「犬だから」

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「犬だから」

「あなた、今晩犬だから」  沙璃がそう言うと諒は一瞬びくりとして、すぐに美しい白皙に拗ねた表情を浮かばせた。 「僕はいつも犬扱いされている気がしますけれども――?」  四十過ぎて拗ねる男もどうかと思うが、二十近く上の男が拗ねるさまを見て愛らしいと思う自分もどうなのだろう。  もとより沙璃同様に色素の薄い彼だが、夜の彼の色彩は昼より淡く見えた。さらさらと癖のない髪は茶を帯びて、綺麗な二重の下の瞳は同様に明るい。白絹をまとってもなお白い肌のうえ、かたちの良い唇だけがほんのりと紅を帯びている。  ――犬ならやっぱり『シロ』かしら。  一度提案して拒まれた名をもういちど胸で転がす。 「……また、酷いことを考えましたね?」 「いいえ?」  諒の住まいは街外れに建つ明治期の洋館で、内装には当時隆盛を極めたアールヌーヴォー様式の影響が強く見てとれた。特にここ、彼の睡(やす)む主寝室は紅木の四柱様式寝台や中国家具が並び、十九世紀英国のオリエンタル趣味そのままだ。そこに和装の寝衣をまとった日本人が佇んでいるのは些か不思議な眺めだった。  亡母の異母弟、八雲(やくも)諒。  一年前に彼は沙璃と初めて会い、彼女の養父となり、愛奴となった。  沙璃は先にベッドに座って、おいで、と手招く。  諒はやはり不服げな表情でベッドに近づき、寝衣の裾を乱さぬように気を配りながら寝台に上がった。豪華なベッドは一八〇近い男と一七〇を超えた女を載せてもまだ広い。なにもかもが紅いこの寝室でベッドサイドに活けられた紫陽花だけが鮮やかに青かった。  指どおりの良い髪をそうっと撫で、顔を覗く。 「つけてあげる」  手のひらを見せると、彼は目を伏せ、寝衣の袂から紅い首輪を抜いた。
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