見えすぎちゃって困る

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 フミの説明を聞き終えると、モニター室は重苦しい空気に覆われた。毒性の強いブラッドを封じ込めるため、ブラッドを他の新種のウイルスに置き換えた作戦が生態系のバランスを崩していると警告されたからだ。警告の主は幽霊。高田善治郎の亡き妻であるという。信じられない話だが、フミとアキラが嘘や冗談を言っているようには見えない。善治郎も研究員も考え込んでしまった。  沈黙を破ったのはもじゃもじゃ頭だった。  「気になるのは『カラスとカニの一騎打ち。どちらも生き残ろうと必死で、何をするかわからない』というウシさんの台詞です。この台詞から導き出せる仮説は、フミさんがおっしゃるとおりでしょう。数的に不利なクラブがメタルを倒そうとした。信じられないことに宿主の人間を使って。おっ、いまラボからメールで報告書が届きましたよ。な、なんと、暴れたクラブの感染者はアドレナリンの血中濃度が異常なくらい高くなっているそうです。ウイルスの仕業でしょうかね」  「それから『感染しているのは人間だけではない』という台詞も気になります。何を暗示しているのでしょうか」  フミが質問すると、もじゃもじゃ頭は「そこです」と人さし指を立てて、自説を語りだした。  「ウイルスには細胞がありませんから自ら繁殖することができません。必ず宿主が必要です。この世界で最も力のある生き物は人間です。世界中を自由に移動できますから。宿主を増やし、自らのDNAを繁栄させるにはもってこいの存在だ。なんとか人間の感染者を守りたい。では、どうするか。人間以外の生き物を護衛につけようとは 考えないでしょうか。クラブはカニ、メタルはカラスです。感染者を守るための代理戦争を他の生き物にやらせるわけですね。諸説ありますが、新型コロナウイルスはコウモリとかアルマジロとかに寄生していたと言われています。それを好奇心旺盛な人間が食べて感染した。それが世界中に広まった。カニやカラスが感染していても不思議ではありません」  「じゃあ、俺たち、次はカニに襲われるってことですか?」  モニターの向こうからツルギの声が聞こえた。ルカやスグル、マモル、カケル、そして子どもたちも心配そうに見ている。  もじゃもじゃ頭は頭をかきながら付け加えた。  「あくまで私の個人的な仮説ですよ。都心のど真ん中にカニはいませんし。あなた方の味方と考えられるカラスはたくさんいますけどね。ただ、フロッグの感染者はほぼメタルかクラブに置き換えました。代理戦争が本当に起こるなら、それほど遠い未来ではない。用心するにこしたことはありません。名誉会長、何かご意見はありますか?」  もじゃもじゃ頭に話しかけられても、善治郎はじっと虚空を見つめたまま身動きしない。無理もない。最愛の妻が幽霊となって戻ってきたのだ。しかし、自分の前には姿を現さない。なぜだ、と自問自答しているのだろう。フミは善治郎を慰める言葉を慎重に選んだ。  「ウシさんはきっと幽霊である自分を見て善治郎さんに怖がられるのがつらいのではないでしょうか。だからアキラと私を使って、善治郎さんを助けようとしている。いまもどこかで見守っているはずです」  アキラが「そ、そうですよ、きっと」と大きくうなずいた。善治郎は寂しそうに笑い、「ありがとう、アキラくん、フミさん」と言うと、席を立ち、声を張り上げた。  「みなさん、今日は遅くまでご苦労様でした。カニとカラスの戦いが始まるかどうかは分かりませんが、ひとつの仮説として首相官邸や関係省庁には注意喚起しておいてください。医療機関にも感染者の急激な変化に目配りするよう伝えた方がいいでしょう。私は少々、疲れました。あとは宜しくお願いします」  善治郎はそう言い残して、部屋を後にした。背中が急に年を取ったように見え、アキラとフミは心配した。
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