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「父上、少し志乃と話をしてもよいでしょうか?」
ずっと黙ったままだった友矩が告げる。宗矩は頷くことで許可を与え、友矩は志乃に近づいた。懐から何かを取り出して、それをそっと、志乃の手に握らせる。
「上様にお願いして、これは返していただいた」
手に握るのは、くたびれ色が少し褪せた赤い花袋。
「兄さま……」
揺れる志乃の瞳に、友矩は無理やり笑みを浮かべた。志乃の手を包み込む。
「連れて帰ってやれなくて、すまない……。だが志乃、私はずっと願うておる。あの日からずっと。それは今も変わらぬ」
〝恐怖に怯えることなく、涙することなく、幸あれ、幸あれと。何があっても、志乃が必ず守られますように〟
クッ、と志乃は唇を噛んだ。目頭が熱い。友矩は何の打算もなく、ただひたすらに志乃を妹として慈しんでくれたと、思ってもいいだろうか。
今なら……、すべてを知った今なら、あの十兵衛の視線も理解できる。あれは家光に無礼だと志乃を責めていたのではない。あれは、家光の為に求められる振る舞いではないと非難していたのだ。
三人にもお勤めがあるからと、早々に彼らは大奥を出た。去ってゆく後ろ姿を、志乃は瞬きもせずに見つめ続ける。あの背中を追いかけて、生きてきた。そこが志乃の帰る場所だった。たとえ梅と気が合わずとも、それでも彼らが家族だった。
「御方様、風が冷とうございますゆえ、どうぞ中へ」
もう姿は僅かも見えないというのに、そこから動こうとしない志乃を初瀬がそっと促した。父や兄と会ったことで帰りたいと言うのではないかと心配でもしているのだろうか、御付きの者達がそっと志乃を囲んでいる。
刀を握ったまま歩き出す。一歩動くたびにシュル、シュルと衣擦れの音がした。
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