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その日、達哉が帰って来たのは夜遅かった。美緒はそのときにはもう眠っていたけど、夜中に目が覚めたとき、隣に猫のチェリーがいないのに気がついて、ベッドから出て階下に行った。
階段を下りると、達哉が冷蔵庫の前に立っていた。
「どうした?」達哉は冷蔵庫から水を出し、グラスに注いで言った。「美緒も何か飲むか?」
美緒は首を振り、ソファに置いたままのチェリーを抱き上げた。
達哉はそれを見て、納得したようにうなずいた。「一人で寝られる?」
「ママのとこに行く」
美緒が言うと、達哉は小さく笑った。「俺じゃダメ?」
美緒はじっと達哉を見た。
達哉は笑って手を振った。「いいよ、ママのところに行っておいで」
美緒はそのままじっとしていた。達哉は水を飲み、美緒を見る。
「一緒に行こうか?」
美緒は首を振った。「水、ちょうだい」
達哉はうなずいた。そして新しいグラスを出して、冷蔵庫からミネラルウォーターを取る。その一連の作業を見ながら、美緒は達哉が本当にあちこち怪我をしているのだなと思った。松葉杖をキッチンスツールに立てかけたままなので、普通に歩くところを、少し体を傾けて歩き、腕を伸ばせば届くはずのところを、ゆっくり歩いて近づいて手に取る。グラスに水を入れるのも、少しやりにくそうにした。
「はい」と達哉がカウンターにグラスを置き、美緒はそこに近づいてグラスを取った。
「ありがとう」
水は気持ち良く冷えていて、すっきり目が覚めた。窓が開いていて、風が入って来ていた。海は真っ暗で、波の音だけが聞こえた。美緒は真っ黒い海を見て、少し怖くなった。真夜中の海を見るのは、初めてだった。
達哉は美緒の視線を追うように海を眺めた。
「達哉」美緒は海を見ている達哉に声をかけた。達哉は視線を美緒に戻し、次の言葉を待つ。美緒はじっと達哉を見た。たまに会う変な大人。これが私のパパだなんて。
「なに?」達哉は口に出して聞いた。
「一緒に住みたいって、達哉が言ったの?」
達哉は表情を変えずに、じっと美緒を見ていた。そして小さく息をつくと、一度うつむいてから、また顔を上げた。「ママが言った」
「達哉は思ってない?」
「思ってる」
「じゃぁどうして、今までバラバラだったの?」だから達哉をちゃんとパパと思えないのかも。
「そうだな、ごめんな」
美緒は口を尖らせた。「謝ってほしいんじゃないもん」
達哉はうなずいた。そしてどう言えばいいのか、じっと考えた。
美緒はチェリーを抱いたまま、カウンターの向こう側に行って、達哉を見上げた。達哉は戸惑うように美緒を見る。
「怖い?」美緒は達哉を見た。達哉は首をかしげた。「何?」
「ママが、達哉は怖がってるって。一緒にいると、私やママがいなくなると思ってるの?」
達哉は苦笑いした。
「達哉のパパやママや、友達がいなくなったみたいに、いなくなる気がするの?」
「ママがそう言ってた?」
美緒は首を振った。「達哉は小さい時にそうだったって聞いたから、今もそう思って怖いのかなって思ったの」
達哉は水をまた一口飲んで、息をついた。「そうだな、怖い」
「いなくならない」
美緒は達哉の横顔を見た。達哉は海の方をじっと見ている。そして目を閉じ、うなずいた。「わかってる」
「怖くて眠れない?」美緒は達哉の顔を見ようとしたが、よく見えなかった。
「大丈夫」達哉は笑ったみたいだった。
「怖い夢を見る?」
「大丈夫だ。美緒が心配してくれるとは思わなかった」と達哉は笑って美緒を見た。
「今日は、怖い夢を見たんじゃない?」
達哉はうなずいた。「まだ寝てない」
「一緒に寝てあげる」美緒はじっと達哉を見た。「目を閉じると、いなくなる気持ちになるんでしょう? 私もそうだから、わかるの。ちゃんと手をつないで寝ないと、どこか遠くに行っちゃう気がするの。それで怖くなるの。手をつないでたら大丈夫。怖い夢も見ないから」
達哉は美緒が手を出すのを見た。手をつなごうとして、息が詰まりそうになった。
「怖い?」美緒が達哉の手をギュッと握って言った。
「いや」達哉は唇を噛んだ。君の優しさに耐えられないだけだ。
「いなくならないから、寂しくならないで」
美緒が言って、達哉はうなずいて笑った。
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