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第1章 ―10― ジョセフとアンバー(1)
灰色の雲より、青き月は再び姿を現し始めた。
新月の晩――つまりはフランシスとの決着の夜に向かって欠けゆくその月は、部屋の中にレイナたちを照らしだした。幻想的な青の光が部屋に満ちていく。
ジョセフがその月と同じ青き瞳をゆっくりとまたたかせ、続けた。
「……私たちは『星呼びの術』により、マリアをその肉体から追い出すことには成功した。だが、フランシスも私たちと同じく、幾重にも策を練っていた。追い出されたマリアの魂が逝くべきところへ逝く前に、何らかの術であらかじめオーガストに作らせておいた人形へとあいつの魂を入れたのだ」
アンバーはジョセフの話を継ぐように、続けた。
「私たち魔導士はあの日、確かにフランシスを殺害しました。彼のあの遺体は人形などではなく生身の人間のものでした。けれども、火にくべてもその肉体は完全に骨とはなりませんでした。ですから、”あのフランシスの遺体”は城の奥深くに封印しております」
決して解けない数式を前にしてしまったように、レイナの頭はこんがらがる。
――そうよ、私はあの夜、確かにあのフランシスって人が死んでいるのを見たわ。でも、デブラの町の宿で襲ってきたあの人もフランシスなのよね? どういうことなの? まさか双子? それとも別人が整形? でも、この世界には整形なんて医療技術はまだなさそうだし……
ジョセフもアンバーも、レイナの混乱が分かったのだろう。
「あなたがこの世界に来たあの夜、あの男はわざと私たちに負けたに違いありません。あの男は、マリア王女とともにこの国を牛耳ることだけが目的ではなく、もっと他のことを企んでいるような気がします。あの男の正体については、まだつかめておりません。それにきっと本人の言う通り、生まれ持った魔導士としての力だけではなく、様々なオプションを手に入れているのでしょう」
その顔に悔しさを隠せなくなったアンバーを見て、ジョセフが言う。
「アンバー、レイナに”神人”という存在について説明しておいたほうがよいと思うのだが……お前の推理では、フランシスは”神人”のその特質を手に入れている可能性が高いのだろう?」
レイナは”神人”というその言葉に聞き覚えがあった。確か、この世界の事情など何も分かっていなかった時に、アンバーの口から聞いた気がした。
「そうでございますね。レイナ、”神人”とは、あなたのいた異世界とはまた違うところに存在している世界の住人たちなのです」
「……他の異世界ということですか?」
「ええ、伝えられている話では、その神人の世界は、この世界との距離が非常に近いのです。1つの海を越えるくらいの感覚であると。ですから、この世界の者が神人の世界に飛ばされたり、神人が時折、この世界に姿を現すこともあるそうです」
「え……その”神人”って人たちは一体、どんな人たちなのですか?」
レイナは考える。”神人”という言葉から連想するに、まるでギリシャ神話に出てくるような神々のような姿で、純白の薄布を身にまとい、天使のような羽を付けている人々を。
「私は実際にその”神人”の姿を見たことはありませんので、文献からしか分からないのですが……彼らの見た目は私たち人間とそれほど変わりがないそうです。翼があったりするわけでもなく、下半身が馬や魚であったりするわけでもないと。ただ、程度の違いはあれど、一様にして皆美しい容姿をしており、翼もないのに鳥のように空を自由に飛び回れ、尾びれもないのに魚のように水の中を泳ぐことができるらしく……」
「……そ、そんなことが」
ゴクリと唾をのみ込んだレイナ。けれども、”話を続けてください”という意思表示として、アンバーに向かって頷いた。
「そして、”神人”たちにも私たちと同じく死は訪れますが、そこに至る過程に、病や老いるということがない肉体の持ち主でもあるのです。普通の人間の人生に、”生老病死”という苦しみがあるのに対して、彼ら神人たちにあるのは生と死のみだと。彼らの肉体年齢は、各々が一番美しく、体力ともに最高潮のところで止まってしまうと文献には記述がありました」
老いることもなく、死ぬまで若い時のままの姿でいられる”神人”たち。その話だけを聞いたら、羨ましく思えるのだが……
「その”神人”……さんたちは、アンバーさんのように魔術を使えたりするのですか?」
「……いいえ、私も様々な文献を読んだのですが、その肉体は特異なものであれど、魔術を使える者はいないと。ですが神人として生まれた者の証明として、彼らの右手の薬指の付け根には永久に消すことができない刻印が刻まれているそうです。その刻印の模様は神人の世界にて、それぞれが与えられた役割――例えば「護る者」「導く者」などによって異なっていると……」
まるでファンタジー小説の中2病を含んだややこしい設定について聞かされている気分なってしまったレイナは、次の言葉がなかなか出てこなかった。アンバーが続ける。
「あのデブラの町でフランシスの口より、”神人の船”という言葉。そして、あの男の左手の薬指の付け根にうっすらと何かの模様が入っているように見えたのです。神人と契った者は、右手ではなく左手の薬指に刻印が入ると……」
「……あの、その”契る”とは一体?」
彼女の話にった、その一語の意味がよく分からなかったレイナは聞き返す。
「性交するということだ」
アンバーが答えるよりも早くジョセフが答えた。冷えていた頬がカアッと熱くなったのが分かったレイナは、バッと俯いてしまった。
レイナの魂が入っているマリアのこの肉体は、既に何人もの男を知っている。だが、レイナ自身には男性との交際経験などもなく、元の肉体も処女のまま滅んでしまったのだから。
気まずい沈黙。だが、それを破ったのはジョセフであった。彼に名前を呼ばれたレイナは顔を上げた。
この上なく美しく整ったジョセフのその高貴な顔立ち。当初は彼のその美しさに、冷たさを感じていたのが、今の彼からは全く感じなかった。
「レイナ……私たちは今度こそ、あいつらと決着を付ける。そして、その後は、お前がこの世界で生きていくために、一生困らぬ援助はするつもりだ」
窓の外で輝いていた青き月は、再び灰色の雲に包まれていった。
不吉の前触れのように、レイナたちは再び薄暗い影の中へとゆっくりと飲み込まれていった。
ちょうど、同時刻――
「まあ、せっかく美しい月だったに、雲に隠れてしまうなんて……」
マリアの瞳――オーガストが作った人形の瞳に映っていた青き月が、灰色の雲につつまれていく。吹き抜けた風に金色の髪がたなびいた。
ジョセフとアンバーが自分のことをレイナに話していたとも知らず、マリアは青き月を眺めていた。ただ、彼女が月を眺めていた場所は地上ではなく、このアリスの町のはるか”上空に浮かぶ”船の上であった。
神人の船。
そこにいるマリアの魂は、本当ならとっくに元の肉体に戻っているはずだった。だが、フランシスの気まぐれ(もしくは企み)によりできなかった。元の自分と寸分たがわぬ美しさであるも、体温を持たず、快楽を感じることもできない人形の体に今はいるしかない。そのため、マリアはご機嫌斜めであった。
「マリア王女、いいかげんにご機嫌をなおしてくださいませ」
当のフランシスの声が、マリアの背にかかる。
「やっと、元に戻れると思ったのに……」
振り返ったマリアはフランシスを軽く睨む。だが美しい男である彼に対して、軽い媚を含ませることは忘れなかった。
フランシスの後ろから、オーガストが荒だたしく走ってきた。
彼はフランシスに指示された人形作りの最中であったらしく、額は汗ばみ、手や服、そしてその顔にまで塗料がついていた。
「そうだ、フランシス。お前がもったいぶっていたからだ! ジョセフ王子たちの気が変わって、マリア王女の肉体ごと殺されでもしたらどうするんだよ!」
マリアとフランシスは、顔を見合わせククッと笑う。
「お兄様とアンバーに限ってそれはないわ。いくらでもチャンスはあったはずだもの。それこそ、物心ついた時からね。私の肉体とお母様には肉体連鎖の術がかかっているし、それにそのことがなかったとしても、お兄様たちは私の肉体の中にいる魂を優先させるはずだわ」
「名もなき者の命でも大切にする方たちですからねえ」
フランシスは一層、おかしそうに笑う。オーガストはそのフランシスに向かって吠えた。
「フランシス! お前は本当にあいつらに勝てるのか? 一度、あっさりと負けたらしいじゃないか! のらりくらりしやがって、いい加減にしろ!」
「……あなたはいい加減に口が過ぎますよ。オーガスト」
フランシスは声音を変え、オーガストを一瞥する。
「あなたが今ここにいる理由は、類い稀な人形職人としての才能とマリア王女のお気に入りの男の一人であるという、ただそれだけです。何の力も持っていないくせに調子づくのはやめてください」
オーガストはグッと黙り込んだ。口元に笑みを浮かべたままのマリアがフランシスに問う。
「お気に入りといえば、フランシス、あなた、アンバーを気に入っているのよね?」
フランシスは瞳を細める。
「ええ、私はあのアンバーを絶対に手に入れたいと……」
「ねえ、あなたがアンバーを”手に入れる”時は、絶対にお兄様の目の前でそうするべきだわ。愛する男の前で(おそらく)純潔を奪われ泣き叫ぶアンバーと、愛する女が他の男に精を注がれるのをただ見ていることしかできないお兄様……なんて、胸がうずく光景なのかしら……私も絶対にその光景を見てみたいわ」
恍惚とするマリア。性的にも倒錯しているこのマリアの様子を見たフランシスは「やれやれ」といった表情した。
「私はそういった性愛的な意味で、アンバーを手に入れたいというわけではないんですよ。あの人は、私の計画に不可欠な存在だととらえています。絶対に彼女を私の思い通りに動かしたい」
こう言ったフランシスは、舌なめずりをするかのように、その唇より赤い舌をのぞかせた。蛇を思わせるその舌の生々しい赤さに、オーガストが後ずさった。
だが、オーガストは唾を飲み込み、フランシスに問う。
「……何だよ、その計画って?」
「オーガスト、あなたはこの上空に浮かぶ、この船について何も思いませんか?」
「……お前が魔力で動かしているんだろ?」
フランシスはゆっくりと首を振った。
「いくらこの私でもこの大きさの船をこのように長時間動かすとなると、体力を消耗いたしますよ。これほど優雅に喋れるわけなどありません。この船は生きているのです。この船を動かしている”者たち”がいるのです」
マリアとオーガストは自ら”優雅に”などと言ったフランシスを見つめる。
そして、彼女たちは彼の言っていることを完全に理解することはできなかった。
この船が何者かによって動かされて、”生きている”ということを。
「お二方とも、ユーフェミア国はご存知ですか?」
「確か、今より59年前に、突如この世界から”いなくなってしまった”幻の国のはずだわ」
「その通りです、マリア王女。私は今から私が今から話す59年前に、まさにそのユーフェミア国が闇に包まれ消えゆくのを”当時の”同士たちと目撃しました。私の計画とは、そのユーフェミア国に関することなのです。あなた様にも気に入っていただけるかと。特にこの世に並ぶものもないほどの、あなた様のその美しさを永遠のものとすることもできるのですから……」
フランシスの言葉に、マリアはその青き瞳を輝かせ、体温を持たないはずの頬を上気させた。だが、オーガストは今からフランシスに聞かされるであろう、その計画に背筋がゾワゾワと波打ち、落ち着かなかった。
「その前にまず、私の”今の”同士たちを紹介したいと。いや、人間関係にもやはり寿命があるものでして、あの59年前より今も同士としての絆をつないでいるのは、サミュエル・メイナード・ヘルキャットのただ1人でして……あのサミュエルとは一度面識があるとは思いますが、後の2人はお初にお目にかけることとなるかと……」
その時、船の上を一陣の冷たい風が吹き抜けていった。
オーガストは髪の乱れを押さえたマリアに慌てて駆け寄り、彼女を自分の肉体に包みこむようにそっと抱きしめた。
そうした彼が顔を向けた先、つまりその風が吹いてきた先には、3人の人影が浮かんでいた。
灰色の雲から再び顔を出し始めた青き月が、翼も持たないのに空に浮かんでいる”彼ら”の姿をくっきりと照らして出していった――
――どんな状況にあっても、この世界の太陽も必ず昇るのね……
レイナがいる部屋の窓から見えるのは、白銀の世界を照らし出している眩しい太陽であった。
昨日まで吹き荒れていた吹雪はやみ、外では冷たくはあるもおだやかな風が流れているのだろう。そのことが、レイナにはあの不気味な魔導士・フランシスとの決着の前の「本当にわずかな間の安らぎ」を思わせた。
――気持ち悪い……怖い……
吐き気が込み上げ、グッと口元を抑えたレイナは、その場にしゃがみ込んだ。
自分の魂が入っているこの肉体の元の持ち主は、性格が悪いという次元など超越した人格破綻者の人殺しである。この手は血にまみれ、この体も血にまみれているのだ。いや、血だけではなく様々な男の精にもまみれている。マリア王女についての話を聞いたあの夜に、アンバーに背中をさすられながら、胃の中の物を全て吐き出して以来、レイナは碌に食事をとることもできないでいた。
元の世界の、元の肉体に帰りたかった。空を飛んで帰ることができるなら鳥のように空を飛び、海を渡って帰ることができるのなら魚のように泳いで、帰りたかった。でも、もう既に肉体が滅んでいる自分は、そして元の世界よりどれだけ離れているかも分からない異世界へと誘われた自分は、この世界のこの肉体で生きていくしかないのかもしれない。
そのうえ、今よりわずか2日後に絶対に直面しなければいけないフランシスとの決着。
レイナはそれが本当に怖くてたまらなかった。負けてしまえば、この肉体は本来の持ち主に戻り、自分の魂は追い出され、誰にも気づいてもらえずこの世界を永遠に彷徨うことになる。元の世界で迎えたらしい、”肉体の死”よりもさらに惨い事態となってしまう。
「……そんなの絶対に嫌だ」
レイナは思わず、呟いていた。
だが、自分にできることなど何もない。力など持ってはいるはずがない。ただ、自分はアンバーたちに守ってもらうしかないのだ。せめてもの抵抗として、レイナは左手の薬指のフェイトの石の指輪を外そうとした。これは何十回も試みたことであった。だが、レイナが小鼻を膨らませ必死で引っ張るも、それは白く滑らかな肌と一体化したように外れなかった。
落ち着かず、部屋の中をグルグルと歩き回るレイナ。
扉の前に差し掛かった時、わずかな隙間より外にいる2人の魔導士の声が聞こえてきた。
声の主はカールとダリオだ。
今、自分のいる部屋の前で見張りをしてくれている2人の男性魔導士。デブラの町での一件後、正式に彼らからの自己紹介を受けたレイナであったが、レイナ自身、西洋人風の顔に見慣れていないのと、このカールとダリオはもともと顔立ちがよく似ているため、彼らを見分けることはなかなかに難しかった。
――確か……わずかに眼がクリッとして前髪を重たげに垂らしている方が、カール・コリン・ウッズさんで、わずかに角ばった顎をしてやや面長な方が、ダリオ・グレン・レイクさんよね……
盗み聞きをするつもりはなかったが、思わずレイナは足を忍ばせ、耳も澄ませてしまっていた。
「……なんだか、おぼこい感じしないか? どうやら、15才との話だが、もっと下のようにも俺は思えるんだが……ダリオ、お前はどう思う?」
「そうだな。本物のマリア王女がその肉体にいた時とは、全く雰囲気が異なってるし……中に入っている魂が違うだけで、放つ雰囲気も違ってくるなんて……今、中にいる女の子は、なんだか風が吹けば飛んでいきそうというか、弱弱しそうというか……」
彼らが話しているのは、間違いなく”自分”のことだろう。
あまり話の続きを聞きたくなかったレイナであったが、そこから立ち去ることもできずに、聞き耳を立てることを続けていた。
当のカールとダリオは、わずかばかり開いている扉のすぐ裏側にレイナがいるとも思ってもいないのだろう。彼ら2人より寡黙な印象を受けていたレイナであったが、彼らは普通の青年らしく話を続けていた。
「ジョセフ王子が、マリア王女の中に入っているあの女の子、”レイナの魂は頼りなげだが人間としての心はしっかり持っているようで良かった”ってポツリと漏らしていたのを聞いたんだ」
「そうか……そりゃあ、そうだよな。『星呼びの術』により、またマリア王女みたいな欠落した魂が入ったとしたら、最悪中の最悪だったろ。それにしても、ジョセフ王子は気苦労の絶えない方だ。雰囲気が落ち着いているということもあるけど、まだ21才なのに結構老けてお見えになるし。そのうえ、マリア王女の魂の真実が国民に広まるよりも、自分がマリア王女に近親相姦のような劣情を抱いているという嘘の噂が広まっていた方がまだマシだと思っていたなんてさ。気の毒すぎるな」
「……カール、お前は正直、元のマリア王女についてはどう思う?」
「どうって……どれだけ美人でもあんな女は勘弁だよ。この王国を血に染めるために、悪魔が送り込んできた申し子にしか思えん」
「全くだな。でも、俺らはアンバーと行動をともにすることが多かったからか、マリア王女に誘惑されることはなかったけど、大臣や近衛兵の中でも、マリア王女の毒牙にかかった奴は多数いるはずだ。精神では誘惑をはねつけるつもりでいても、肉体はそれがなかなかできないのが男ってもんだし」
ダリオがそう言い終えた後に、一瞬の沈黙。
脚の間に妙な感覚が走り、あの吐き気まで戻ってきたレイナは、体を折り曲げ、口元を抑えた。だが、彼らの話は続くようであった。
「……なあ、俺たちは”あいつ”に――フランシスに勝てると思うか?」
カールの不安そうな声を受け、ダリオもまた不安そうな声で答える。
「そんなこと言うなって。眠れなくなるだろ。俺は正直、7対3ぐらいじゃないかと思う。もちろん、俺たちが3だけど。一度、シャノンの城では勝つことができたという実績があるし、あのやたら話が長くて説教好きのフランシスがベラベラと喋っているうちに、こちらから先手を打てば……」
「でも、城の警護をがら空きにするわけにはいかないから、あの時、シャノンにいた魔導士のうちの5分の4しかこの地に呼び寄せることができない。人手不足はいなめないな」
「なあ、もし……俺たちがフランシスに負けたら、どうなると思うか?」
「俺たち全員間違いなく屍となり、当然、ジョセフ王子も殺される。それか傀儡として生かされ続けるかのどっちかだ」
「まだ、お世継ぎもいないのに」
ダリオの言葉を聞いたカールがゴホンと咳払いした。
「……な、これは俺個人の考えなんだが、そろそろ時代は変わり始めているとは思わないか。いずれ王となるジョセフ王子の王妃は、身分や血筋で選ぶよりも資質で選ぶべきだ。箱入りの貴族の姫などよりも、幼き頃よりジョセフ王子と苦楽を共にしている者のほうがふさわしいんじゃないかと」
「カール、お前はつまりアンバーのことを言いたいんだろ? だが、あのアンバーの父親がそれを許すかな。自分の娘が王妃となるのはこの上ない名誉であるし、俺もアンバーなら王妃としてもうまくやっていけると思う。ただ、あの父親にとってアンバーは年取って授かった一人娘で唯一の肉親だし、まさにこの世でたった一つの宝石みたいなもんだろう。例え、相手がジョセフ王子であっても、自分の娘を史上初の平民出身の王妃という茨の道へと送り出すことができると思うか?」
ダリオはフッと笑って続けた。
「……まあ、お前のその言わんとしていることは分かるさ。特に王妃のエリーゼ様を見ていると、資質というものは大切だと感じる。自分の腹の中で育っていた子を突如失った悲しみは、確かに当事者でしか分からないし、特に男の俺らがその全てを理解することは難しいけどな」
「でも、第3子をご流産されてから、もう12年だ……悲しむな、忘れろ、というわけではないが、自分が今いる立場を考えることも大切だろ?」
「ここのアリスの城の奥方みたいにか? ありゃあ、見るからに強そうな女だよな。人の上に立つ女はあれぐらいがちょうどいいのかもしれないが」
声を押さえて、ククッと笑うカールとダリオ。
彼らが話しているのは、このアリスの城の領主の妻で、濡れた黒曜石のような髪と瞳を持ち、有無を言わせぬ威圧感で研ぎ澄まされた美貌が際立っている、エヴァ・ジャクリーン・ホワイトのことだ。息子を2人産んだが、そのうちの1人(長男)が自分の思い通りに育たなかったため、家から追い出したらしいということは、レイナもしっかりと覚えていた。
再びカールがゴホンと咳払いをした。
「で、話はまたアンバーに戻るんだが……アンバーは一通りの教養だって持っているし、マリア王女と比較したらさすがに見劣りはするけど、単体で見りゃ相当な美人だと思わないか? それにあの知的な顔に合わず、胸だって大きいし……」
「お前はなんでアンバーの胸が大きいことを知ってるんだよ? まさか、アンバーと寝たのか?」
扉の向こうにいるカールが慌てて、手を振って否定しているのがレイナにも分かった。
「いやいや、そんな訳ないだろ。あのアンバーが何とも思っていない男となんて寝るわけないし。単に魔術の訓練をしている時に偶然当たったんだよ。俺たちが17才でアンバーが14才の時だった。14才であれだけ大きかったんだから、19才となっている今現在はもっと成長しているんじゃないかと思われる……」
「そいつはラッキーハプニングだったな。いつもは黒衣で覆われていたし、アンバーは女を前面に出してくるタイプじゃないから、俺は全然気づかなかったよ。しかし……ジョセフ王子もアンバーもお互い思いあっているのは間違いない。マリア王女もそれが分かっていてしきりにからかっていたし、恋愛には疎くて縁遠い俺らですらずっと昔から気づいていたんだ。でも、双方とも生真面目な性格であるため、互いの身分や責務を考えて、今もその気持ちを必死で抑え続けているんだろうな」
「仮にジョセフ王子がアンバーを王妃にしようとしても、このアドリアナ王国始まって以来ずっと、王妃には身分の高い貴族の姫が選ばれていたんだ。俺たちが生きるこの時代で、そうガラっと慣例が変わるもんか? 俺はおそらくジョセフ王子は貴族の姫を娶ると思うぞ」
「生まれ落ちた時に生じている身分という壁には、愛も太刀打ちできないってわけか……まあ、この王国では”身分”というのはある意味、魔術よりも強い力を持っているしな」
カールとダリオは大きなため息をついた。
レイナは思う。彼らのその溜息から察するに、彼ら2人ともこの王国の直系の王族に仕える魔導士となっているが、もともとの身分はそう高いわけではないのだろうと。
そして、ジョセフとアンバーのことも思う。
レイナの魂が彼らに対面してから、まだ1か月もたっていない。だが、彼らが互いに抱いている信頼や絆、そしてともに紡いできたであろう時間は、自分がこの世界に誘われることに至った一連の流れを再整理している最中であるレイナにも分かった。
それにレイナは思い出す。
先日、ジョセフより聞いた回想のなかで、生まれてくるはずだった彼の弟王子がジョセフに告げた言葉を。
「もうお別れでございます。兄上、いずれそのアンバーはこの世を守る大きな存在となる女性です。そして……兄上、私が次にあなたにお会いするときは、姿形や時代は違えども、今度こそ人間としての肉体で『兄上』とお呼びしたいと……」
いずれこの世を守る大きな存在となるアンバー。
それはもしかしたら、アンバーがこの王国の王妃となり、ジョセフとともにこの王国を治めていくということを暗示しているのではないかと。
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