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真黒な傘を差し、駅から続く道を進む。
ただ真直ぐに歩いた。この雨のせいか路上には人の姿は見当たらない。
ふと気づくとそこには、おぼろげに見覚えのある門扉があった。表札は汚れて判読できそうもない。インターフォンを押してみたが返事はなく、しんと静まり返っている。門扉をくぐり玄関のドアを引いた。鍵はかかっていなかった。
おぼつかない記憶をたどり、家の奥へと進む。そこは祖母の部屋だった。樟脳と線香と古びた布の混ざりあった、懐かしい匂いが鼻腔から肺を満たす。子供の頃に何度も訪れた祖母の部屋そのままに、ゆうに五十年以上使い込まれてきたタンスは、取っ手のまわりだけ他よりも一段明るく、ぬらぬらとした艶をたたえていた。その上には祖父の写真が飾られ、手前には使い古した大きな湯のみが置かれている。節が目立ち多くの皺がある手、薬指の皺の間、純度の高い金の指輪は長い年月で、最初に刻まれていたおめでたい柄は擦れて、代わりについた小さな傷が柔く煌めいていた。僕が好きだった手だ。その手がふいに僕の手を掴んだ。
「大きくなったねぇ」
祖母の声だ。
「大きくなったねぇ。偉いねぇ」
祖母は何度も頷き、僕の手を撫でていた。
「おばあちゃん。ここはどこ」
気づくと、雨の降り続く街に立っていた。
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