第1章 ―9― マリア王女について(2)

1/1
前へ
/72ページ
次へ

第1章 ―9― マリア王女について(2)

 マリア王女について。  彼女の血なまぐさいこの肉体にいるレイナは、大きく息を吸い込み、覚悟を決めジョセフの話に再び耳を傾けた。 「マリアは……性的にも奔放というか、淫乱な質であった。自分の好みであれば、いや好みでなくても男と見れば、すり寄りまぐわっていた。絶世の美貌の持ち主であったため、あいつの誘惑にあらがえる男などそういるわけがなく、皆骨抜きとなった。あいつのためなら、人生の全てを……その命すら永久に差し出す男だっているだろう。その1人があのデブラの町で、あいつと一緒にいた人形職人オーガスト・セオドア・グッドマンだ」  ジョセフが深い息をつくと同時に、レイナは思い出した。  あの宿で、常にマリア王女の傍らにいて、彼女に口づけられ、このうえないほど幸せに満ちた顔をしていたやや細面で繊細な印象の青年。そして、やはりあの青年は、宿の少女・ジェニーの言う通り、職人だったんだと。  レイナはジョセフに向かっておずおずと口を開いた。 「……もう1人の銀色の髪の男の人、あの人は一体何なのですか?」 「あの男……フランシスは得体の知れぬ力を持っている。先の話で侍女・サマンサにマリアが浴びせたあの液体も、おそらくフランシスが作ったものだろう。あの男はいつの間にか、マリアと通じていたんだ」  レイナの脳裏に、デブラの町の宿で、今も左手の薬指に光っているこのフェイトの石に触れた時に、自分の心に流れ込んできた鮮明で生々しい余韻を残したあの映像が蘇ってくる。  咲き誇る花の匂いのなか、月明かりに照らされ、互いの手を取り合ったマリアとフランシス。あれは恋人同士の逢瀬などではなかったのだ。重なりあっていた彼女たちの影が、2匹の悪魔の影へと変化していった。 「何の力も持たない私でさえ、春の終わりぐらいから”何か”の……つまりはフランシスの不気味な気配を感じていた。勿論、アンバーたち魔導士も気づいていた。精鋭ぞろいの魔導士でさえ、その正体はなかなかつかめなかった。夏にサマンサの件があり、そして、秋を迎えた……私たちがフランシスと対峙したのは、ある夜のことがきっかけであったのだ」  ジョセフはレイナの隣にいるアンバーを見た。彼の視線を受けたアンバーは黙って頷いた。 ※※※  秋のある夜更け、ジョセフは1人で城の庭を歩いていた。  昼間とは別世界に来たように、静まり返っていた。このアドリアナ王国の首都シャノンの中心部でそれも王族が暮らす広大な城の庭であるのに、城の中よりわずかに漏れる明かりがなければジョセフ1人しかこの世界に存在していないような静寂に包まれていた。  冬の訪れを感じさせる冷たい一筋の風が吹き、ジョセフは身を少しだけ震わせてしまった。  それとも、少し熱があるのかもしれない。このところずっと、体はだるく疲れ切っていたが、碌に眠ることができなかった。  一歩を踏み出したジョセフの背中に「……王子」という言葉がかけられた。  ハッとして腰の剣に手をやり、振り返ったジョセフであったが、後ろにいたのがアンバーであることが分かり、剣から手をそっと離した。 「驚かせて、申し訳ございません。お一人でいるのを見かけまして、心配になり……」  アンバーは瞳を伏せて言った。  ジョセフは、月明かりの下で見る彼女の顔にも、ありありと疲労が浮かんでいることが分かった。 「……アンバー、サマンサの様子は相変わらずなのだな?」 「ええ、もうすぐ3カ月近くたとうとしていますが、私たちでも治療することができない特殊な魔法薬のようです。彼女の精神面も日に日に不安定になり……」  マリアに顔を焼かれた侍女・サマンサ。  顔に火傷を負ったということだけでも、年頃の少女には耐えがたいほどつらいことであるのに、治療の糸口がつかめない。不安定となったサマンサは、自分を助けようと尽力している魔導士にさえ、物を投げつけたり、ひっかいたりといった状態になっていることをジョセフは聞き及んでいた。  だが、サマンサをあのような状態に追いやった張本人であるマリアは、何の罪にも問うことができなかった。  ジョセフと国王であるジョセフの父がマリアを何度も詰問し、魔法薬の出どころについて問い詰めたものの、マリアは涙(自由自在に流せる涙であり、自分を守るための武器の1つ)をハラハラとその白い頬の上に流し続け、こう答えるばかりであった。 「あの液体をどなたにいただいたかなんて、忘れましたわ。だって、私に求愛してくださる殿方はたくさんいらっしゃいますし……それに、そもそもあれは事故なのですよ。私がうっかりつまずいてしまい、サマンサにあの液体をかけてしまったのです。私はあの液体がそんな危険なものだなんて知らなかったのです。サマンサには本当に申し訳なく……」  こう言って口元を覆ったマリアが、その白い手の下で唇を歪ませ笑っていることをジョセフは知っていた。  侍女たちの証言、アンバー、そして自分がマリアから聞いたこととは全く違う。平然と嘘をつき、涙でそれを塗り固めようとしているマリア。  けれども、マリアとサマンサの身分の差、そして涙を流し続けるマリアのその姿に城内の重鎮たち(主に男)は、マリアをかばう側に傾き始めた。そのなかには、幼き日からのマリアの残酷な振る舞いを知っている者も何人か含まれていたのにも関わらず。  この世の者とも思えぬほどのマリアの美しさは、黒を白に塗り替えることすら可能にしたのだ。  ジョセフは大きく息を吐いた。アンバーだけでなく、ジョセフにも疲労は決して消せぬ刻まれていた。 「……この王国は一体どうなるのだろうな?」  ジョセフのその呟きに、アンバーは言葉を詰まらせた。ジョセフも彼女が答えられないとは分かっていたが、こう呟かずにはいられなかった。  やがてこの王国を治める王となるための責任と重圧、それに加えマリアのあの性質を理解しているジョセフは、幼き日より心の休まる時がなかった。それはアンバーも同じであるだろう。 「今は父上がこの王国を治めている。だが、父上が退位された時、私がこの王国を治めていくこととなる。その時、あいつが何もしないとは思えない。きっと、私と私が娶るであろう王妃を殺そうとするだろう」  ジョセフは思う。あいつなら、やりかねないのだと。  残虐、淫乱、そして権力欲も強いマリアが、この王国を自分とお気に入りの男”たち”で治めるために、自分と自分の未来の妻を亡き者とする可能性は非常に高いのだ。  ジョセフとアンバーは、互いに一言も喋らないまま庭を歩き続けた。  秋の月夜の下での散歩。抱えきれないほどの問題が彼らの胸になければ、すこぶる情緒のある風景であったろう。  やがて、彼らはある場所にたどりついた。  そこは、12年前、第3子懐妊中であった現王妃がマリアに落とされたという”事故”が起こった池であった。  並々と清涼な水を蓄えているその池の水面には、もう少しで満月となる豊穣の月が青く透き通るような儚さで映っていた。  あの日の騒ぎをジョセフは今もしっかりと思い出せた。  そして、あのことが原因で、王妃は心を病み、12年後の今も部屋から出ることは滅多にない。マリアの名を聞くだけで怯え、泣き出すこともある。その肉体は生きてはいるけど、心は生きてはいない状態に近づきつつあった。マリアにとってはもう生きていない者と同一である。 「……お優しい母上だが、もう少しお強くあっても欲しかった」  当時、9才であったジョセフは、膨らんできた母のお腹を触らせてもらったことを覚えていた。呼びかける自分の手に答えるように、胎内よりトントンとしてきた確かな命がそこにはあった。 「この世に生まれいづることができなかったあの魂は、私の弟だったのか、それとも妹だったのか……」 「ジョセフ王子……」  アンバーがその眉を悲し気に寄せる。ジョセフの今も続く悲しみに、アンバーもまた胸が痛んだ。  愛する者が悲しんでいる。だが、それの悲しみはあまりにも深く刻まれ過ぎて、自分では癒すことができない。ただ、こうして隣にいることしか……  その時――  アンバーの視界に”何か”が映った。それは、青き月を映し出している池の水面に浮かんでいる。 「ジョセフ王子!」  アンバーは思わず、無礼ではあるもジョセフの腕をパッととってしまった。アンバーも、驚き足を止めたジョセフも、池の水面より音もなく静かに浮かびあがってきたものより、目を離すことができなかった。  美しい1本の花が光り輝き、浮かび上がってきた。  花びらは少しでも風が吹けば吹き飛ぶかと思われるような繊細なつくりで、まるで空にかかる虹のようにきらめき、その色を変化させていた。  目を離すことができない美しさ。  その清らかな美しさには、禍々しさなど微塵も感じなかった。そして、その美しさはジョセフとアンバーの2人ともに、どこか懐かしい気持ちを起こさせるものであった。どこかで知っている、いつかは知ることとなるという……  息を呑んでいる彼らの前で、その花はお辞儀をするように花びらを震わせた。  そして、「兄上」と一言声を発した。  花が喋った。そう、花が喋ったのだ。  茫然とし、言葉も出せない彼らに、花は少年の声でなおも喋りかけたのだ。 「兄上、私は姉上の策略により、この世に生まれることのできなかった魂でございます」  しばしの沈黙。  だが、ジョセフはゴクリと唾をのみ込み、その喋る花に向かって問う。 「……そなたは、私の……弟であるのか?」 「ええ、さようでございます。さる者より話を聞き、ニーナレーンの海より、しばし抜け出してまいりました。私は兄上”たち”にどうしても伝えなければならないことがあるのです」 「……申してみよ」  大多数の人間なら逃げ出す状況であるが、ジョセフは気丈にもその花との対話を続けようとした。傍らのアンバーもジョセフを守ろうとわずかに身構えてはいたものの、黙って彼らを見守っていた。 「姉上を、いやあのマリア王女をこれ以上、この世に留まらせてはなりません。このままの流れでいけば、あの女は悪しき者と手を組み、様々な道具を手に入れ、この王国のみならず、時空を越えた異世界すら血に染めるでしょう」  花――生まれてくるはずであったジョセフの弟王子は、しっかりとした声で告げた。  だが、その内容は強烈なものであった。  声変わりもまだであろう澄み切った少年の声と丁寧な言葉づかいであるが、一言で言えば「マリアを暗殺しろ」と言っているのだ。  ジョセフもアンバーも言葉が出てこなかった。  確かに、マリアは今まさに自分たちを悩ませている諸悪の根源であり、存在を封じ込めた方が世のためにもなるとは思っていた。だが、実際に暗殺するとなると――  弟王子はその花びらを震わせるようにして、続ける。 「時間がありません。今より2か月後の青き月が満ちる夜が、流れを変えることのできる時だとのことでございます。マリア王女の魂をその肉体より追い出すことになると。今、兄上の隣にいるアンバー・ミーガン・オスティーンにはそれが可能なのです」  ジョセフが口を開きかけた時、弟王子は風に吹かれ、その花びらは一層強い七色のきらめきを見せた。 「もうお別れでございます。兄上、いずれそのアンバーはこの世を守る大きな存在となる女性です。そして兄上……私が次にあなたにお会いするときは、姿形や時代は違えども、今度こそ人間としての肉体で兄として慕いたいと……」  弟王子のその声は徐々に弱弱しくなっていった。  ハッとして、手を伸ばしたジョセフの前で風に吹き消されるがごとく、弟王子はフッと消えていった。  また静寂が戻ってきた。息を飲んだままのジョセフとアンバーの前で、12年前、弟王子が命を落としたこの池の水面は、青く輝く豊穣の月の光を受け、儚く輝いているだけであった。 ※※※  レイナは膝に置いた手をギュっと握りしめた。  現代日本で暮らしていたままだとしたら、今の話は信じられなかったろう。マリアに殺された弟王子が花の姿で現れ「マリア王女を暗殺しろ」などと告げるとは。だが、デブラの町の宿のことといい、今いるこの世界はそんな常識では考えられないことが普通に起こる世界なのだ。  レイナは、今聞いた話の流れや疑問点を頭のなかですぐにまとめることができなかった。勉強、いや学校の成績という面では、受験失敗するまでは自信を持っていたにも関わらず。 「あ、あの、今の話に出てきたニーナレーンの海というのは、一体?」  聞いてしまった後で、レイナは自分でも頓珍漢なことを聞いてしまったと思った。だが、アンバーはレイナに優しく答えてくれた。 「1000年前にアポストルとなった神殿の巫女の伝説です。伝説上では、海の上で追い詰められ殺されたその巫女の女性――ニーナレーンはアポストルとなり、この世界で数多の命が生まれいづる冥海を守るようになったとことです」  ”冥海”というまたしてもレイナが聞いたことのない言葉。  つまりは、ジョセフの弟王子はそこにいた。だが、その弟王子は自らの意思と、そして”さる者からの話”を聞き、そこからしばしの間抜け出し、ジョセフたちに伝えるべきことを伝えにきたとのこと。 ――まさか、弟王子様に話を伝えた”さる者”って、あのデブラの町で現れたゲイブという男の子にアポストルからの啓示が書かれた手紙を渡した”ちょっと怖いお兄さん”と同一人物なのかしら? ジョセフ王子たちの知らないところで、人知を超えた存在が既に何かを知っていて、その流れに乗せようとしているの……?  黙り込みいろいろと考えていたレイナに、ジョセフが言った。 「……レイナ、お前も分かったのかもしれないが、やはり、何者かが私たちを導こうとしているに違いない。だがそのことがなくとも、私は行動に移すのが遅すぎたのだ……お前をこの世界に誘うことになったあの夜に、私はマリアを暗殺する計画をついに実行に移した……」  アンバーがコクリと頷き、ジョセフの言葉を継ぐように続けた。 「私たち魔導士はいろんな場合を想定し、幾重にも策を練りました。あの日の夜、城の一角にマリア王女を呼び出し……そして、あの魔導士・フランシスが私たちの前に初めて姿を見せたのも、あの日であったのです」 ※※※    夜空の月は青く満ちていた。  アドリアナ王国の城の一角、硬い床に、ジョセフとアンバー含む黒衣に身を包んだ魔導士たちの足音が冷たく響いた。冬のさなかとも言える今の季節、誰もの吐く息は白く、それは辺りの底冷えするような空気の中に混じり合っていった。 「いよいよだ、皆、心してかかれ」  ジョセフのその言葉に、アンバー含む魔導士たちはは皆「御意」と頷いた。  静寂。  その静寂を破るかのように足音が近づいてきた。カツン、カツンという音とともに、床で重たげなドレスが擦れる音も。  バイオレットの美しいドレスに身を包んだマリアが姿を見せた。  数本の蝋燭の明かりのなか、透き通るような白い肌にそのバイオレットの色は映え、今宵のマリアを一層美しく幻想的に見せていた。魔導士の何人かがその姿に息を呑む。 「お兄様、何かしらお話って?」  彼女は、可憐な花びらを思わせるその唇の端に笑みを浮かべていた。  アンバー含む魔導士たちが勢ぞろいし、ただならぬ雰囲気が漂っていることは分かっているも、彼女は平然としていた。  答えぬジョセフに、マリアは自身の左手の薬指の指輪を撫でながら、甘えるように言った。 「お兄様、いい加減に私の行動を制限するのはやめてくださいませんこと。こんな噂が流れておりますことをご存じ? お兄様は私があまりにも美しいため、自分の1人だけのものにしたいがために、人目に触れさせないようにしているという……」 「ふざけるな!!」  ジョセフの怒鳴り声にも動じず、マリアは続けた。 「別に私自身はお兄様と1つになってもよろしいんですのよ。以前にお兄様を誘った時は断られてしまいましたけど、いつでもお兄様と禁断の果実を楽しむ心構えはできておりますわ」  黙って構えていた魔導士たちもギョッとする。禁断の果実――近親相姦という禁忌をマリアは嬉しそうにその唇より発したのだから。  左手の薬指からそっと視線を外したマリアは、アンバーにチラリと目をやった。アンバーの反応をうかがうためだ。  その視線を受け、アンバーは唇をギュっと噛んでしまった。その時、彼女は気づいた。  あの夏の日、サマンサがマリアに火傷を負わされたあの日、城の廊下でマリアを包みこんでいたものと同じあの黒い靄が、再び今ここでマリアを包み―― 「カール! ダリオ!」  アンバーの声に、部屋の両隅で身構えていたカールとダリオがバッと躍り出た。彼らの手には鏡があった。  彼らはその鏡が発している光を、ともにそれぞれの対角線上にいるマリアにバッと当てたのだ。 「きゃっ!」  眩しさにマリアが顔を覆った。  それと同時に、鏡に照らされたその黒い靄は一層濃くはっきりと――  ジョセフたちの前で、その靄は人間の形に変わっていった。  大きな男の輪郭に縁どられ――  ゆらめきながら姿を見せたのは、夢の世界に住んでいるような美しさを持つ男であった。  腰までまっすぐに伸びた色素の薄い銀色の髪をサラリと揺らし、エメラルドグリーンの澄み切った瞳とすっと通った鼻筋を持つ、まるで人形のような肌質をしているその男は、恭しくジョセフに向けてお辞儀をしたのだ。 「ジョセフ王子、こうしてご挨拶の機会を設けていただいたことは光栄でございます。私はフランシスと申します。以後、お見知りおきを……」  純白の衣装に身をつつみ、腰の低いこの男――フランシスのその在り方だけを見たら、とてもこの王国に害なす者には見えなかった。  年は30そこそこであるはずなのに、それ以上の年月を生きているような妙な落ち着き、そして、聖職者のような神々しさも彼からは感じられたのだから。  魔導士たちが面食らっていたが、ジョセフはそのフランシスを見据え問うた。 「貴様……一体、何者だ。マリアと組み、この王国に何をしようとしている!?」  フランシスは優美な笑みを浮かべ、ジョセフに答える。 「単なる魔導士でございますよ。まあ、いろいろなオプションがついておりますので、私1人でおそらく並の魔導士をはるかに凌ぐ力を手に入れてはおりますが……ジョセフ王子、少し出過ぎたことを申し上げますが、そちらに今控えていらっしゃる魔導士の方たちのリストラをそろそろ考えた方が良いかと……私はこの春にマリア王女と契りを交わし、その証としてフェイトの石をお送りしたにも関わらず、それから半年近くたってから、やっと私をこのような場に引き出すとは……王国を守る者たちとしての力不足は否めませんかと」 「黙れ!」  ジョセフの怒号に、フランシスは「おやおや」といった感じで肩をすくめた。だが、彼はなおも話を続ける。話すことそのものが嬉しくてたまらないというように。 「それはそうと、ジョセフ王子、いささか卑怯なのではありませぬか。一国の王子ともあろう方が、このような不意打ちのうえ多勢に無勢で、そして妹殺しなどといった凶行を行おうとするとは……」  フランシスのその”妹殺し”という言葉を聞いたマリアは、「まあ、怖い」とフランシスにしなだれかかった。フランシスはそのマリアの腰に手を回す。フランシスの腕の中にいるマリアは以前として微笑んでいる。  余裕が感じられた。この場で、必ずフランシスが勝つという自信から来る余裕なのだろう。 「良いことを教えてあげましょう。私は念には念を入れるタイプでしてね。私は、数か月前よりあなた方のこの計画には薄々気づいておりました。よって、王妃のエリーゼ様とこのマリア王女に肉体連鎖の術をかけさせていただいております。つまりはマリア王女の喉元を掻き切ったとしたら、同じく床についたままの王妃様の喉元からも真っ赤な血が噴き出すといった具合でございますよ。この話は、決してこの場を取り繕うためのでまかせなどではありませんよ」  キラリとその瞳を光らせたフランシスは、上品な口元にいやらしく狡猾な笑みを浮かべた。蛇蝎のような笑みを。  ジョセフの手がブルブルと震えているのを見たフランシスは、なおも笑顔で続ける。 「お優しいばかりで王妃としての責務をほとんど果たしてはいない王妃様など、この王国にいらない存在だと思いますけどね。ただ、王にとっては愛しい奥様で、ジョセフ王子――あなた様にとっては大切なお母様なので……」 「皆、かかれ!!」  フランシスの話が終わらないうちに、ジョセフが叫んだ。その声を合図としたのか、カールとダリオが鏡を投げ捨て、フランシスに飛びかかり、彼とマリアを引きはがした。  鏡は床で砕け、マリアも床に倒れ込んだ。  そして――  魔導士たちが投げた幾本のもの剣は冷たい空気を切り裂き、フランシスの胸を貫くことに、たったの1回で成功したのだ。 「……ぐっ……」  蝋燭の明かりが照らすなか、フランシスは苦悶の表情を浮かべ、口からゴフッと血を吐き出した。  急速な勢いで真紅に染まり始めたその胸を抑え、足元をふらつかせたフランシスは仰向けにドサリと倒れた。冷たい床の上で、銀色の髪が扇のようにバサリと広がった。  フランシスの純白の白衣の胸もとはすでに真紅の泉の源泉となり、血をますます溢れさせていた。宙を仰ぎ見ているフランシスは、苦し気に血を二、三度吐き、やがてガクリと首を垂れた。目はカッと見開いたままであった。 「きゃあああ!」  目の前で瞬く間に繰り広げられたその光景――フランシスの死にマリアが絶叫した。  自信満々で余裕綽々とし、自分を守ってくれるはずの存在の男が、こうもあっけなく即座に倒されてしまった。そして、その男が倒されたその次は……!  その白い肌をサアッと青く染めたマリアは、ドレスをガッと掴んで立ち上がり逃げようとした。  だが、ジョセフが素早くそのマリアの腕を掴んだ。 「嫌よ! 離して、お兄様!!」 「……マリア、今日がお前の眠る日だ」  ジョセフはマリアを押さえ込み、羽交い締めにしたまま、アンバーに合図をする。  アンバーは頷く。  この日のために、幾通りもの策を練っていた。その策の内の1つをついに今実行するのだ。  底冷えする空気のなか、アンバーのその凛として澄み渡った声が奏でる呪文が響きわたった―― ※※※ 「……そう、こうして『星呼びの術』により、レイナ、あなたの魂がマリア王女の肉体の中に誘われたのです」  アンバーの言葉を聞いた、ジョセフが額に手をやったまま言う。 「いろんな場合を想定していたこと、それにあのフランシスがベラベラとしゃべってくれたことで、母上まで殺してしまうことにならなかったことは、本当に良かった」  あの場でどの策を使うかの判断を即座に下すことができたアンバーの聡明さは、ジョセフにとって非常に助かるものであった。 「それに結果として私の弟王子が言ったとおり、”マリアの魂をその肉体より追い出すこと”となった」  レイナは膝の上で拳をさらにギュっと握りしめた。 ――そういうことだったのね。なぜ、単なる暗殺などではなく、魂のみをいざなうなどといった回りくどいことをしたのかが分かったわ。私が今いるこの肉体は王妃様と連動していたんだ……だから、マリア王女の魂のみをこの肉体から追い出したのね。  アンバーが続ける。 「あの『星呼びの術』では、肉体に誘う魂を指定するはできません。できるものなら、私が自分の魂を入れておりました。夜空に流れるたった1つの星をあるタイミングで捕まえるようなもの、わずか数秒の違いであなたではなく、別の死出の旅へと赴く者の魂が入っていたかもしれないのです」  今度はその手だけではなく、レイナの全身が震え出した。そして思わずにはいられなかった。  今、”ここ”に自分がいるということ。  それはまさしく運でしかなかったのだと。  だが、その運とは、魂だけではあるが自分としての命を繋ぐことができた幸運であるのか、それともこれから起こるさらなる恐怖に満ちた戦いが待っているという不運であるのかは、レイナにもそしてジョセフやアンバーにも分からなかった。
/72ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加