40人が本棚に入れています
本棚に追加
家光と閨を共にした翌日、志乃は慣れぬ身体の違和感に苛まれながらも御付きの者に手伝われて身支度をしていた。いつも高く一つに結んでいた髪は丁寧に櫛梳られ、美しく結い上げられて家光から贈られた櫛を挿された。薄桃色の小袖を纏い、赤い打掛を羽織る。帯も何もかも、家光がいつか志乃に贈ろうと作らせていた物だった。そっと志乃の手が合わせに伸びる。無意識のそれにハッとして、志乃は手を下げた。そこにはもう、志乃が縋ったモノはない。
「お志乃の方様? いかがなさいましたか?」
初瀬が志乃の動きを不思議そうに見つめていた。昨夜は取り乱していてそこまで頭は回らなかったが、初瀬をはじめとする志乃の周りにいる奥女中達は志乃ほどではなくとも武芸に秀でている者達のようだ。春日局が志乃を見張るために用意した、選りすぐりの者達。
志乃が臥せっている時には既に、奥女中達には志乃が家光の側室として御中臈になるという話が春日局によって通達されていた。知らなかったのは、志乃ただ一人。
「いえ、何も……」
ぎこちなく首を横に振れば、不思議に思ってもそれ以上は誰も何も深入りはしなかった。志乃に付けられた奥女中の一人が恭しく志乃に鏡を見せる。だが化粧を施した己の顔を見る気にもなれず、志乃は一つ息をつくばかりだった。
「お志乃の方様、まもなく総触れの刻限にございますれば、お急ぎくださいませ」
家光と褥を共にし、御中臈の位を与えられた志乃は当然総触れに出なければならない。立ち上がれば奥女中達が襖を両脇から開けてくれる。総触れの為に長い回廊を歩けば、すれ違う奥女中達が皆脇に避けては頭を垂れた。そのどれもに志乃は居心地の悪さを覚える。いつも袴姿でいたせいか、御引きずりで歩くことにも慣れず、転ばぬように必然とゆっくりとした足取りになった。
長い長いお鈴廊下、志乃は初瀬に促されるまま前の方に座した。ズラリと並ぶ打掛を纏った奥女中達。幾人か見覚えのある顔に、志乃は己がしていた薙刀の稽古が家光に側室を与えるための道具でしかなかったことを再確認する。だが、だからといって、今更志乃に何ができるというのだろう。
最初のコメントを投稿しよう!