ダケン

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ダケン

 オンラインの対戦ゲームをプレイしていて、味方や敵のユーザー名に「おや?」と思ってしまうことがあるのは、わりとよくある話だと思う。  たとえば、初恋の相手とか、好きな漫画の登場人物とか、そういうのと同じ名前を設定している人を見たとき。  そういう名前を見ると僕は、懐かしくなったり、嬉しくなったりする。古いアルバム写真を見つけたときの気分に近いのかもしれない。  蒸し暑いある夜のことだ。  僕はそのとき、何人かのプレイヤーが二つのチームに別れ、互いに飛び道具で撃ち合う形式の、オンラインゲームにせっせか励んでいた。  しかし、プレイを始めてから数時間。ひたすら連敗を重ねてすっかり挫けてしまい、塩をまかれた蛞蝓のようになっていた。 「普段は多少なりとも勝つのに」と僕はガリガリと頭を掻きながら呻く。  時計を見れば、深夜二時。  さすがにそろそろまずいな、と思う。  勝敗にかかわらず、次の対戦で今日はもうゲームを止めることにした。ヘッドフォンを外し、椅子にもたれて小休止する。  開けっ放しの窓からは、セミの鳴き声が無遠慮に部屋に上がり込んでくる。卓上の扇風機が静かに首を振り続けていた。  やがて僕は椅子から立ち上がり、キッチンでコップに麦茶を入れて一息に飲む。再度コップに麦茶を注ぎ、それを持ってディスプレイの前に座りなおす。大きく伸びをして気持ちをリセットする。  僕が最近プレイしているゲームは、一人のゲームホストが「部屋」と呼ばれる参加者の待合所のような小分け空間をサーバ内に立て、そこにプレイヤーを集めて対戦を始めるものだ。つまりは、よくあるタイプのオンラインゲームである。  僕はコントローラを操作し、ホストとして部屋を立て参加者を募った。  やがて、まず一人のプレイヤーが僕の立てた部屋に入ってきた。僕はそのプレイヤー名に思わず「お?」と内心で呟き、無意識に本当に「お?」と呟いた。    にゃめたろう:ヨロシク  にゃめたろうというプレイヤーは、部屋に入った直後にチャットで挨拶をした。このゲームの対戦部屋には、集まった参加はが全員見ることのできるチャット領域がある。   しかし、実際にそこにチャットを打ち込む人はあまりいない。決して異端というわけではないが、そこそこ珍しい部類の人だと思う。  一応の礼儀として、僕は返事を送った。  タミリョウ:こんばんは、よろしくお願いします  タミリョウ。これでも僕の本名、フルネームだ。  ゲームというのは、プレイする際に、ほとんど必ず名前の入力を求められる。新しいゲームを始める度に名前をどうしようかと迷うのが面倒臭くなり、気づけば全て「タミリョウ」を入れるようになっていた。  僕が、にゃめたろうという名前になぜ「お?」と思ったかといえば、それが高校生の頃、同級生のとある女の子に僕がつけたあだ名だったからだ。そう呼んでいたのは僕しかいなかったけれども。それもそのはず、彼女は当時不登校で、僕以外のほとんどの同級生と交流がなかった。ちなみに僕は彼女の家の隣家の子で、小学校入学以前から彼女の家と縁があった。  補足するが、彼女は決していじめなどで登校を拒否するようになったわけでなく、「女子高生の今こそ引きこもるべきだと思わない?」という、多くの人が首を傾げる理由によって、とても前向きに引きこもり生活をスタートさせた。どうやら充実しているようだった。  彼女の家族も「まあいいんじゃない?」という素敵な放任スタンスで彼女を咎めず、結局彼女は高校に数回しか通わなかった。  もちろん彼女は出席日数の絡みで卒業できなかったが、彼女は大卒認定をいとも簡単に取得し、普通に大学に通い始めた。曰く、不登校に飽きたそうだ。  学校での生活を彼女と過ごすことはなかったが、当時一番仲が良かった人は誰かと問われれば、僕はまっさきに彼女を名前を出すだろう。  ほとんど毎日、放課後は彼女の家に乗り込み、リビングで一緒にゲームをした。休日になれば引きこもりのくせにやたらアクティブな彼女に連れ回され、海やら山やら川やら街やら駆けずり回った。そんな日々は嫌いじゃなかった。  残念ながら僕と彼女の進んだ大学は別々で、僕は別の県の大学に、彼女は地元の大学に進学した。  彼女との交流はハサミで糸を切ったように、ぷっつりと無くなった。  今思えば不思議なのだが、メールやSNSの連絡先を一度も交換したことがないので、連絡の取りようがなかった。「あれ? あいつの連絡先知らなくね?」と気づいたときには後の祭で、引越しのバタバタも終わりかけた四月の半ばだった。あまりに毎日会いすぎて、連絡が取れなくなるという状況に思い至らなかったのかもしれない。    にゃめたろう:おーい?  ポロンというチャットの通知音で、僕は部屋に参加者が集まり全員準備が完了したことに気づいた。慌ててヘッドフォンを装着し、「いざ」と勢い新たにゲームをスタートさせる。汗でぬらぬらするコントローラーを服で拭い、強く握りなおす。  しかし、僕の溢れんばかりのやる気とは裏腹に、プレイの調子は一向に上がる気配はない。  敵を全く倒せないし、ひたすら倒されるしで、誰がどう見ても僕はチームの足を引っ張っていた。  そしてそのまま、僕が所属するチームの負けでゲームは終了した。本日の数々のバトルの中で、最速で敗北した。  チームの仲間に対して申し訳なくなった僕は、言い訳するように謝罪のチャットを送信する。普段はそんなことしないのだが、チャットを打ち込むことへの心理的なハードルが既に一段低くなっていた。  タミリョウ:誠にごめんなさい。  あまりに馬鹿っぽくならないくらいのおどけ方をしてみる。いつか新卒で会社に入ったとき、本当に「誠にごめんなさい」とつい言ってしまいそうで、ふと不安になる。  ややもまたずに、にゃめたろうから返事があった。  にゃめたろう:ひどかったw次は頑張ろうゼ。  次は頑張ろうゼ、ときたか。 「マジか……」  僕は汗で蒸れる髪を掻きながら、思わず呻いた。  これで最後の対戦、と思っていたが、どうやらゲームを止めるに止められなくなってしまったようだ。おまけに参加者全員が再戦を希望した。  後に引けず、もうどうとでもなれ、と僕は破れかぶれになる。コップの麦茶を飲み干し、口元を拭い、ゲームをリスタートさせた。  明日のゼミなぞ知らん、今この瞬間の戦いが全てだ、というネジの抜けた意地を、誰にするでもない言い訳のようにかざしてみる。ちなみに、にゃめたろう以外の人は僕の謝罪に特にコメントをくれなかったので、余計恥ずかしくなった。  それから十数戦、いくらか参加メンバーは変わったが、にゃめたろうはずっと部屋から離脱することなく、僕もゲームのホストを続けた。  にゃめたろうが味方の時はその位置をマップで探してサポートすることに徹し(結果的には僕がサポートされていた)、にゃめたろうが敵のときはやはりマップで位置を探して突撃していった(もちろん返り討ちにあった)。  そろそろ本当に明日のゼミまずいのでは? と冷静になり始めた午前五時。  示し合わせたように数人のプレイヤーが部屋から抜け、それに引きづられてか、他のプレイヤーもぞろぞろと抜けていった。部屋には僕とにゃめたろうだけが残った。  にゃめたろう:そして誰もいなくなった  参加プレイヤー不足でゲームはもはや開始不能。普通はこのまま部屋を閉じてゲームを終了させるが、にゃめたろうは引き続きコミニュケーションを望んでいるようだった。オンラインゲームをしていると、こういう雑談の時間もなくはない。  時刻は午前五時十分。  ゼミは午後一時から約一時間。  空は白みはじめ、鳥が鳴いた。いっそこのままゼミの時間まで起き続けているほうが良いかもしれない。僕はにゃめたろうとのチャットに興じて時間を潰すことに決めた。  タミリョウ:ちょうど十人いなくなったね  にゃめたろう:鳥が泣いてる。朝だ  タミリョウ:え、泣いてんの?  にゃめたろう:やかましい。分かれ  タミリョウ:鳴いてますともさ  にゃめたろう:昨日面白い小説読んだんだけどさ  タミリョウ:突然だなあ。何?  にゃめたろう:部屋に虫はいってきた!  タミリョウ:だから突然だなと  にゃめたろう:むにゅっとした  タミリョウ:もしや、つぶしたか……?  にゃめたろう:アイスうまい  タミリョウ:それはよかった  にゃめたろう:そして誰もいなくなった、を読んだの  タミリョウ:予期せぬ伏線  にゃめたろうは節操なく、あっちへこっちへと話題を作り出しては放り投げて明後日の方へ走り出し、出し抜けにUターンして回収していく。  しばらくチャットを続けて、にゃめたろうが摩訶不思議な人間だということを十分に理解した。  僕としては退屈しないので、眠気覚ましにはちょうど良く、ありがたくはあった。  しかし段々、「にゃめたろう」という文字が画面に表示されるたび、本物のにゃめたろう(別に偽物はいないけど)が脳裏に浮かんでくるようになった。  彼女は今、何をしているのだろう、と眠気で霞んできた頭で思いを巡らせてしまう。大学こそは行っているのだろうか。彼女は気分屋だけど、その気になれば人と仲良くなれる才能は持っていたから、友人もいっぱいできて、恋人なんかもいたりするのかもしれない。キャンパスライフを謳歌してそうだ。  一方の僕はと言えば、どうだ。この有様だ。  本業を怠けてゲーム三昧、「僕はなにをやっているんだ?」と我に帰っては明日から頑張ろう、の繰り返しだ。  大学生になれば、楽しいことや充実したことの一つや二つ、向こうから歩いてくるものだと思っていた。実に浅はかであった。たとえば、恋の一つや二つしてみたかった。恋とか考えたところで再び脳内で再生される彼女の横顔が憎い。  にゃめたろうとの会話はやがてプライベートの領域まで進出していった。  個人を特定されるような情報はきちんと隠すけど、少なくとも画面の向こうのにゃめたろうが男であることは、言葉の端々から薄々察せられた。  僕の脳はそこまでハッピーにできてはいないけれど、それでも、もしかしたら? なんて淡い期待を抱いていたようで、がっかりした自分に驚いた。  にゃめたろう:ボクはすっかりくたびれてしまった医者になりたいんだよね。ネクタイを雑に締めて、あちー、とか言っているような  タミリョウ:意味がわからない。将来の夢が独特すぎる  にゃめたろう:タミリョウは好きな人いる?  僕は「は?」とそこそこ大きな声をあげ、眉をひそめた。相変わらず突然なやつだ。  タミリョウ:は?  にゃめたろう:いまリアルでも「は?」て言ったろう  タミリョウ:覗くなよ  にゃめたろう:恋バナしようぜ、恋バナ  タミリョウ:女子かよ  寝不足は神経を乱高下させる。  僕はすっかりにゃめたろうのペースにまやかされて、たまには感傷的に、つまり恋愛脳になるのも悪くないような気になっていた。それに、ここまでで既に、現実の友人には到底言えないような私的なことも色々語ってしまっている。ネット上では僕は随分素直な人間になるものだなとせせら笑った。  タミリョウ:いるんだけど、どこにいるか分からないんだよなあ  にゃめたろう:ほう?   タミリョウ:高校までは頻繁に会ってたんだけど、大学入ってからは連絡とれなくなってしまったもんでさ  にゃめたろう:大学生以上であることがわかってしまった  タミリョウ:あ  にゃめたろう:まあ、平日のこんな時間までゲームやってる時点で察するけどな  タミリョウ:そう言うそっちも  にゃめたろう:まあな  タミリョウ:にゃめたろうは好きな人いんの  にゃめたろう:ん?  タミリョウ:そっちの番  にゃめたろう:おう、ばっちりいるぜ。なんなら恨んでる  タミリョウ:そりゃなによりだ。よかったな  にゃめたろう:もっと聞けよ。恋バナさせろよ。寂しいだろ。好きなのに恨んでるとか気になるだろ普通  タミリョウ:えぇ……  にゃめたろう:今度はそっちのターン  好きだった子と同じ名前をした男と恋バナをするという奇妙な状況に、僕はすっかり楽しくなってしまった。多分、その時の僕はひどくにやけた顔をしていたと思う。  タミリョウ:んー、にゃめたろう、ってユーザー名さ  にゃめたろう:ん?  タミリョウ:その子のあだ名なんよ  にゃめたろう:えええ  タミリョウ:おおお  にゃめたろう:僕のこと好きだった? まじ? 照れるなあ  タミリョウ:自意識がひどい  にゃめたろう:まんざらでもない(くねくね)  タミリョウ:身の毛がよだつ  にゃめたろう:その子にもし偶然会えたらどうするん  タミリョウ:えー、告白でもしちゃう? ずっと前から好きですとか言っちゃう?  にゃめたろう:キャッ  タミリョウ:野郎がキャッとか言うな  にゃめたろう:おっほ  タミリョウ:許す  にゃめたろう:なるほどなるほど  タミリョウ:ん?  そのとき、六時のアラームが部屋に鳴り響いた。  驚いた僕は反射的に腕が動き、そのはずみでコップを吹っ飛ばしてしまった。 「あー……」  それは高校生のときに、本物のにゃめたろうからもらったコップだった。ガラス産業で有名な港町の体験教室で一緒に作り、作ったものを彼女の提案で交換しあって使っていた。コップは薄いガラス製だったので、落ちた衝撃で割れてしまった。  にゃめたろう:あ、六時。さすがにそろそろ寝るわ    僕はシクシクとコップの残骸を拾っていたので、にゃめたろうのチャットにすぐに返事をすることができなかった。コップを拾い集め、再び画面を見たとき、既ににゃめたろうは部屋から抜けていた。  にゃめたろう:じゃあな、駄犬  にゃめたろうが部屋から抜けました。  にゃめたろうがいなくなり、急に現実に引き戻されたような気がして、僕は孤独感をひしひしと感じた。  ついさっきまで画面をはさんだすぐそこに、にゃめたろうが本当にいるような気がしていた。きっと、軽薄そうな笑みを浮かべた小柄でサラサラ茶髪の男だ。訳も分からず一発殴りたくなるような顔だと思う。  集めたガラスは悩んだ末、泣く泣く捨てることにした。SNSを開き、寂しさのあまり誰かにメッセージを送ろうと考えて、やめた。  ベッドに転がり輾転反側、目を瞑り彼女のことを考えていると、知らぬ間に寝てしまっていた。もちろん目覚ましはかけ忘れた。  ハッと起きると、ゼミの先輩からお叱りのメールと着信が何件も来ていた。  時刻は午後四時四分。ゼミの開始時間を三時間以上過ぎていた。  やってしまった。  すみませんすみません親が突然来て今までずっと怒られてて、と寝ぼけた言い訳を考えながら、教授やゼミの人たちに菓子折りでも買おうかと項垂れる。項垂れ過ぎて首の後ろが痛くなってきた頃、再び着信があった。もちろん僕はワンコールで電話を取る。 「本当にすみません、先輩。親が突然来て今までずっと怒られてて。菓子折り持っていきますので許してください」 「え? まじ? お菓子?」  電話の向こうから聞こえてきたのは怒気をたっぷり孕んだ先輩のだみ声ではなく、芯があり鋭いがどこか気の抜けたような女の声だった。 「は?」  僕は寝不足のせいもあってか、思考が完全に止まった。女はなぜか黙っている。スマートフォンを耳から話して画面を見ると、知らない番号からの着信だった。 「どちらさま……でございましょうか?」 「何か言うことはあるかね」  口を噤んで、僕は長考する。どういうことだ? 「やっほう、駄犬」  ポーンと、小気味の良い音が頭の中で鳴った。 「あー、そういうこと……」  ところでだが、僕の名前である「タミリョウ」を漢字で書くと「田見良」だ。実に書きやすい名前だと我ながら思う。田んぼを見るのは良いことだ。  そして僕の知る限り一人だけ、妙な読み方で僕の名字を呼ぶ女の子がいる。変なあだ名をつけられたことへのお返しなのだそうだ。 「いや、さすがにあれはな? あれは嘘だ」と僕は慌てふためき、部屋の中で一人あとじさる。 「いやー、偶然って怖いね。さすがにびっくりしちゃった」  女のニヤケ顔が眼に浮かぶようだった 「ちなみに連絡先、ボクは知ってたよ?」 「は?」 「あ、最近ボクっ娘にやってみてるんだけど、どう?」 「は?」 *  なぜ僕を選んだのか、その理由を彼女に一度だけ訊ねたことがある。  新谷メイの回答はこうだ。 「高校生活が楽し過ぎたやつは大学生活をあんまり楽しめなくなる。そしてゲームを始める」  高校のとき、彼女と対戦ゲームをするとだいたい僕が勝っていた。  今は彼女のほうが圧倒的にゲームが上手い。  つまりはそういうことだ。  コップは大学を卒業したあとに作り直した。  この前また割ってしまって、ひどく怒られた。
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