9人が本棚に入れています
本棚に追加
/66ページ
*
美緒のために早起きしてパンケーキを焼き、目玉焼きを焼いて、ウインナーもつける。リンゴをむいて、ウサギの形に皮を残した。
美緒はそれを見て、ちょっと驚いたようだったが、パンケーキが大きすぎるとか、目玉焼きが半熟じゃないとか、ウインナーがタコやカニじゃないとか、リンゴは皮が食べられないとか文句を言った。それでも一通りは食べた。
「幼稚園は休んで、動物園に行こう」
達哉が言うと、美緒は目を丸くした。「動物園?」
「別に何でもいい。水族園でも植物園でも、公園でも、遊園地でも」
「幼稚園に行きたい」美緒は達哉をじっと見た。
「幼稚園は嫌いだって言ってたじゃないか」達哉は肩をすくめた。
「嫌い。でも達哉と遊ぶよりマシ」
「なんで。俺、何か悪いことした?」
美緒は黙って達哉を見た。
「俺がママから君を取り上げたと思ってる?」
コクリと美緒はうなずいた。
「そうか」達哉は頬杖をついてため息をついた。「そうだよな。向こうにも友達はいるだろうし。じゃぁこれで最後にしよう。君がマドリッドに来るのは」
「ほんと?」
達哉はうなずいた。「ほんと」
美緒はじっと達哉を見つめた。少しかわいそうになる。
「寂しい?」
「ん?」達哉は美緒を振り向いて、それから笑った。「俺がロンドンに会いに行くよ」
「じゃぁ今日、ロンドンに帰ろうよ」
「今日か」
「お仕事、休みなんでしょ?」
「今日、動物園に行って、明日ロンドンってのでどうだろう?」
美緒は少し考えて、うなずいた。「いいわ」
達哉はにこりと笑った。
「イルカショーもあるし、レオン・マリーノのショーやバードショーもある」達哉が運転しながら言った。動物園を本人が一番楽しみにしてそうだ。
「レオンマリーノって何?」美緒は日本語で聞いた。
「海の動物。黒くて、手で歩く。拍手とかする」
「わかんない」美緒は口をとがらせた。
「見ればわかる」
「ウサギはいる?」
「いない」
「えーーーー?」
達哉は苦笑いした。「パンダはいる」
「ウサギがいい」
「ロンドン動物園で見よう」
「嫌だ」
*
と言っていたが、美緒はパンダにも夢中だった。達哉は美緒の五歳らしいところをようやく見られた気がしたし、少しは彼女の態度が軟化したような気もした。
ランチは家から持ってきたサンドイッチを食べた。美緒はイチゴジャムをぬったものだけ食べた。
園内には白い電気鉄道が走っていて、美緒はそれに乗りたいと思っていたが、達哉に頼むのも変な気がして黙っていた。
「美緒、アレに乗ろう」
達哉がそう言った時、美緒は自分が物欲しげに電車を見てしまったのかと思った。が、達哉は自分が乗りたいと思っているように、電車をじっと見ていた。
「やだ」美緒は顔をしかめた。
「乗ろう」
達哉はそう言って美緒の手を取った。美緒が渋っていると、達哉はひょいと彼女を抱え上げた。
「Help me!」
美緒は叫んだが、スペイン語では何て言うんだっけと少し考えた。
「美緒、向こうにキリンが」
達哉が言って、急に止まった。美緒は達哉の肩を持って前を見た。警察官みたいな制服を着た人が二人いて、ピストルを達哉に向けていた。
「止まれ」ともう止まっている達哉に向かって言う。
美緒は後ろも振り返った。あと二人走って来るのが見える。他の客が遠巻きに見ている。
「今のHelpは冗談だ。そうだよな、美緒」達哉が言った。美緒はうなずき、達哉の首にぎゅっとつかまった。
「子どもを下ろして、両手を上げろ」
そう言われて達哉は美緒を下ろした。美緒は達哉の足に抱きついた。
「お嬢ちゃん、こっちにおいで」警官が言う。
「いや」美緒はぎゅっと達哉の足にしがみついた。
警察官が近づいてきて、達哉のボディチェックをした。足を見るついでに、美緒を軽く引きがはがす。美緒は暴れたが、大人の男の力にはかなわなかった。
「達哉!」美緒は達哉が後ろ手に拘束されるのを見て、ビックリした。
「お嬢ちゃん、ちょっとパパに話を聞きたいだけだからね」
警察官が言って、美緒はそれを信じるしかなかった。
最初のコメントを投稿しよう!