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彼女を選んだ彼の話
小夜に初めて会ったのは、大切にしていた女性との決別を選んだ日の夜のことだった。
あの何もない川原を選んだのはただの気まぐれだった。
でも今思えば、あの日既に小夜と出会うことは運命づけられていたのだろう。
初めて彼女を目にした僕は、その美しさに目を瞠った。
夜の闇よりもなお黒くつややかな長い髪。
透き通るような肌は街灯がなくても白く発光しているようにさえ見える。
一目で心を奪われた。
つい先ほどまで別の女性の事を考えていたのに不謹慎かもしれないが、とにかく僕は小夜に釘付けになった。
小夜は家族を失った絶望から、今にも消えてなくなりそうなほど消耗していた。
実際、彼女の命の灯は消えかかっていたように見えた。
しかし、彼女にはまだ少しの希望もあった。
彼女を思う周りの人間。その力が、まだかろうじて小夜のことを支えていたのだ。
僕は小夜を見守ることにした。
小夜が高校を卒業して都会の大学に進学し、社会人になった今までずっと。
驚いたことに、一旦は悲しみを癒したと思った小夜だったが、時を追うごとにその心を閉じようとしていた。
家族のことで心ない言葉をかけられたことがあったのだろう。他人の善意や気遣いにかえって傷ついたこともあっただろう。
彼女は次第にそれまでの小夜という人間の人格を殺し、別人を生きるようになった。
別人の小夜は、誰とも交わらず、笑わず、その代わり傷つくこともない。
ただ呼吸するだけの人形だった。
小夜は僕のことを時折思い出し、空を見上げはするがやがてまた表情を消して日常に戻っていった。
それを見るのはひどく辛かった。
僕はいつでも君の側にいるのに。君さえ望めばいつだって手を伸ばすのに。
彼女が社会人になって恋人を作った時、僕は心の底から叫んだ。
やめろと。
断じて嫉妬ではない。
好きでもない男を寂しいからと側に置いた彼女の選択の間違いに、警鐘を鳴らしたかったんだ。
しかし、僕を心から求めていない彼女にその叫びは聞こえるはずもなく。
案の定彼女は、せっかく作り上げたセイフティゾーンを、恋人によって粉々に壊されようとしていた。
当然だ。
人と交わることをやめた彼女は、面倒事を受け流すYESは言えても、強い意志を示すNOが言えなくなっていた。
このままでは小夜は壊れる。
僕はいてもたってもいられず彼女を追いかけた。
黒一色のブラックホールのような彼女の心が、クレヨンで書きなぐったように激しい動きを見せている。
小夜。小夜。小夜。
「小夜」
「嘘……煌夜?」
彼女が僕の方を振り向いて驚く。
やっと僕の声が君に届いた。
「小夜、久しぶり」
「煌夜、どうしてここに……? 信じられない」
「だから言っただろ? 必ずまた会えるって」
君さえ望めば、僕はいつだって君の前に現れた。
「煌夜、まさか私のことをずっと尾けていたの?」
ずっと心配していた僕へのあんまりな言葉に、思わず苦笑いした。
「ひどいな。それに、僕を呼んだのは小夜だ。あの時も今日も、君の叫びが僕を呼んでいるんだ」
「どういうこと?」
「君は僕に惹かれていただろう?」
小夜の頬に朱が差した。
間近で見る小夜はさらに線が細くなり、まるでガラス細工のように繊細で美しかった。
ショーケースに入れて部屋の奥でずっと愛でていたい。
あの信也という男が小夜を手に入れたかった気持ちは分かる。
「あの時はまだ出会ったばかりで、僕の手を取ってはくれなかったよね。でも君は今日、僕に会いたいと思ったんだろ? だから僕らは再会できた」
小夜は不思議そうな顔をした。
「どうして……。煌夜、あなたは一体何者なの?」
「それは君が一番よく知っている。君がこの5年間ずっと想ってきたもの。それが僕だよ。ずっと見守っていたんだ。僕ならきっと君に安らぎを与えることができると」
僕のことを恐ろしい存在か何かと勘違いする人もいる。
死神などと揶揄されたこともある。
しかしそれは間違っている。
僕は「死」そのものだ。
僕は「生」を奪わない。
死期が近い者、死を欲する者、そういう人間たちの側に寄り添うだけだ。
考え込んでいた様子の小夜だが、やがて僕の正体に気付いたらしい。
そうだよ、小夜。僕はあの日からずっと君の側にいたんだ。
全てを知った小夜は、深い安堵の表情を見せた。
あぁやはり君は――。
小夜と初めて出会った日に手放した女性は、僕を選ばなかった。
最後の最後で、生きることを決めたんだ。
それならそれでいい。
どちらでも、好きな方を選べばいい。
でも、僕を選んだのなら、もう孤独にはさせない。
「煌夜、私はもう戻りたくないの。一緒に行ってくれる?」
「いいよ。もともとそのつもりだった」
僕は小夜の手を取る。
小さな白い手は、緊張のせいか少し震えていた。
心配しなくていい。何も怖くないし、向こうの世界は皆が思っているよりずっと美しいんだ。
橋の向こう側は、月が溶けて零れたように白く輝く。
そう、あちらの世界は夜が煌めくんだ。なかなかステキだろう?
小夜も隣で眩しそうに微笑んでいる。
僕達は、しっかりと手をつないでゆっくりと光の方向へ歩き出した。
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