1/1
前へ
/2ページ
次へ

私は、生まれてから一度も父と会話をした事 がなかった。 私が生まれた時には、酒乱だった父。 大正15年生まれで、生きていれば95歳。 早稲田大学を中退し、商船大学を卒業した。 貿易会社の代表取締役だった。 英語が堪能だったそうだ。 幼稚園の頃の私は、ピアノや絵の習い事、 家には子供用の英語教材、百科事典等、 大学は○○大学(お嬢様学校)に入れると、 言っていた。 だけど、父の酒乱が原因で、母は私を連れて 逃げて、何度も転校した。 小学4年生の時に父からの連絡が途絶えた。 母は、それから躁鬱病になった。 母一人子一人、生活保護を受けての生活。 私は、中学生の頃に、いつも思っていた。 お金持ちのお父さんが、迎えに来てくれる。 ずっと待っていた。 25歳の時に、父の親戚から連絡があった。 父が亡くなったと···· 連絡が途絶えたのは、その頃、父が脳梗塞で 倒れたからだった。 父が亡くなった事を知らせてくれた親戚は、 父の従兄弟で、昔、父が援助をして会社を 立て直した。 私の事を興信所を使い調べたらしい。 親戚の叔父さんは、自分の家にゴルフ練習場 がある、とか、娘がスチュワーデスだとか、 自慢していた。 父は、私の記憶にある大きな人の面影はなく 痩せて別人だった。 興信所で私の事を調べるなら、生きている父 に会いたかった。 母が病気になって大変だった。 一言、文句言ってやりたかった。 私は学歴はないが、父の頭脳と母の優しさ、 両親のお陰で生まれた事に感謝します。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

10人が本棚に入れています
本棚に追加