誉となる。女とはいえ、生かして帰しはせぬぞ」 「容赦は不要」ルシアは長剣と小剣を二刀流に構える。「戦場では、一度武器を持てば男も女もない。そこにいるのは兵士だ」 「その意気やよし!」  ラインハルトが長槍の刃部とは反対側の石突で竜の背を叩いた。カラミティウェザーが大きく首をのけぞらせ、喉に力を溜める。戦竜の周囲に青い火花が瞬いた。 「吐け、カラミティウェザー!」  カラミティウェザーが口を開き、ブレスを放った。雷のブレス。竜の喉奥から青い稲妻が飛び、ルシアとその周囲の黒鎧の兵士たちに降り注ぐ。竜港に轟音が響き、焦げた臭いが立ち昇った。  人間たちを丸焦げにするのに充分すぎるほどの稲妻をまき散らしたのち、カラミティウェザーはブレスを止めた。竜の口の端からは、勝利の狼煙といわんばかりに黒煙が立ち昇っている。  稲妻の光で目をやられないように手で顔を隠していたラインハルトが、手を下げて竜港を見下ろした。「黒焦げとは憐れだが、悪く思⋯⋯」  ラインハルトが言葉を止めたのは、ラインハルトの目の前にあるのが、歩兵たちの黒焦げの死体ではなく、マントを並べて作られた壁だったからだ。アジ・ダハーカの紋章が織り込まれたマントは表面が煤けているだけで、燃えてはいなかった。  マントが取り払われ、その下からルシアとアエーシュマ歩兵隊の隊員たちが姿を見せる。皆、無傷だった。 「馬鹿な!」ラインハルトが叫ぶ。 「ファフニールとの戦用に配給された、雷を弾くマントだ」ルシアがマントのすすを払う。 「詳しい原理については、理学には通じていないわたしにはわからないが、これを作った魔術師がいうには、マント生地に雷竜の鱗の粉を練り込んでいるらしい。貴国の竜を含め稲妻を吐く竜の肉体は、自分自身が感電しないように雷を弾く性質を持っているからな」 「魔術師だと? 竜のブレスを完全に弾くマントを作るとは、並大抵の魔術師ではないな。もしや、アジ・ダハーカの王宮魔術師ロゼの作か」 「ロゼを知っているのか。あの女も有名になったものだ」 「絶世の美貌と妖艶な肉体で周囲の男を虜にしている王宮魔術師がいるとは聞いていたが、見た目だけではなく実力も確かだったとは⋯⋯」 「わたしについての噂と違いがあり過ぎな気がするが?」 「ブレスを弾かれたのは予想外ではあったが、竜の武器はブレスだけではない。カラミティウェザーの爪で、そのアジ・ダハーカの国章が入ったマントごと引き裂いてくれる!」  カラミティウェザーが鉤爪を構え、ルシアに突っ込もうと翼を羽ばたかせた。 「マントのことを教えたついでに、もう一つ教えてやろう」とルシア。「貴公にマントのことを伝えたのは、照準を定める時間を稼ぐためだ」  カラミティウェザーが突然悲鳴を上げた。激しく身をねじって暴れ出す。 「な、何だ?」  ラインハルトはカラミティウェザーを見た。竜の脇腹に、十字槍が突き刺さっていた。
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