1-7

5/5
前へ
/648ページ
次へ
 ルシアは小剣についた糸くずを取った。「どうだ?」  ドラキュリアの少女は体をひねって、ルシアに仕立て直してもらった白のワンピースの着心地を確かめていた。少女が体を動かすたびに、ワンピースのすそのフリルがふわりと舞った。問題だった腕部分と襟元については、そで口から襟までを一直線に切り開き、開いた部分にリボンをあしらうことで解決した。ワンピースを履くように下から着た後、そでの切り開いた部分からそでに腕を入れ、リボンを結んで開口部を止める仕組みにしたのだ。リボンはぼろ切れと化した他のドレスたちを再利用したものである。これで犠牲になったドレスたちも浮かばれるだろう。  リリアが手を打ってはしゃいだ。「すっごく似合うよぉ」  少女ははにかんだ。尻尾をぶんぶんと振る。その尻尾を見れば、言葉がなくても少女の気持ちはわかった。 「気に入ってくれたのなら、わたしも嬉しい」ルシアは小剣を懐にしまった。  少女が両手を顔の横に上げ、鉤爪を開いたり閉じたりした。ファフニール式の感謝のジェスチャーである(そしてあまり恥ずかしがらずに鉤爪を見せるのは、ルシアたちと打ち解けた証拠である)。 「かぁわいい」リリアが少女に抱きついた。  リリアに抱きつかれて慌てる少女を見ながら、ルシアは心の底にあった温かい記憶を思い出していた。  ルシアがまだ母アエリアといっしょにこの家で暮らしていたころ、母もよくルシアに衣服を仕立ててくれた。アエリアは城からもらったり町で買ったりした服にひと手間加え、赤い布で造花をあしらうのが好きだった。ルシアが仕立てた服を着て喜ぶのを見ると、母は穏やかな笑みを浮かべたものだった。  もう二度と戻らないと思っていた情景が、ルシアの目の前で再現されていた。五年前に止まってしまったこの家の時間が再び動き出した気がした。ルシアは目の奥に熱いものを感じ、目を閉じた。  リリアがルシアの様子に気づき、首をかしげる。「お姉さま?」 「少し昔を思い出しただけだ」ルシアは目を開いた。自分の目に涙が浮かんでないことを願った。「夜も更けてきたな。明日の礼拝日には、リリアは舞を舞うのだろう? 夜更かしをして寝不足になってはいけない。そろそろこの子と話をしよう」  リリアは待ってましたといわんばかりに笑みを浮かべると、少女の前にひざをついて目線を合わせた。 「リリアと君はこれからお話しするよ」リリアの大きな目が、少女の金色の瞳を覗き込む。「リリアは竜話の巫女だから、竜の声を聞くことができるの。だから君の場合も、君が心に言葉を強く思えば、リリアは君の心の声を聴くことができると思う。リリアがいっていること、わかる?」  少女はうなずいた。目を閉じると、リリアが声を聞きやすいように顔を上に向ける。  やはりこの少女は過去に竜話の巫女に会っている、とルシアは思った。  リリアも両目を閉じた。二人は唇が触れ合いそうなほど顔を近づけると、ひたいを重ね合わせる。  しばらくすると、リリアと少女の表情にかすかな変化が生じ始めた。二人は精神で直接会話を行っているのだ――エーテルを媒介として。  エーテルの正体については、哲学者、神学者、竜学者、魔術師など、多様な専門家たちが独自の見解を出している。哲学者は世界を創り出されるより以前から存在した万物の根源だといい、神学者は神が人間に与えたもうた恩恵だという。だが結局のところ、エーテルの存在が認識されてから長い年月が経ったいまでも、人々は決定的な答えを導き出せていない。  正体については不明だが、性質については魔術師たちの研究によってある程度判明していた。エーテルはありとあらゆる空間に満ちている。生物の精神活動に感応して力を蓄える性質を持っている、例えるならば火に熱せられた鉄板が熱気を持つように。エーテルは通常の人間には知覚不可能だが、竜はその存在を認識でき、またエーテルに蓄えられている力(古の神秘主義者アズラはそれをエーテリニスと名付けた。エーテルという言葉と、古の言語で力や魂を意味するアニムスという言葉を融合させた名称である)をブレスなどの現実的な力に変換できる。そして、ごく稀にだが、人間でもエーテルを感知できる者がいる。  ルシアは、目を閉じてエーテルの読み取りに集中するリリアを見た。  エーテルを感じ取れる者は、エーテルを介して竜と会話ができるため、その多くは浮竜から託宣を受ける竜話の巫女となる。リリアもその一人だった。  さらにその中でも、リリアは稀代の素質を持つといわれていた。集中力を欠いて竜話を中断してしまうなどまだまだ未熟なところはあるが、いずれはあらゆる竜と滞りなく会話できるようになるだろうといわれている。  そうなれば、こうしてリリアのそばにいることすら難しくなるだろうな、とルシアは思った。  竜話の巫女は宗教的にも国政的にも重要な存在であり、国によっては国王と同列に崇められる。竜との意思疎通がやっとできる程度の竜話の巫女でもそうなのに、竜とすらすらと会話できる巫女を、国が放っておくわけがない。リリアはいずれ国の最高位の祭儀長となるだろう。そしてそうなれば、呪われた存在であるルシアは遠ざけられる。リリアがルシアと会うことを望んでも、周りの人間が許さないだろう。  ルシアはいずれ会えなくなる妹の姿をその眼に焼き付けようとするように、リリアの横顔をじっと見つめた。いまリリアは、会話を楽しんでいるといより、壊れやすく不安定なガラス細工を神経を集中して支えている、といった様子だった。  次の瞬間、ガラス細工が倒れて砕けたかのように、リリアがハッと目を見開いた。少女からひたいを離す。少女も目を開き、じっとリリアを見た。 「それ、本当?」リリアが半信半疑な顔をした。雲の中には空飛ぶ魚がいるという与太話ですらすぐに信じるリリアにしては珍しい。 「どうした?」ルシアがきく。 「ええと⋯⋯うん。まず、この子の名前はファム」 「ファム」  ドラキュリアの少女は名前を呼ばれ、ルシアのほうを見た。ファムの金色の瞳は底知れない不思議な輝きで満ちていて、どことなく少女らしくない大人の顔に見えた。 「それでね」リリアがいった。「この子やっぱり人間のお母さんと竜のお父さんを持つ半竜らしいんだけど――お父さんは浮竜ファフニールだよ、ていってる」
/648ページ

最初のコメントを投稿しよう!

37人が本棚に入れています
本棚に追加