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 アエーシュマ歩兵隊を乗せた荷竜は、アジ・ダハーカの背を縦断する山脈の中央部に広がる、雄大な高原にたどり着いた。高原のただ中には、黒い防壁に囲まれた巨大な都がある。そこがアジ・ダハーカの中心だった、地理的な意味でも、権威的な意味でも。  王都ウールゼルヴ。街中は十万人を超える人々の営みで活気に満ちていた。都の中を蛇行する大通りには露店がずらりと並び、宣伝小僧が声を張り上げていた。大通りの先にある広場では吟遊詩人が手持ち竪琴を片手に初代アジ・ダハーカ王ヒルデブラントの叙述歌を歌っている。広場のさらに奥には貴族や豪商が住む高級街が築かれており、貴族服専門の仕立て屋の前では鮮やかな衣服をまとった婦人たちが集まって、今年流行のドレスに似合う髪型ついて話していた。にぎやかなのは地面の上だけではない。都の上空には、衛兵騎士や商業荷竜がところせましと飛び回っていた。竜が多すぎて空が暗いから昼間から灯りを点けなきゃならない、というのはウールゼルヴに住む都会っ子たちが田舎者によくいう自慢まじりの冗談である(もちろん、ときおり降ってくる竜の糞尿については一切触れない)。  ウールゼルヴは、戦争中とは思えないほどいつもどおりだった。人々は、強国アジ・ダハーカが敵に攻め入られるはずはない、と安心しきっていた。そして実際にそのとおりだった。ヤマタノオロチとの戦争のときも、ティアマトとの戦争のときも、アジ・ダハーカは王都どころか浮竜の背にすら敵軍の侵入を許していなかった。  大空中の竜をすべて撃ち落としてしまえそうなほど大量の対竜バリスタがずらりと並んでいる外壁を越え、アエーシュマ歩兵隊を乗せた荷竜はウールゼルヴの兵営区にある軍用竜港に降下した。荷竜が発着場に足と着けた瞬間、アエーシュマ歩兵隊員たちは歓声を上げた。生きて帰れたことと、国からもらえるであろう報奨金に対しての喜びの声だ。とりわけ今回は危険な任務だっただけに、かなりの額の特赦が出るだろう。隊員たちは特赦が大好きだった。特赦は、定期的な給金と違い、妻がその存在が知らない。男たちは特赦をこっそりと懐に入れ、酒代や遊びの金に換えることができる。  ルシアは色めき立っている歩兵たちをよそに、荷竜から飛び降りた。カラミティウェザーから飛び降りたときに痛めた脚はもう治っていた。  自分の体ながら驚異的な再生能力だな、とルシアが思ったとき、遠くから声を掛けられた。 「ルシアさんっ」  一人の少年がルシアへ走り寄ってきた。一歩ごとに、明るい金髪がさわやかに揺れる。少年の顔立ちは線が細くてやや女っぽく、薄く青い目は利発な眼差しをしていた。つまるところ、社交界にでも出れば若い男好きの婦人たちが放っておかないような好青年だった。  ルシアが少年を見る。「ノア」  ノアはルシアのそばまで来た。「よかった。無事だったんですね」 「ああ、なんとかな」   ノアは安心の笑みを浮かべかけたが、荷竜の背に積んである棺の山を見ると顔を曇らせた。「今回も亡くなった方はいるんですね」 「戦だからな。やむを得ないさ」  竜港の人夫たちが棺桶を下ろす作業を始めた。中年の人夫が一番上に積まれた棺桶を下ろそうとする。  ルシアが人夫に声をかけた。「その棺はいい。わたしとラブリスで運ぶ」  中年の人夫は、賢さが見えない間延びした顔をルシアに向けると、特に疑うこともなくうなずいた。「さようですか」  ルシアは荷竜の背に乗ったままのラブリスを見た。「ラブリス」 「へい」  ラブリスは棺桶を軽々と持ち上げると、ルシアへ送った。ルシアは棺桶を受け取る。肩に担いだとき、棺桶が不自然に揺れ動いた。ルシアは棺に口を近づけ、じっとしているんだ、とささやいた。  ノアは不思議そうな顔をした。「ルシアさん、その棺は?」 「ああ、ちょっとな」 「そう、ですか⋯⋯」  ノアはルシアが話したがっていないことを察し、それ以上は追及しなかった。ノアはまだ十五歳だったが、そういった配慮が人一倍できた。とはいえ、ルシアが秘密を教えてくれなかったのを寂しく思ったことは、表情に出ていたが。  ノアの心中を知ってか知らずか、ラブリスは荷竜から飛び降りると、ノアの頭をくしゃくしゃに撫でた。「よぉ、ノア坊。俺たちがアルブラに行ってるうちに、また背が伸びたんじゃねぇか? 早く大きくなって、アエーシュマ歩兵隊に入れよ」 「ラ、ラブリスさん、痛いですよ」 「このくらいで痛がってちゃ戦士にはなれねぇぜ」  ラブリスはノアの頭から手を離すと、豪快に笑った。ノアは悪い気はしていない顔で乱れた頭を整える。身寄りのないノアにとって、ラブリスは父であり叔父であり兄だった。  ルシアはラブリスたちが話している間に、竜港の監視塔裏の日陰まで行くと、棺桶をそっと置いた。「もう少し待っていてくれ」  コツ、と内側から軽く叩く音がした。わかった、ということだろう。  ルシアはノアに目を移した。「ノア、鎧を脱ぐのを手伝ってくれ」 「あ、はい」  ノアは肩に掛けていた大きな革袋を手に取りながらルシアのもとへ向かい、ルシアの後ろに回った。革袋をその場に置くと、慣れた手付きでルシアの鎧を留めているベルトを外す。装甲が外れると、鎧の中に溜まっていたルシアの匂いがふわりと漂い、ノアは顔を赤くした。  ルシアが鎧を脱ぎ始めると、竜港に集まっていた人夫たちが作業を止め、少なからず下心がある目でルシアを眺めた。もちろん鎧の下にはアジ・ダハーカの軍服があるだけなので艶っぽいものは見れないのだが、それでも女戦士が鎧を脱ぐ様には惹かれるらしい。ラブリスはルシアを隠すように立つと、鬼の形相で人夫たちを睨んだ。人夫たちは慌てて仕事に戻る。  鎧を脱ぎ終えたルシアは、地面に置いた装備一式から赤い小剣だけを拾い上げた。鎖を外すと、大切そうに軍服の懐にしまう。「長剣と鎧はいつものとおり、城の武具庫にしまっておいてくれ」 「わかりました」ノアは地面に置いていた革袋の中から黒い外套を取り出し、ルシアに手渡した。「どうぞ、日除け用の外套です」 「助かる」ルシアは外套を受け取ると、軍服の上に羽織った。  ノアは空になった革袋の中に、ルシアが脱いだ鎧を部品ごとに丁寧に入れた。その革袋は本来は鎧運び用のもので、袋の中は胴鎧を入れるためのスペース、肩当てを入れるためのスペースと、部品同士が擦れないように仕切ってある。そのため構造はかなり複雑なのだが、ノアは迷うこともなく次々と鎧のパーツを入れていった。  鎧が入れ終わると、ノアは膨らんだ革袋を背負った。ルシアの鎧は男用のそれよりも小さいが、けっして軽くはない。しかしそれでもノアは革袋を背負ったときよろめいたりはしなかった。  ノアも成長してるのだな、とルシアは思った。ノアは、ルシアの従者になったばかりのころは、胴鎧を持っただけでもふらふらしていたものである。ルシアはそのころのノアの姿を思い出し、口の端に笑みを浮かべた。  ノアがルシアの笑みに気づく。「どうしましたか、ルシアさん?」 「いや、なんでもない。では鎧を頼んだぞ」 「任せてください。任務お疲れさまでした」  ノアは律儀に礼をすると、革袋を背負って城へ向かった。  ルシアはノアの背を見送ると、そばに置いてある棺桶に目を戻した。  さて、問題はこの子をどこにかくまうかだ。  ルシアは将軍の娘なので、アジ・ダハーカ城の本殿二階に自室を与えられていた。しかしまさかそこまで棺桶を担いでいくわけにはいかない。 「となると、わたしの生家しかないか」  ラブリスがルシアのささやきを聞きつけた。「あそこに行くんですかい? けどあそこは⋯⋯」 「他にないだろう。それにあそこは人が近寄らないから、隠れるにはうってつけだ」  ルシアはそういうと棺を肩に乗せた(持ち上げられた揺れで中の少女が驚いたらしく、棺の中から身じろぎする音が聞こえた)。 「俺が運びましょうか?」ラブリスがきく。「隊長は脚を痛めてるでしょう?」 「一人で問題ない」  問題ない、というのは、棺を運ぶことではなく、ドラキュリアの少女のことを指していた。つまるところ、ラブリスはまだ少女のことを信用しておらず、ルシアと少女を二人きりにしたくなかったため、ルシアについて行こうとしていたのだ。それをルシアは暗に断った。  ラブリスは自分の考えをルシアに見透かされていると悟り、肩をすくめた。「わかりましたぜ。では、本日は任務お疲れ様でした、ルシア隊長」 「ああ。死んだ仲間たちについては、近いうちに弔いをしよう。どこかの酒場でな。アエーシュマ歩兵隊にはそれがあっている」  ラブリスはにっと笑う。「ええ、約束ですぜ。あんた、二十歳祝いのときはワイングラスたった四杯で降参してましたが、今回はビン一本空けてもらいます」 「期待はするなよ」  ルシアはそういうと、棺を担ぎながら歩き出した。
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