見えすぎちゃって困る

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 アキラは役員の関根が不在であることを確認し、定時で退社した。定時で帰ろうとすると、いつも嫌みを言われるからだ。  丸ノ内線の改札をくぐってホームに到着すると、地下鉄を待つ列にバイキンマン帽子をかぶったサラリーマンやOLが数人確認できた。もはや目の錯覚ではありえない。アキラは年配で優しそうなサラリーマンを選んで近づき、観察した。  バイキンマンと思った帽子の中央部には丸いワッペンが張ってあり、菌の文字が刺繍してある。口元には猫のような髭も生えていた。アンパンマンとキン肉マン、ドラえもんが混ざっている。昭和生まれなら誰もが知っている人気漫画がコラボしたような帽子だ。  「こんなものいい大人が買うだろうか」。秘書室の白石といい、加藤といい、帽子をかぶっているという自覚がないのが不思議だった。  「ただいま」  「おかえりさなあーい」  アキラがリビングに入ると、妻のフミが食事を準備しているところだった。  「今日も暑かったでしょ。まだ時間がかかるから先にシャワーしてきなよ」  「そうする。ところで食事のとき相談したいことがあるんだ。フミの意見を聞きたい」。アキラの疲れた表情を見て、フミは「いいよ。なんかトラブル?」と聞いた。  「トラブルなのか何なのかよく分からないんだよ」。アキラは溜息をついた。  「込み入っているわけね。じゃあ、あとで。シャワー浴びてきて」。フミはそう言って食事の準備に専念した。  フミの料理は野菜が多くて薄味だ。健康のために気を使ってくれているのだろうが、本人は「ぼやっとした味」と謙遜する。  冷酒を飲んでほっとしたところで、アキラは「フミ、実は・・・」と今日の珍事を説明した。  話を聞き終えたフミは涙を流してゲラゲラ笑っている。「からかわれたんじゃないの。かなり手が込んでいるよね。関根さんの渾身のいたずらかしら」。社内結婚なのでフミはアキラの人間関係を熟知しており、話は早い。  「じゃあ、地下鉄のホームにいたバイキンマンはどう説明するのさ」。アキラはやや気色ばんで抗議した。  「グループ会社のひとじゃないの?アキラが知らない人だってたくさんいるでしょ」。フミは取り合わない。  「そうかなあ。帽子をかぶっている自覚がないのがどうにも解せないんだよ。あまりにも自然体でさあ。僕を騙すための演技とはとても思えないんだ」  アキラはなおも食い下がったが、フミは「とりあえず明日を待ちなよ。みんなに『どっきり』でしたって言われるかもよ。それよりこれいっしょに見ようよ」と話を打ち切り、テレビをお気に入りの韓流ドラマに切り替えた。
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