37人が本棚に入れています
本棚に追加
アジ・ダハーカ城本殿二階を、ルシアは歩いていた。その階層は上級身分の者たちのための居住階となっており、王族や将軍家、重臣たちの私室が並んでいた(王族とはいっても、存命の王族はオーヴェルベント一人だけだったが)。
ルシアは国章を刺しゅうした垂幕が並んだ長い廊下を進み、通路の半ばにある黒檀の扉の前で足を止めた。そこがルシアの私室だった。
ルシアは扉を開け、部屋に入った。部屋の入り口のすぐ横に備えつけてある光竜ランタンの台座に触れ、灯りを点ける。
実直なルシアの性格を表すように、小ざっぱりとした部屋だった。無地のじゅうたん。長剣を乗せた武器掛けが備えつけてあるだけの石壁(もちろん剣は装飾用ではなく護身用である)。余計な飾りがない羽毛のベッド。小さなクローゼットと鏡付きチェスト。小さなテーブルと二脚の椅子。テーブルのそばには本棚がある。本のほとんどは兵法書や武術指南書だった。
絵に描いたような軍人の部屋だったが、そんな部屋に似つかわしくないものが一つだけあった。それは部屋の隅の、赤いビロードの布を敷いた台座の上に置いてある。弦楽器のリュートだ。リュートの手入れは行き届いていた。洋ナシを縦に割ったような形の胴部は、塵一つかぶっていない。胴部の平面側に開いている音を響かせるための穴もしっかり掃除してあった。リュートの穴は、ヴァイオリンのように縦長の穴ではなく、細かな穴が無数に並んだ幾何学的な形をしており、真上から見たとき穴の並びがバラの花弁のように見えるため、ローズと呼ばれている。ローズは形が複雑なぶん手入れが大変なのだが、ルシアの部屋にあるリュートに手入れ怠った様子はなかった。
ルシアは部屋扉を閉めると、リュートを見た。浮竜は(戦中は特に)揺れることがあるので、たまにリュートの位置がズレたりするのだが、いまは特に異常はなかった。
ルシアはリュートから目を離すと、部屋の奥にある乳白色のカーテンに視線を移した。「それで隠れてるつもりだとしたら、まだまだ甘いな」
カーテンの中から、くすっと笑い声が聞こえた。カーテンがめくれ、裏から少女が顔を出す。「どうしてわかったんですか?」
「匂いだ。君の体からは、祭儀で焚く香の匂いがするからな」
「え、本当ですか?」少女は自分の髪を嗅いだ。「変な臭い?」
「いや、いい匂いだ。嗅ぐと落ち着く。異国的だから人によって好みは分かれるかもしれないが、わたしは好きだ」
「お姉さまが好きっていってくれるなら、リリアはそれでいいです」
リリアは、えへへ、と笑った。そうすると、幼い顔がさらに愛らしくなった。
ルシアとリリアは姉妹だったが、ほとんど似ていなかった。肩まで伸ばしているリリアの髪は、濃い赤茶色だった。瞳は茶色で、人懐っこい小動物のように大きく輝いている。顔立ちは美人というより、柔らかくかわいい感じだった。見た目だけではなく、雰囲気もまったく違った。ルシアは二十歳になったばかりにもかかわらず、達観した哲学者のように落ち着いていた。リリアは今年で十六歳だが、天真爛漫で実年齢よりも子供っぽかった。
リリアは体を隠していたカーテンを取り払い、前に出て来た。ルシアの正面に立つ。
ルシアはリリアの格好を見た。純白の薄い布で胸と腰を隠し、あとは半透明のヴェールを腰からひらひらさせているだけの露出の多い衣装。手足には金の輪がはめてあり、リリアが手足を動かすたびにキラキラと光った。
「竜話の巫女服」ルシアがいう。「ということは、祭儀場からそのまま来たのか?」
「はいっ。お姉さまが帰って来た、てノア君から聞いたので、託宣が終わってからすぐ来たんです」
「それでわたしを驚かそうと、部屋に隠れたのか?」
「はい。なのにお姉さまってば、すぐに気づいちゃんだから」
「わたしを驚かせるにはもう少し修業が必要だな。それと、人の部屋に勝手に入るのは感心しない。お仕置きしなければな」
ルシアはリリアのほおを軽くつねった。リリアは笑ってごまかす。
ルシアはリリアから手を離した。「しかし、ちょうどよかった」
リリアが首をかしげた。「何のことです?」
「リリアに会わせたい人、いや、ドラキュリアがいる」
「ドラキュリアっ」リリアの目に、好奇心の光がぱっと輝いた。「リリア、会いたい!」
「落ち着いてくれ。その前に、一つ頼みがある。服を用意してくれないか。服に疎いわたしが用意するより、リリアが用意したほうがいいだろう」
「というよりもお姉さまは、軍服以外の服がどこにしまってあるかすら、わからないんじゃないですか?」
「さすがにそこまでではない。まぁ、探すのは少し苦労するだろうが」
「それで、どんな服がいいんです?」
「十歳くらいの女の子が着る服だ」
「女の子供なんですか?」リリアの顔がさらに明るくなった。リリアは幼いころから竜話の巫女として特別扱いされてきたため、年下の女の子と接したことはほとんどなかった。
「ああ、そうだ。このくらいの背で」ルシアは手を振って少女の体の大きさを示す。「そでは大きいほうがいい。手を覆えるくらいに」
「すぐ持ってきます!」
リリアは部屋の外へ飛び出していった、が、すぐに戻り、扉の隙間から顔だけを出す。「お帰りなさいをいうのを忘れてました。お帰りなさい、お姉さま。お姉さまが無事で、リリアとっても嬉しいです」
リリアはそういうと、ぱたぱたと駆けていった。ルシアは、やれやれ、と息をついた。
最初のコメントを投稿しよう!