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父
私は、生まれてから一度も父と会話をした事
がなかった。
私が生まれた時には、酒乱だった父。
大正15年生まれで、生きていれば95歳。
早稲田大学を中退し、商船大学を卒業した。
貿易会社の代表取締役だった。
英語が堪能だったそうだ。
幼稚園の頃の私は、ピアノや絵の習い事、
家には子供用の英語教材、百科事典等、
大学は○○大学(お嬢様学校)に入れると、
言っていた。
だけど、父の酒乱が原因で、母は私を連れて
逃げて、何度も転校した。
小学4年生の時に父からの連絡が途絶えた。
母は、それから躁鬱病になった。
母一人子一人、生活保護を受けての生活。
私は、中学生の頃に、いつも思っていた。
お金持ちのお父さんが、迎えに来てくれる。
ずっと待っていた。
25歳の時に、父の親戚から連絡があった。
父が亡くなったと····
連絡が途絶えたのは、その頃、父が脳梗塞で
倒れたからだった。
父が亡くなった事を知らせてくれた親戚は、
父の従兄弟で、昔、父が援助をして会社を
立て直した。
私の事を興信所を使い調べたらしい。
親戚の叔父さんは、自分の家にゴルフ練習場
がある、とか、娘がスチュワーデスだとか、
自慢していた。
父は、私の記憶にある大きな人の面影はなく
痩せて別人だった。
興信所で私の事を調べるなら、生きている父
に会いたかった。
母が病気になって大変だった。
一言、文句言ってやりたかった。
私は学歴はないが、父の頭脳と母の優しさ、
両親のお陰で生まれた事に感謝します。
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