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「しかし何もせぬわけにも……」
「この大奥で、お志乃の方様にお求めすることはただ一つ。上様のお相手をしていただくことのみにございます」
しかし家光には政務がある。日がな一日中志乃の傍にいることなどできない。家光がいない長い時間を、どう過ごせばよいのだろう。
「今宵も上様の御渡りがございますゆえ、夕刻までにはご準備くださいませ」
「今夜も、でございますか?」
大奥に家光が寄り付かなかった話は志乃も以前より聞き及んでいた。その家光が二晩続けてくるなど、珍しいどころの話ではない。
困惑する志乃をよそに、春日局は満足げに笑みを浮かべて頷いた。その笑みは幼いころより長い付き合いになる志乃も見たことがない、気分が高揚して仕方がないというようなものだった。
「上様はお志乃の方様をご寵愛にございますれば、こうなることは予想しておりました。準備は万端にございますれば、すべては初瀬にお任せくださいませ。お志乃の方様は何一つご心配になることはございませぬ」
ただ身体を休めて、夕刻までゆっくりとすればいい。呼ばれれば家光の側に侍り、その心を癒し、子をもうけるために励む。志乃に求めるのはそれだけだと春日局は言い切った。
「何かご不便なことなどございましたら、なんなりとお申しつけくださいませ。お志乃の方様に肩身の狭い思いはさせるなと、上様からの厳命にございます」
「肩身の狭い思いなど……、恐れ多いことにございます。なれど、一つお聞き届けくださるのならば、何か、私にできることはございませんか? 掃除でも洗濯でも料理でも、何でもかまいません。ただ何もせず部屋におれというのは、どうにも慣れません」
位が高ければ高いほど、大奥の女子達は己の手で雑用をすることを厭う。それをするのは下の者の役目だと見下して憚らない。そして下の者はいつかのし上り優雅な生活をしたいと野心を抱く。だが志乃には身体を動かしていた方が気が楽だ。余計なことを考えずにすむ。
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