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信也が追いかけてこないように、どこまでも走って逃げる。
走って走って、やがて足が重くなって動かなくなる。
膝に手をついて乱れた息を整えた私は、辺りを見回した。
東京と千葉を隔てる川に架かる道路橋。
どうりで疲れたはずだ。随分遠くまで来た。
今夜はキレイな満月。
煌夜と会った夜と同じ。
都会は明るいから、月の光はあの時ほど輝いてはいない。
手すりにもたれかかってぼーっと川を眺める。
信也になんて言い訳しよう。
結婚は嫌だと言ってしまったようなものだ。
ううん、伝わった方が良いのだろう。
でも、その後の展開が憂鬱だ。
信也は自分の思い通りにならないとしつこく相手に詰める癖がある。あれがたまらなく嫌だった。
戻りたくない。でもまだアパートにいたら? 明日は仕事だから帰らないわけにはいかない。
家族がいなくなってしまってから、人生がひたすら面倒に感じるようになった。
もう嫌だ。何も考えたくない。このまま消えてしまいたい。
私は叫び出したいような、自分で自分を傷つけたいような気持ちに襲われる。
「小夜」
すぐ近くから聞こえた声に驚いて振り返る。
「嘘……。煌夜?」
私は瞬間的にそう答えていた。
そこには、5年前と何一つ変わっていない煌夜が立っていた。
ゆるくウエーブがかかった髪の毛も、ジャケットとパンツという出で立ちも。
「小夜、久しぶり」
「煌夜、どうしてここに……? 信じられない」
「だから言っただろ? 必ずまた会えるって」
煌夜はふわりとした笑みで言った。
「煌夜、まさか私のことをずっと尾けていたの?」
「ひどいな。それに、僕を呼んだのは小夜だ。あの時も今日も、君の叫びが僕を呼んでいるんだ」
「どういうこと?」
「君は僕に惹かれていただろう?」
煌夜はゆっくりと近づき、私の目の前に立つ。
5年間会っていないはずなのに、久しぶりの感覚がないのはなぜだろう。
やっぱり、彼は美しい。私は彼から目が離せなくなっていた。
「あの時はまだ出会ったばかりで、俺の手を取ってはくれなかったね。でも君は今日、僕に会いたいと思ったんだろ? だから僕らは会えた」
「どうして……。煌夜、あなたは一体何者なの?」
煌夜はニコリと微笑む。
「それは君が一番よく知っている。君がこの5年間ずっと想ってきたもの。それが僕だよ。ずっと見守っていたんだ。僕ならきっと君に安らぎを与えることができると」
煌夜の言っていることが分からなかった。
彼の細くて白い指が私の頬をすべるように撫でた時、その甘美な刺激に心の底からうっとりとした。
私は彼に惹かれている。
ううん、それどころじゃない。
5年間ずっと忘れられずにいたのは、心のどこかで彼への気持ちを育んでいからなのだろう。
私が5年間ずっと想ってきたもの――。
そう反芻すると、私はふと引っかかるものを感じて顔を上げた。
煌夜は私のその表情を受け止めて、答えるようにうなづいた。
そういうことだったのか。
私があなたにここまで惹かれた理由。
あなたはずっと私の側にいてくれたのね。
今なら確信を持って言える。
私はあなたを愛してしまった。
「煌夜、私はもう戻りたくないの。一緒に行ってくれる?」
「いいよ。もともとそのつもりだった」
思わず笑顔になった。
自分でもぎこちなくないと分かるくらい、久しぶりの笑顔。
煌夜は私の手を取り、ゆっくりと歩き出した。
「行こう。一緒にいるから。新しい世界を見せてあげる」
「うん、行こう」
長く続く道路橋を二人で歩く。
橋の向こう側が、満月に照らされて淡く白い光で包まれている。
私には、それがとてもステキな世界に見えた。
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