当たらない宝くじ

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  『日曜東京へいく。十八時から空いているなら飯でも一緒に食べないか。  それと宝くじ二十枚買っておいて』  一昨日、田舎の父からメールが来た。何でも仕事の都合で東京に来るらしい。  私が田舎を離れて大学のために東京に住まうようになってからもう二年の歳月が過ぎた。最初の一ヶ月、心配性の父は頻繁にメールをよこしたが、鬱陶しいので返信をおざなりにしてからというもの、たまにしかメールは送られて来なくなった。内容は「元気か?」「ちゃんとご飯食べているか?」「たまには帰って来い」などなど他愛のないことばかり。広がらない内容のため相づち程度しか返していなかった。  以来、大学の行事やらテストやらとかこつけて、帰省帰郷の類はしていない。  家族が嫌いで顔を合わせづらいわけではないが、これは相づちだけで済む内容ではなかった。  宝くじ売り場に並びながら、ぼうと、そんなことを考えていた。 「いらっしゃいませ。何枚にしますか?」  景気の良い(うた)い文句で飾られた宝くじ売り場。ガラスで隔たれた店の奥から簡素な制服を着た若い女性店員が抑揚のない声で話しかけてくる。高々と掲げられた看板が正しければ、何でもここで夢が買えるらしい。搾取の間違いではないだろうか。こんな紙切れに夢を託す父の気持ちはどうにも理解できなかった。  迷いながらも頼まれた枚数を店員に告げる。 「連番ですか? バラですか? または後ろの番号から二つお好きなのをお選びください。1から20までが連番で21から40までがバラです」  そこまで指示されていなかったので一瞬戸惑った。私にとって宝くじを買うこと事態が初めての経験だったからだ。どうせ自分のものではないのだからと勢いで、頭に浮かんだ12番と29番を選んでやる。 「六千円になります」  お金と交換で、薄い封筒に詰められた薄い宝くじを受け取る。これに六千円もの価値があるものなのだろうか。当たれば大枚、ハズレれば紙屑。賭博と同じ。ただの気晴らしにしか感じない。こんな紙屑に夢なんて有り得ない。と、そんな私の考えを知ってか知らずか、踵を返して駅へ向かう私を店員が、 「――幸運を」  揶揄してきた。  総武線快速久里浜行き乗換えなし。品川駅北口改札を抜けて階段を下りて東に少し歩いた所に案内板があった。その看板の前が父との待ち合わせ場所。東京駅に比べれば人垣はまだ少ないが、それでも一時間に一本しか電車の来ない田舎と比べれば目が眩むほどだろう。  スーツの人、おしゃれな人、ラフな格好の人。忙しそうに行き交う人もいれば、ふらふらと千鳥足で去っていく人もいた。  立ち止まって案内板を眺める人が一人。灰色の地味なスーツに恰幅の良い体格。見まごうことはない。一目で父たとわかった。歩み寄ると私に気が付きむっつりとしていた父の顔が緩んだ。  父の第一声は――。 「久しぶりだな、元気にしてたか?」  やはり、他愛のない言葉だった。  その後数分間、益体のない会話をしながら駅の地下に設けられた繁華街を歩いた。会話の内容はあまり聞いていなかったが、どうやら晩ご飯をご馳走してくれるとのこと。本当はすぐにでも帰りたかったのだけど、お金にとぼしい私にとって外食というのはそれだけで魅力的で、ついつい父の後についていってしまった。食に釣られなければ親との時間を共にしないなんて浅ましい子供だと自分でも思う。 「あそこにしないか?」  父が一軒のとんかつ屋を指差して言った。店の名前にはセンスの一欠けらも感じられなかったが、食欲に任せ私は思い切り首肯をしてしまう。  罪悪感にハッと我に返る。けれども父は、不思議と嬉しそうに口元にシワを作って微笑んでいた。  引き戸を開けて暖簾(のれん)をくぐる。「いらっしゃいませ」の掛け声と共に人数を聞かれ「二名だ」と短く父が応えると角のテーブル席へと案内された。  太めの体格をよじって座る父。 「どうだ、最近大学の調子は?」  父が苦い顔で私の様子を伺っている。どうしてか、少し叱責されている心地がした。父にそういう気はないのだろうけど、改まって言われると、応えに迷ってしまった。  店員がテーブルへ来てお絞りとお冷を二つずつ置き「ご注文が決まったらお呼び下さい」と足早に去っていく。 「勉強は楽しいか……?」  テーブルの隅の『御品書き』を私にも見える形で広げる。値段はどれも似たり寄ったりの四桁揃い。一人では絶対食べに来ない品ばかりだった。量の多そうな名前を選んで、父に頼むものが決まったことと学業に異常がないことを伝えた。 「そうか……たまには、実家に帰って来い。母さんも喜ぶ」  『御品書き』を一瞥した父が寂しそうにつぶやいた。 「すいません」  父が店員を呼び止める。店員は元気の良い返事をして、注文を聞くとカウンターの奥へ姿を消した。  しばし、無言。  そして、沈黙。  さっきまで気にとめなかった辺りの雑音が、にわかに高まって、父と私との間に流れていく。食器の洗う音、他の客の話し声、微かに聞こえるBGM、向かいの居酒屋の活気。 父は糸が切れたように黙り、口を開こうとはしなかった。私は特に話すことがないので黙っているだけなのだが、果たして父はどうなのだろう。何か言いたいことがあるのだろうか。仕事を終えて疲れているというのにわざわざ食事に誘ったのだから。いまいち何を考えているのかわからなかった。  自然と視線が父へ向く。  二年前、上京する時。何一つ変わらないと思っていた。  田舎には父と母がいて、いつ私が帰ってきてもそこには私の居場所がある。  実家で使っていた部屋。畳6帖で今のアパートよりも狭いけれど、懐かしい――私が幼い時から過ごした場所。  使い古したベッド、膝の当たる学習机、柱に刻んだ傷、壁の落書き。今でもそのままなのだろうか。物置と化してないだろうか。たまには掃除をしてくれているのだろうか。  きっと、家を出た瞬間。私が部屋を出たその時から、いつまでも風化せずに部屋も家も家族も変わってはいない――変わらない気がしていた。実家には迎えてくれる人たちがいるのだから――だから、私は実家へ帰らなかった。  なのに。  白髪(しらが)の増えた髪。おでこには目立つ三本のシワ。疲れ褪せた顔。二年とは、こんなにも人を変えてしまうものなのだろうか。  父は、目に見えて老いていた。 「お待たせしました」  テーブルに注文の品を置く。二人、会話のないまま料理を食べた。不思議と居た堪れない気持ちにはならなかった。  頼んだとんかつ定食は、とても不味かった。硬いカツに薄い味噌汁、おまけにご飯はぱさぱさだった。代価は必ずしも比例するわけではない。高いからと言って美味いとは限らない。しかし、空腹もあって勢いよく食べてしまう。そんな私を見て父は笑みを浮かべた。  箸を置くのを見計らっていたかのように食事を終えると店員が配膳を下げに来た。どうやら早く帰れということらしい。  もともと長いをする気はなかったので、私はポケットに仕舞い込んでいた薄い封筒を取り出して、パタンとテーブルに置いた。父は一目で理解したらしく、床に置いたスーツケースの中を掻き回し始めた。 「ああ、ちょっと待ってろ……こっちもだ」  茶封筒を取り出して差し出してくる。受け取ってテーブルの下で中身を確認すると確かに六千円が入っていた。  でも、どうにもわからない。真面目一徹な父が宝くじを買うことが、私は好きになれなかった。煙草も吸わない。お酒もしない。賭け事だってやっている姿を見たことがない。なのに何故、当たらないとわかっていて宝くじなんて買うのだろう。父を目の前にして考えていると、気が付かないうちに、その気持ちが口から零れてしまった。  なんでそんなものにお金を賭けるのか、と。 「温泉を掘りたいんだ」  まさかの言葉に開いた口が塞がらなかった。父は一度訝しげな顔をして、決まりの悪い感じで話を続けた。 「当たった賞金で温泉を掘りたいんだ。家の近くには昔から水脈があってだな。ほら、少し登った畑の辺りだ。あそこは掘ったら温泉が出るんだ。今は温度はあまり高くないかもしれないが。けど、あの辺は地質的に他にもある。うちら、親戚多いだろ。だから、タダで入れる温泉を掘ってさ、家族や親戚たちでゆっくりできたらいいな、と思っている」  今年で五十を迎える人がなんだか照れくさそうにそんなことを言う。当たりもしない紙屑に想いを馳せて生きていき、年を取って老いて逝き、きっと幸せだったと亡くなるのだろう。私はその姿を見ることしかできないのだろう。私は神様ではないのだから、偶然など起こすことはできない。それが父に捧げる親孝行だとしても。 「年末には帰って来い。お父さんの誕生日もやるからな」  不意に父が口を開いたので、思わず頷いてしまった。一瞬しまったと思ったが、しかしそれもいいかと思い、もう一度大きく縦に頭を振った。  店を出て父とはそのまま品川駅で別れた。単純に、父は下りで私は上りだったからだ。  総武線快速津田沼行き乗換えなし。津田沼駅北口改札を抜けて西に歩き階段を下りた所に宝くじ売り場があった。景気の良い謳い文句で飾られた店は、夢の魔力など感じずうそぶいているようにしか見えなかった。こんな紙屑に散財する人の気持ちなど、やっぱり私には理解できない。  ただ、私にできることがあるとするならば。 「いらっしゃいませ。何枚にしますか?」
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