見えすぎちゃって困る

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 カニの大量発生の原因は高田製薬にあるとの濡れ衣を着せられ、全都民を敵に回すことになった高田グループ名誉会長の高田善治郎が、バリケードを築いて会社に立て籠ると決めたころ、善治郎の亡き妻、ウシは閻魔大王の前で困り果てていた。  善治郎を助けに行こうと外出願を出したところ、却下されてしまったのだ。あの世の者が現生に戻るには、いろいろと面倒な手続きがあった。最大の関門が閻魔大王だった。  却下された原因は、いつも閻魔様の横に座ってウシを援護射撃してくれていた小野篁(おののたかむら)の不在だった。小野は平安時代の生まれで、嵯峨天皇に使えた官僚だった。あの世とこの世を行き来する不思議な能力が閻魔の目に留まり、閻魔の側近として死者の裁きを手伝っていた。現世でのっぴきならない仕事が入ったということだった。  「あの、閻魔様、外出を許可していただかないと手遅れになってしまいます。善治郎さん、いえ、私の主人は窮地に立たされています。主人は平和な世をつくるために精進してまいりました。まだまだやらなければならないことがあるのです。どうか私を遣わせてくださいませ」  ウシは閻魔に土下座した。かれこれ10回目の土下座である。  「ならん、ならん。歴史を書き替える行為は許されん。篁の奴は、そなたを甘やかしすぎたわい。諦めて天道に戻りなされ」  閻魔はてこでも頭を縦に振らない。ウシは観念して告白した。  「閻魔様、実は私、既に歴史を書き替えてしまったかもしれないのです。実は、あるお方に力を授けてしまいました。例の新型コロナウイルスですか、あれに感染するのが恐ろしくて会社に行くのがおつらそうだったので、親切にしていただいたお礼に、私、つい『千里眼』を与えてしまったのです。それがもとで、今回このような騒ぎになりました。私には責任がございます。始末をつけなければなりません」  「な、なんと。千里眼を与えたとな。なんと罰当たりな。そなた畜生道に落とされても文句は言えぬぞ!」  閻魔は鬼のような形相でウシをにらみつけた。畜生道か。名前の通り牛にされるのかしら。そうしたら善治郎さんに飼ってもらおう。2人で牧場をやるのも悪くないわねえ。謝り疲れてウシがそんなことをぼんやり考えていると、平安貴族の装束を身にまとった小野篁が駆け込んできた。  「いやはや、閻魔様、ウシ様、遅くなって申し訳ございません。篁、だだいま戻りました」  「篁、遅いではないか。この者にほとほと手を焼いておる。外出は断固として許可できぬ。聞けば、掟を破って誰かに千里眼を与えたと言うではないか。たったいま畜生道へ落とすと申し伝えたところじゃ」  「ほほお、千里眼を。それはよいことをしましたな、ウシ殿、あっぱれでござる!」    小野篁は扇子を取り出してぽんと膝を打つと、ウシに喝采を送った。驚いたのは閻魔である。  「篁、きさま血迷ったか。仏の霊力を人間に与えることは厳に慎まねばならぬ。それをあっぱれとは、何事か!」  閻魔の大きな口から火炎が飛び出し、篁はそれをひょいとかわした。ウシは成り行きが読めず、ただただ目を泳がせていた。  「閻魔様、ウシ殿が千里眼を与えなかったら、新型コロナウイルスによる死者はたいへんな数になりましたでしょうな。閻魔様と私はここに座って延々と裁きをしなければなりません。それはそれは、気の遠くなるような長い時間、座りっぱなしだったでしょう。そうなれば、閻魔様を3千年もの間、苦しめている痔瘻(じろう)がさらに悪化していたでしょうなあ・・・」  篁は、おおっ、怖、おおっ、恐、と繰り返し、自分の尻をなでた。  「じ、痔瘻が・・・そ、それは困る。そういえば最近、調子がよかったわい」  「そうでござりましょう、閻魔様!それはウシ殿の手柄でござりますよ。ただ・・・」  「ただ、なんじゃ?」  閻魔はいらついて篁に続きを促した。  「ウシ殿の働きを邪魔する者が現れたようでございます。このままでは死者が一気に増えますでしょうなあ。そうなれば閻魔様の痔瘻はまた悪化・・・」  篁は扇子で顔を覆い、よよよと泣いてみせた。  「篁!それは困るぞ!わしは最近まで厠に行くのが怖くて好物のこんにゃくも食えなかったのだ。ああ、もう、わかったわい。早う行け。ただし死者が増えたら今度こそ畜生道に落としてやるから、そのつもりでおれよ!」  「あ、ありがとうございます。必ずやみなを助けてみせます」。ウシは満面の笑みで閻魔に礼を言った。  「そうと決まれば、ウシ殿、急ぎましょう。井戸のそばに私の牛車を待たせています。遣ってくださいませ」  小野篁はウシの先頭に立ち「黄泉帰りの井戸」を出口に向かって進んだ。井戸を出ると、そこには金銀の華美な細工で装飾された立派な牛車が待機していた。  「あの、篁様、なんとお礼を言ってよいか。ただ、あの、牛車ですと、ここ京都から東京まで何日かかるかのかと・・・」  ウシの困った様子を見て、篁は扇子で顔を隠し、ほほほほぉと笑った。  「私の牛車は鳥のように空を飛びまする。東の都などあっという間ですぞ。ささ、閻魔様の気が変わらぬうちに行きなされ」  ウシは安心して牛車に乗り込むと、あらためて礼を言った。  「篁様は本当に閻魔様のご信任が厚いのですね」  「信任などではありませぬ。我々貴族は権力を操る術を心得ておるのです。相手の権力が大きければ大きいほど、操り甲斐があるというもの。私はかれこれ2千年、閻魔様にお仕えしておりますが、やめられませんなあ。ほーほほほほほ」
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