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眠り王子
――今日も雨は、やまない。
「こんなに雨が続くと、腐っちゃうかもね」
眠る彼に話しかけるが、返事はなかった。
目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。
よっぽど深く、眠っているようだ。
「ずっと働きづめだったもんね。
ゆっくり休んだらいいよ」
そっと彼の髪を撫でると、ごっそりと抜けた。
仕事のストレスで円形ハゲでもできているのかもしれない。
「やっぱり臭う」
開けたクローゼットの中には、消臭スプレーが並んでいた。
それももう残りが少ないが、これだけ雨が続くと買いにも行けない。
「なんの臭いだろ、これ」
最近、家の中の腐臭が酷い。
消臭スプレーを撒いても撒いても取れなかった。
「今日の晩ごはん、なんにする?」
開けた冷蔵庫の中には昨日作った、唐揚げがそのままになっている。
彼が食べてくれなかったからだ。
はぁーっと憂鬱なため息をつき、ゴミ箱に捨てる。
「ねえ。
私のなにが不満なの?
どうせ、寝たふりなんでしょ?」
彼の肩を揺すったら、あたまがぐらぐらと揺れた。
それでも彼は目を覚まさない。
またはぁーっとため息をつき、汚れた手を洗って夕食の支度をする。
「今日はあなたの好きなハンバーグにするわ。
ねえ、好きでしょ、ハンバーグ。
今日こそ起きて、一緒にごはん食べてよ……」
刻むタマネギと共に涙が出てきた。
一週間前、彼が話があるとやってきた。
もう何ヶ月も彼に会えていなかった私は、大喜びで出迎えたのを覚えている。
けれど彼は私を見て驚き、罵倒し、あたまを抱えた。
そこでなんの話をしたのかなんて覚えていない。
ただ、気がついたら彼は眠っていた。
その日から彼は目を覚まさない。
低気圧になると体調を崩す人がいるというから、きっと彼もそうなのだろう。
あれから雨もやまないから。
「ごはん、できたよ」
声をかけたけれど、やはり彼は目を覚まさない。
今日も眠る彼を見ながらひとりでごはんを食べた。
片付けついでにまた、消臭スプレーを家中に撒く。
生ゴミの処理はきちんとしているはずなのに、腐臭が取れない。
絶対、この雨の湿気のせいだ。
だから、押し入れのあれが腐って……。
「押し入れの、あれ?」
押し入れの中には使わない布団しか入っていないはず。
もしかして忍び込んだ猫が、そのまま死んでいるのだろうか。
「気持ち悪い。
彼が起きたら見てもらおう」
そっと彼の頬を撫でたらずるりと皮が剥けた。
ガーゼを持ってきてそこに貼り付ける。
腕や足、身体中に貼り付けられたガーゼ。
それらは得体のしれない汁でじゅくじゅくと湿り、カビまで生えていた。
どうも彼は長引く雨のせいで、皮膚病にかかってしまったようだ。
だから本当は早く目を覚まして、病院に行ってほしいのだけれど。
「雨、やんでくれないと、彼が腐っちゃう」
雨はいつまで降り続くのだろう。
もしかしてこのままやまないのではないか。
それはそれで都合がいい。
この山の中の一軒家に続く一本道は、彼がここに来たあと地滑りで塞がっている。
雨が続けば永遠に、私はここに彼とふたりっきりだ。
「彼が腐っちゃうのは困るけど、誰にも邪魔されないのは嬉しい」
いつもいつも、彼と私の仲を邪魔する人たちばかりだった。
彼は仕事で疲れているのか、苛々して私を罵倒するばかりだったし。
でも、毎回ちゃんと身体は求めてくれたから、愛されているって自覚できたけれど。
眠って話さない彼は淋しいけれど。
罵倒されることに比べたら、ずっといいかもしれない。
「このままずっと、雨だったらいいのに」
そうだ、てるてる坊主をいくつも作って、逆さまに吊そう。
いつまでも雨が降り続くように願いながら。
【終】
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