見えすぎちゃって困る

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 善治郎は高田製薬の一角にしつらえた自室で激しく動揺していた。ウイスキーをあおっても、頭の芯が冴えて寝付けない。写真立てを手に取り、いつものようにウシに話しかけようとしたが、「どうして」「なぜ」という言葉しか浮かんでこなかった。  「ウシ、幽霊だって構わない。どこにいるんだ。会いに来てほしい…」  善治郎は、ビジネスの最前線で己を鍛え上げてきた。騙す騙されたは商売の常だ。自ずと相手の本性をかぎ分ける能力が身につく。だから、アキラとフミの話に嘘はないことはすぐに分かった。新型コロナウイルスの新種を世間に公表して騒ぎを起こした件で、政府が新手の嫌がらせをしているのかとも疑ってみたが、亡くなったウシの話し方や仕草まで調べ上げることはできないだろう。フミはありのままを伝えようと懸命にやり取りを伝えてくれた。会話にはウシ独特の雰囲気がにじみ出ていた。会った人間でなければ、ああは語れない。  「はるばる向こうの世界からやってきて貴重な警告をしてもらったが、すこし遅かったよ。メタルとクラブの一騎打ちが起こる前提は整いつつある。ウシ、どうすればいいか教えてほしい」  窓の外は激しい雨が降っていた。また台風が接近しているようだ。季節は徐々に秋に移っていた。  モニター室では、研究員が政府や医療関係者にウシの警告を手分けして連絡していた。ウシの名前も、幽霊からの警告であることも伏せたが、まるで相手にされなかった。「馬鹿げている」「カラスとカニが代理戦争?正気ですか」「高田製薬も地に落ちましたな」。冷たい反応に研究員たちは焦燥した。  アキラとフミはモニターでツルギたちへの説明に追われた。クラブの感染者が暴れたのは、ツルギたちの病棟に侵入しようとして警備員に阻止されたからだった。取り押さえたクラブの感染者に理由を尋ねても、口をそろえて「分からない」と答えた。ウイルスに操られていたのかもしれない。  ツルギたちは狙われている。守るためには状況を正しく理解してもらう必要があるが、さきほどの会話を理解できたのは東大中退のITオタクであるスグル1人だった。スグルがかみ砕いて説明したようだが、どもる癖があるため、ツルギやルカ、マモル、カケルはよく理解できなかったらしい。子どもたちもちんぷんかんぷんだった。  「難しくてよくわからかいよ。なんで俺たちがカニに襲われるんだ。俺は甲殻類にアレルギーがあるんだけどさ」。空き巣の名人、マモルが訴えた。  「君たちが感染しているウイルスをやっつけるためだよ。生物はみな本能で自分の遺伝子を残そうとするんだ。新種には相手の遺伝子を乗っ取る能力があるからね。やられる前に仲間を呼んで乗っ取ってやろうということみたいなんだ」  「俺たちの仲間はカラスなんでしょ。じゃあ、カラスが助けてくれるよ。でも、カラスとカニはどちらが強いの?」  子どもだが、ソラは頭の回転が速い。素朴な質問が一番やっかいだった。アキラが「うーん」と唸ると、横にいたフミが答えた。  「カラスとカニが戦ったところを見た人に聞かないと分からないけど、カラスは賢い鳥だから勝算はあるかもね」  「でも、カニの方がたくさんいるよ。海にも川にもいる」  弟のヒカリがさらに難問をふっかけてきた。フミも「うっ」と口ごもってしまった。  「もう、子どもはもう寝る時間だよ。続きは明日にしましょうね。さっ、ベッドに行きますよ」  唯一の女子、ルカが助け船を出してくれた。  「ルカちゃん、ありがと。明日までに上手な説明を考えてくるよ」  フミが礼を言うと、スグルが「ぼ、僕が、ま、漫画を書いて、せ、説明、し、ます。と、得意、な、なんで」と言った。  「あっ、そうか、スグルはアニオタでもあったな。俺たち漫画なら読めるよ。助かるなあ」。健脚のカケルが笑い、みんなが笑った。  アキラとフミはタクシーを呼んでもらい、高田製薬の玄関で到着を待った。雨が激しく降っている。今月に入って2回目の台風だった。  「すこし肌寒いねえ。すっかり酔いがさめちゃったよ」  フミが身震いしながら言った。  「ひどい一日だったね。僕はとうとう夕飯を食べそびれた。明日はどうなることやら」  アキラが伸びをすると、正門からタクシーのヘッドライトが近づいてきた。車寄せに滑り込むと、バリバリ、ボリボリと妙な音がした。  「フミ、なんか変な音しなかった?」  「だね。なにかが潰れるような・・・ひっ」  フミがのけぞって尻もちをついた。アキラは慌ててフミを抱き起こした。    「どうしたの、へんな声出して?」  「アキラ、あ、あ、あれ、あれ見て」  フミが震えながらタクシーのタイヤ付近を指さしている。暗くてよく分からない。運転手が慌ててドアを開き、下車してきた。  「大丈夫ですか、うわ、なんだこれ!」  運転手が何かを避けようと、足の踏み場を探している。妙な民族ダンスを踊っているようだ。アキラの目が暗闇に慣れてきた。  「うわっ!」  高田製薬の車寄せは大量のカニで埋め尽くされていた。カシャ、カシャ、カシャ、カシャ、カシャ。激しい雨音にもかかわらず、カニがアスファルトを這い、仲間とこすれあう気味の悪い音が闇夜に満ちていた。
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