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 三着目の犠牲者は、鮮やかな緑色のドレスだった。緑色のドレスは無残にも小剣に切り裂かれ、苔玉に変えられた。  リリアはベッドの上に座り両脚をぶらぶらさせながら、ドレスの変り果てた姿を見た。「持って来るドレス、八着じゃ足りなかったかも⋯⋯」 「心配ない。いまのでコツはつかめた」ルシアは四着目を手に取ると、ドラキュリアの少女に目を向けた。「次こそは成功するから、待っていてくれ」  そのときルシアは、少女がルシアの手にある赤い小剣をじっと見ていることに気づいた。 「どうした? 戦場でもないのに、この小剣を持ち歩いているのが不思議か?」  少女はうなずいた。  ルシアは小剣を月明かりにかざす。「これは母の形見なのだ」  少女が小首をかしげた。 「ここがわたしの生家だということはいったな。わたしは子供のころは、この家で母と二人きりで暮らしていた。母の名はアエリア。君のように綺麗な金色の髪を持つ人だった。穏やかで優しく、それに美しい声をしていた。母は歌が好きで、わたしが寝付けないとよく子守唄を歌ってくれたものだ」  少女は目に興味の光を宿らせ、ルシアの母親の話に聞き入った。話の結末を知っているリリアは、ふっと寂し気な表情になり、うつむく。 「母と二人きり、といったが父がいないわけではない。わたしの父はアジ・ダハーカ将軍ギルベルトだ。とはいってもそのころは将軍ではなく騎士団長だったが。父は普段は騎士団を束ねる者として城で暮らしていたため、この家には住んでいなかった。父がこの家に来るのは、せいぜい週に一度の礼拝日の朝くらいだった。当時のわたしは、昼は城に行き父から騎士の訓練を受け、夕方にはこの家へ戻り母と夜を過ごしたので、ほとんど毎日両親と会っていたが、父と母、わたしの三人がそろうのは礼拝のときだけだった。  他人から見れば奇妙な家庭だったのだろうが、産まれたときからそうだったわたしは、その暮らしを疑問には思わなかった。ただ、城の小間使いの大人たちや兄のカインの口ぶりから、どうやらわたしの母が城で暮らさないのは母が側室だかららしい、と思い込んでいた」  そくしつ、という言葉に少女が首をかしげた。「?」 「側室というのは簡単にいうと、二人目の妻のようなものだ。アジ・ダハーカでは、貴族階級の男が妻を数人持つのは珍しいことではないからな」  少女はわかったようなわかっていないような顔でうなずいた。 「⋯⋯そしてあるときわたしは母に、父と母がいっしょに暮らさないのは側室だからなのですよね、と何気なくいった。その言葉を聞いた母は、珍しく怒った。父はそのような不義の人ではない、自分が城で父と暮らさないのは、自分のほうが城で暮らすことを拒んでいるからだ、と」 「⋯⋯⋯⋯」 「それならどうして母は城暮らしを拒むのか、わたしは母にきいた。だが、母は悲しげに目を伏せるだけで、教えてはくれなかった」ルシアは小剣をじっと見つめる。「⋯⋯母アエリアは、秘密の多い人でもあった。母はアジ・ダハーカ人ではなかった。それは目鼻立ちや、アジ・ダハーカ人よりも白い肌から読み取れた。  わたしは何度か母に、過去について尋ねたことがあった。しかし母はけっして語ってはくれなかった。産まれた国も。アジ・ダハーカの将軍である父とどうやって知り合ったのかも。そして、いつも肌身離さず大切そうに持ち歩いている赤い小剣についても。過去のことを質問するといつも、悲しそうな笑みを浮かべてわたしの頭を撫でるのだった。あなたが大人になったら教えてあげるるわ、といいながら。  ――しかし、その約束は果たしてもらえそうにないな。母はあの災厄によって亡くなってしまったのだから」  月の光を受けた小剣の刀身が赤く輝いた。ルシアは小剣を下ろし、部屋の隅に溜まった灰を見る。 「君ももう気づいていると思うが、母の命を奪ったのは、五年前にアジ・ダハーカを襲ったあの災厄、〈灰の夜〉だ。  灰の夜については、見たことはなくとも話には聞いているだろう? 空に何も前触れもなく広がり、すべてを呑み込む灰色の空間。その空間に入った生物はすべて灰と化す。動物、植物、竜、そしてもちろん人間も。さらに灰の夜は雲海の下に広がる〈混沌〉の領域から、異形の化物である〈深き者〉どもを呼び寄せる。⋯⋯ろうそくの灯火が虫を引き寄せるようにな」 「⋯⋯⋯⋯」少女の瞳がかすかに揺れた。 「五年前のあの日、当時騎士見習いだったわたしは、自分の竜に乗り、遠く離れた山岳で飛行の練習をしていた。そのとき突然、王都ウールゼルヴの上空に灰の夜が現れた。  わたしは急いでウールゼルヴへ戻った。街はすでに灰の夜と深き者らに襲われ、燃え上がっていた。わたしは熱気に顔をしかめながら、街の上空を飛び回った。母を探すために。  深き者の群れをかいくぐりながら、わたしはやっと母の姿を見つけた。母は街の通りの真ん中に倒れていた。わたしは竜を下ろし、母のそばに立った。そのとき母はすでに⋯⋯こと切れていた。母の背には、深き者が爪を突き立てたのであろう深い傷があった。  わたしは呆然と立ち尽くした。すると突然、母の亡骸の下から泣き声が聞こえた。見ると、母の身体の下には見知らぬ男の子がいた。母は左手でその子を抱き、右手には深き者の紫色の血がついた小剣を握っていた。そのときわたしはすべてを悟った。母は城へ避難する途中で親とはぐれたその男の子を見つけ、その子を抱きかかえて逃げたが、深き者に発見され襲われた。男の子を放って逃げることもできただろうが、母は深き者から男の子を守るという選択肢を取った。そして深き者に命を奪われたのだ」 「⋯⋯⋯⋯」少女がうつむいた。 「奇妙なことだが、そのときわたしが母に感じた感情は、怒りだった。母はどうして自分の命を捨ててまで他人の子供を助けたのか。どうして男の子を見捨てて、わたしと共に生きる道を選んでくれなかったのか。  わたしは憤然としたまま、母が命を賭して助けた男の子を抱き起した。名前をきくと、その子はノアと名乗った。愚かなことに、わたしはその男の子にまで怒りの矛先を向けた。この場に放り出し、そのまま立ち去ろうと考えたのだ。わたしは男の子に背を向けた。  その直後、わたしは急に空が暗くなるのを感じた。見上げると、空が灰色に染まっていた。灰の夜が、わたしへ向かって来たのだ。わたしはとっさにノアを突き飛ばした。命を捨てて見知らぬ男の子を救った母を怒ったばかりなのに、わたしもまた同じことをしていた。  ――そしてわたしは灰の夜に呑まれた。灰と化して死ぬことを覚悟した。そこまでは覚えている。  だが、わたしは死ななかった。気がついたときには灰の夜は去っていて、わたしは廃墟となった街中に倒れていた⋯⋯呪われた体で、な。母と同じだった金色の髪は白色に、緑色の瞳は灰色に変わっていた。そして、肌は強い太陽光に当たると焼けるようになっていた」  ルシアは自身の左手を見た。もう二度と日に当たることのない白い手のひら。 「この呪いは、母を憎んだわたしへの罰なのだろう」  ルシアが人並み以上に子供を守ろうとするのは、子供を守って死んだ母を一瞬でも恨んでしまったことへの償いでもあった。  ルシアは左手を下ろす。 「アジ・ダハーカが灰の夜と深き者らを退けた数日後、わたしは母の葬儀を行った。わたしは、母アエリアと自分の体、二つの大切な存在を同時に失ったのだと思い、母の形見である小剣を懐に抱きながら泣いた。  だが、わたしが失ったものはその二つだけではなかった。  灰の夜の災厄から半年ほどが経ったころ、わたしは父ギルベルトに城へ呼び出された。そこで父は、わたしから騎士になる権利を剥奪したのだ。太陽を浴びることができない体では太陽の光が強い空を飛ぶのは危険だ、というのが剥奪の理由だった」  少女がうつむけていた顔を上げた。「⋯⋯⋯⋯」 「だが、本当の理由は違うのだとわたしは思っている。灰の夜は忌むべき災厄だ。わたしはそれに呪われた。呪われた者が騎士になれば、騎士団の名誉に傷がつく。それゆえ父はわたしを騎士団から追放したのだろう。  かといって、父を恨みはしなかった。むしろ騎士の資格を剥奪されたことに安堵したほどだった。あの災厄の前までわたしは、騎士とは大切なものを守ってくれる頼りある存在だと思っていた。そしてそういう騎士になりたいと願っていた。だが騎士団は⋯⋯父は、わたしの母を守ってはくれなかった。そのときわたしは夢から覚めてしまったのだ、誇り高き騎士道という夢物語からな」  リリアがかすれた声を漏らす。「お姉さま⋯⋯」  長い話を終え、ルシアはドラキュリアの少女を見た。「小剣とは関係のないことまでしゃべってしまったな。ドレスを作らなければ」  ドレスを繕い始めたルシアを、少女はじっと見つめていた。少女の金色の瞳は、複雑な光を湛えていた。
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