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「何も。ただお心お健やかにお過ごしくださればよいのです。上様の御渡りがございます時は夕刻までに湯浴みなどの御仕度をしていただきますが」
本来子を宿すまでは側室とは認められない。だが志乃は家光自ら側室にすると宣言したために、子のいない今でも身分は側室だ。そんな志乃には着物の高価さや食事の多さなどの違いはあれど、御台所と同じような生活が与えられるのだ。
「しかし、あ、部屋の掃除はどこに道具がありますか?」
「掃除などは御末がいたしますゆえ、御方様は決してなさいませぬよう」
きつく言い含められてしまう。だが何もしないのはどうかと思うのは、志乃が傅かれる立場になかったからだろうか。
「では以前のように薙刀の稽古――」
「なりませぬッ」
志乃を咎めたのは初瀬ではなかった。聞き覚えのある声にビクッと志乃の肩が跳ねて襖の方を見上げる。部屋子が静かに襖を開けば、後ろに奥女中を大勢引き連れた春日局が立っていた。初瀬達が静かに三つ指ついて礼をする。志乃はハッとして立ち上がり上座から降りようとした。しかしそれを春日局が止める。
「どうぞ、お志乃の方様はそこにお座りください」
先ほどまで座っていた上座を指示されて、志乃はうろたえる。
「し、しかし春日局様がいらっしゃいますのに上座に座るなど――」
「どうぞお座りください」
言い募る志乃に構わず、春日局は志乃の正面に座った。付き従っている奥女中達も後ろに座る。有無を言わさぬ春日局に、志乃は逆らうことなどできず、恐る恐る元の場所に座った。
「先ほど聞こえてまいりましたが、お志乃の方様、この大奥にご側室としてお入りになった以上、刀や薙刀の稽古などもってのほかにございますぞ。稽古などしてもし万一お種が流れでもしたらいかがいたしますッ。いつお種が宿るかわからぬ以上、ゆるりとお過ごしくださいませ」
宗矩の言っていた通り、春日局は家光の子を望んでいる。お世継ぎを、一刻も早くと。もしも身ごもっていることを知らずに稽古で激しい動きをして流れては一大事だ。たとえ家光が志乃の意志を尊重してやれと言ったとしても、こればかりは譲ってもらえそうにない。
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