見えすぎちゃって困る

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 アキラが所属する事業法人部は夏休みシーズンにもかかわらず活気があった。在宅勤務をしている社員は皆無で、連日のように接待で企業の財務担当役員と飲み、資金調達案件を獲得しようと精を出している。  「航空、運輸は狙い目だ。利用客が減って大赤字だからな。空前の低金利なんだから社債を発行させろ。銀行に取られるなよ」。担当役員の関根豊が朝から部下にげきを飛ばしていた。  「電車も飛行機もがらがらですからね。装置産業だから連日億単位の出費があるのにたいへんですよね」。「さすがお目だ高い」。ごますり連中が口々に褒めそやした。  「だろ。向島!おまえ、数字が上がってないぞ。どうなっているんだ。在宅勤務でぼけちまったんじゃないか」。  「はい。ええと、近いうちに必ずや」。こういうときアキラは必ず標的になる。そしてその場しのぎの発言がいつも裏目に出た。  「言ったな。必ずと言ったな。みんな聞いたか。向島君が近々、でかい案件を取ってくるそうだ」。  周囲からは失笑が漏れた。アキラの営業成績は低空飛行を続けている。どうしてエリートぞろいの事業法人部に異動になったのか自分でも不思議だった。  「向島、悪いが秘書室に行って来てくれ。なんかクレームみたいだから適当に処理しておいてくれや。きょうはアポが目白多しなんだ。頼んだよ」  関根はそのまま部屋を出て行った。お盆休み直後にアポが目白多しなわけがない。面倒そうなクレーム処理なので押しつけたのだろう。成績不振のアキラは雑用係に成り下がっている。なんとかしたいとは思うのだが、どうにもうまくいかなかった。  「失礼します。事業法人部の向島です。役員の代理で参りました」  アキラが秘書室で来訪を告げると、バイキンマンの帽子をかぶったOLが出てきた。秘書室だったのか。しかも、いまは全身にバイキンマンの着ぐるみを着ている。アキラは思わず声を掛けそうになったが、今朝の冷たい視線を思い出し、触れないことにした。社員証には「加藤かほり」とあった。相手もアキラを認識したようで、警戒している。  「どうぞ、こちらに」。ソファを勧められて着席すると、会長の愛人とうわさされる秘書室長の白石真理が出てきた。部下が着ぐるみを着ているのに白石は気にならない様子だ。アキラは混乱した。  「関根さんをお呼びしたのですが」。アキラは「外せないアポがあるとのことで、僕が代理で伺いました」と釈明したが、白石は明らかに不満げだ。  「あら、プライバシーに関わることなのにいいのかしら。まあ本人が代理をよこしたんだからいいのか。では、単刀直入に言いますが、秘書室の女の子から関根さんのセクハラがひどすぎると苦情が相次いでます。即刻やめていただきたいの」  「セ、セクハラですか」。アキラはヘビー級の面倒に巻き込まれてげんなりした。  「秘書室の女子全員が被害を訴えています。体を触るわ、卑猥な発言をするわ、いろいろです」  「室長も被害に遭われたのですか」  「私は被害に遭っていません。関根さんのお好みではないようですよ」。アキラは余計なことを聞いたと後悔したが、後の祭りだった。白石の機嫌はさらに悪くなった。  「とにかくこの報告書を読んでください。クレームをまとめたものです。いま読んで感想を聞かせてください」。  分厚い報告書を今読めと差し出され、アキラは渋々ページをめくり始めた。  「こ、これは」。読むに堪えない内容だ。警察に突き出されても文句を言えないようなハレンチ行為もある。額から冷や汗が溢れ、マスクの下を流れた。  「ええと、その、言葉にならないというのが率直な感想でして。本人に確認しないとなんとも・・・」。アキラが困惑して顔を上げると、秘書室長の白石がバイキンマンの帽子をかぶってお茶を飲んでいた。背後にはバイキンマンの着ぐるみを着こなした加藤がお盆を持って立っている。  「げっ」。アキラは思わずのけぞった。  「何が、げっ、なんですか。報告書に驚いたのかしら」。白石の目が一段と細くなり、アキラをにらみつけている。  「と、とにかく報告書は預かります。関根に読ませ、白石さんに連絡するよう申し伝えますんで」。アキラは席を立つとダッシュで自席に戻った。  「僕はからかわれているんだろうか。それにしては態度が自然だ。あれが演技ならオスカー賞ものだよ」。アキラの頭はバイキンマンで一杯だった。報告書のことはすっかり忘れ、仕事も手に付かなかった。早く帰宅して妻のフミに意見を聞いてみたかった。
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