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第1章 ―6― 断言されし”勝利”
「これはこれはジョセフ王子、一国の王子が魔導士とともに、こんなところまでお越しいただけるとは光栄なことです」
まばゆく輝く光の玉より姿を見せたジョセフに、フランシスは恭しく頭を下げた。だが、彼のその口調はどこか馬鹿にしたようなものであり、憮然とした表情を浮かべていたジョセフが片眉を吊り上げた。
フランシスはそんなジョセフの様子を気にすることなく、彼の傍らのアンバーにゆっくりと視線を移した。
「アンバー、お久しぶりですね。まさか、この私があなたたち程度の魔導士にしてやられるとは……”あの日”のことは私の傲慢が招いたことです。でも、次はそうはいきませんよ。いくら精鋭ぞろいのあなたたちでも、首都シャノンからここまでの距離を移動するには、せいぜいあと2人ぐらいが限界でしょう。あとの魔導士の方々はお城でお留守番ですね」
フランシスのエメラルドグリーンの澄み切った瞳が、この穏やかな物言いとは裏腹に冷たい光を放った。アンバーへと向かって一歩を踏み出したフランシスの銀色の髪が、サラリと宙に泳いだ。
「本当に”あの日”のことは、魔導士たちの連携もさることながら、特にあなたの活躍が大きかったでしょうね。やはり、守るべきものがある女性は強く美しいものですね」
「……茶化すのはやめてください」
わざとゆっくりと自分たちへと歩み寄るフランシスに、アンバーはその意志の強そうな茶色の瞳でまっすぐに見据えたまま、彼から一歩も退かなかった。
「怖い怖い。それはそうと、お2人ともいつまで仲良く御手を繋いでいるんですか?」
慌ててパッと互いの手を離したジョセフとアンバーを見て、フランシスがフフフッと笑った。オーガストの腕の中にいるマリアも「いやだ、お兄様ったら」と口元を手で覆った。
ジョセフがギッとマリアを睨み付けた。
「マリア……やはりお前の魂はフランシスの元にいたのか。これ以上、お前の好き勝手にはさせん。お前を逝くべきところへと導いてやる」
「まあ、怖いわ、お兄様。実の妹を殺そうとするなんて、なんて酷い方……お兄様を慕っている国民がこのことを知ったら、一体どう思うのでしょうね?」
「……お前は悪魔の心を持って生まれてきたんだ。それに、あの日の計画は私が考えたことだ。私は最後まで責任を持って、それを遂行する義務がある。アンバーたちのように魔術は使えなくとも、私のやり方でな」
ジョセフは腰に差していた剣を引き抜いた。マリアへと突き付けられたそれは、鋭く研ぎ澄まされていた。
ハッと青くなったオーガストが、マリアをかばうように抱き寄せて後ずさった。だがマリアは、血のつながった実の兄から自分に向かって発せられているその殺意を恐れるでもなく、実に楽し気であった。
「お兄様ったら、相変わらず責任感が強いのね。きっと、誰かさんはそんなお兄様を愛しているのでしょうね。何度もお兄様に抱かれたいと思って……」
マリアはジョセフの傍らのアンバーにごくゆっくりと、視線を移した。
アンバーの頬には一瞬だけ赤みがさしたものの、すぐに元の冷静な表情に戻り、マリアとフランシスをさらにグッと強く見据えた。
その時――
ビリビリとした緊張に張りつめていたこの部屋の空気が、またしてもさざ波のように波打った。
パアッと眩しい”2つ”の光の玉の出現。その眩しさはまたしても、この部屋を一瞬のうちに満たしていき、再び宿の外からのどよめきと悲鳴が聞こえた。
それぞれの光の玉の中で、どちらも20代前半とおぼしき青年が、アンバーと揃いの重たげな黒衣に身を包み、フランシスに向かって身構えていた。
彼らの姿を見た、フランシスはその高い鼻梁からフッと息を吐く。
「あなたたちは確か……カールとダリオという名でしたかね。随分と若い者たちをよこしましたね。アンバー、私はてっきりあなたのお父上が来るものだと思っていましたよ。まあ、ご老体には厳しいのでしょうね」
アンバーはフランシスのひやかしには答えず、この部屋にいる煤だらけで剣を構えている2人の青年――ルークとディラン、そして深紫の靄に包まれ、空中に十字に磔となっている”レイナ”を見て言った。
「フランシス……どうか、この人を下ろしてあげてください。場所を変えましょう」
「おや、たった3人の魔導士で私に勝つおつもりですか? いや、権力以外の何の力も持っていないジョセフ王子も含めると4人でこの私に立ち向かうと?」
それを聞いたジョセフがギラリと剣を向け、アンバーもついに怒りの表情を見せ、カールとダリオもフランシスに向かって今にも飛びかからんばかりだった。
「フランシス、そろそろその口を閉じろ」
「お兄様、落ち着いて。そんな事実を言われて怒るなんて、お兄様らしくないですわ」
青筋を立てたジョセフを、マリアは完全に面白がっていた。マリアに乳房を押し付けられ、すり寄られたオーガストの顔が赤くなる。
フランシスは悠然とした笑みをたたえたまま、ジョセフ、アンバー、そして自らが宙に捕らえている”レイナ”にゆっくりと視線を移した後、考え込むように口元に手を当てていた。
「……ジョセフ王子、今日のところははあなたの顔を立てましょう。私ももともと平民出身であったためか、どうも権威には弱いものでしてね。私たちは一旦引き上げることといたします」
フランシスのその言葉に、マリアとオーガストは呆気に取られた。
「何を言っているの?! 私の肉体は一体、どうなるの?!」
「だから、ベラベラしゃべってないで、早く戻せって言ったじゃないか! お前、アホだろ!?」
「オーガスト、なんですか、その口の利き方は? 目上の者はきちんと敬いなさい」
唾を飛ばしまくしてたオーガストをフランシスが睨んだ。
フランシスたちの一時退却。
この部屋にいる誰もが、夢の中に住む者のように美しくどこまでも上品で落ち着き払ったこの魔導士・フランシスの言葉をすぐには信じることができなかった。
だが、フランシスは、自身が宙に磔にしていたレイナにすっと歩み寄り、指をパチンと鳴らした。
途端、レイナの周りの深紫の靄が、まるで波が引いていくようにサアアッと消えた。
「!!」
枷を失い、風に散りゆく桜の花びらのように、そのまま床へと落下せんとするレイナの元へ、ジョセフが慌てて駆けつけ、ガバッと受け止めた。
彼が握りしめていた剣が、床にカランと転がった。
助かった、とりあえず助かったんだ……と、息を大きく吐いたレイナをジョセフがフランシスたちから守るように自分の腕の中へとかばった。
そんなジョセフの姿を見たマリアが甘い声を出す。
「うれしいわ、お兄様。そんなに”私”のことを大切に扱ってくださるなんて……」
「黙れ!」
マリアに背を向けたまま、ジョセフが怒鳴った。
「フランシス、一体、何を企んでいるのです?!」
アンバーがフランシスに向かって、声を荒げた。そのアンバーの問いに、フランシスは自身の唇に、長く形のいい人差し指を持ってきた。
「今は秘密です。ただ、私たちは……いや私はあなたを非常に気に入っているとだけ言っておきましょう」
「あら、フランシス、あなたアンバーのこと……」と、マリアが口を挟む。
フランシスは再び指をパチンと鳴らした。
バリン! という音とともに、フランシスが先ほど氷漬けにしたうちの1つの窓が割れた。
窓から見えたのは、夜の闇の中で青く光り輝く月であった。ジョセフやマリアの瞳の色と同じ、命をたたえ澄み切った海を思わせるその月は、半月に近いような形に欠けていた。
レイナがこの世界にいざなわれた時に初めて見た月は、満月であった。だが、今のその月の様子をジョセフの腕の中から見たレイナは、この世界でも確実に時というものが過ぎいっていることを理解した。
フランシスの瞳にその青い月が映り、まるで幻影のようなつややかな美しさを醸し出していた。
「さてと……今から10日後の新月の夜に、決着をつけましょうか。その夜に、私はあなたを手に入れ、そして、そちらの方よりマリア王女の肉体を取り戻すといたしましょうか。私はあなたと今のような関係のままでいる気はありません。でも、意中の人がいるあなたはそうやすやすと私の物にはなる気はないでしょうね」
「フランシス!」
アンバーは極めて冷静さを失うことのないように努めていたが、その声にある怒気はもはや隠せなくなっていた。フランシスはなおも綽々と続ける。
「私は紳士ですからね。強引にあなたを浚ったりはしませんよ。決着の場所もあなたにお任せします。このデブラの町でも首都シャノンでも、お知らせいただかなかなくても私はどこにでもあなたがいらっしゃるところへうかがいます。魔導士や騎士を何人連れてきても構いません。すべて、私1人で受けて立ちますよ。あのサミュエル・メイナード・ヘルキャットなどは同行させませんので、ご安心を」
この場にはいない新たな魔導士らしき男の名が、フランシスの口から出た。
「フランシス、貴様……!!」
レイナのその腕で支え立たせたジョセフが、フランシスに向き直った。
「ジョセフ王子、この王国のために”少しでも”長生きしたいなら、あなたはシャノンの城に帰り、他の魔導士たちとあの日にあなたたちが息の根を止めた”私の死体”について調べた方がよろしいかと……いや、なに……あれも私であることには変わりはありませんがね……いやいや、これはお恥ずかしい。私はただの魔導士とは違い、いろいろなオプションを手に入れているので、手持ちのカードを自慢げに人に見せてしまうんです。なんとまあ、はしたないことです」
1人で饒舌に喋り、自分で自分に突っ込みを入れているフランシスに、ジョセフもアンバーも、2人の男性魔導士カールとダリオも突き刺すような視線を向け続けていた。
レイナ、そしてルークとディランは、まるで物語のような台詞を、余裕綽々と得意げにその口から調べを奏でているフランシスのその姿に、さらなる不気味さしか感じなかった。
まるで物語の結末を最初から全て分かっているかのような自信と残酷さが、彼の純白の衣装に身を包んだ静かな佇まいから発せられていた。悠然と部屋の中を見回したフランシスは、ルークとディランに目を留めた。
「ネズミさんたち……あなたたちは本当に命拾いをしましたね。王子の前で、手柄を立てようなどといった分不相応な望みなどは持たない方がよろしいですよ。英雄などになれる者は歴史のなかで生まれ死んでいく幾多の命のうちのほんの一握りですからね。馬小屋で生まれた者は、馬小屋で生まれた者なりの人生を全うしてください」
その言葉にルークとディランが、グッと詰まったような顔になった。
フランシスはそんな彼らを全く気にせず、アンバーの黒衣に包まれた全身を舐めまわすように、彼女の肉体に視線を向けた。それを察したジョセフが、アンバーをかばうように前へと出た。アンバーの「王子……!」という言葉。
「さ、帰りましょうか。マリア王女、オーガスト」
だが、マリアはその美しい顔に悔し気な表情を隠せず、レイナを、いや元々自分のものであった肉体を見ていた。彼女をその腕に抱いたままのオーガストも同様であった。
せっかく自分が自分の肉体に戻ることができる、または愛する者が愛する者の本当の肉体に戻ることができる機会なのに、唯一それができる魔力と自信を持つ魔導士自らがこの場を引き上げるという歯痒さ。
「フランシス! せめて、今、この場で私の肉体だけでも……」
「そうだ! 早く戻し……」
フランシスは、「まあまあ」と言った感じで彼女たちを両手で制した。
「お気持ちは分かりますが、今日はあなた様の兄上のお顔を立てるべきかと。オーガストや他の男たちの楽しみは後にとっておいた方が、後ほどより幸福を噛みしめることができますよ。とっておきの神人の船に乗せて差し上げますから、ご機嫌を直してくださいな」
彼は、ごく優しい口調であったものの、マリアとオーガストを黙らせるのには充分な迫力に満ちていた。
「それではジョセフ王子、皆様、ごきげんよう。そして、アンバー、青き月が隠れし夜にまたお会いいたしましょう」
純白の白衣の右腕をはらりと上にあげたフランシスは、恭しく頭を下げた。
グワワンと空間がうねり、再び出現する深紫の靄。そして、深紫の靄は闇へと変わり、マリア、オーガスト、最後にフランシスをその漆黒の中へと飲み込んでいった――
――助かった……私はまだ生きている……生きてるんだ……
自分の命を狙う者たち――その者たちは取りあえず、今は自分の目の前から消えた。けれども……
レイナは腰が砕けたかのごとく、床へとへたりこんだ。身に着けている高価なバイオレット色のドレスが床で擦れた。心臓の鼓動は段々と落ち着いてきている。だが、それと反対に自分のものでない瞳からは涙がボロボロと流れ、止まりそうになかった。
2人の男性魔導士――カールとダリオが廊下へと飛び出していった。
アンバーはレイナに歩みより、その肩にそっと手を置いた。
ビクッと跳ね上がったレイナであったが、アンバーが心配そうに自分を覗き込んでいただけであった。
「無事で本当に良かった。よく、こんな遠い町まで……」
「……す、すいません」
まだ混乱が続いてるレイナは、訳も分からないまま、アンバーに謝ってしまった。
「いいえ、怒っているわけではありません。あなたに全てを説明せず、目を離した私にも責任があります」
廊下に出ていったダリオが戻ってきた。彼の手には、大きな鞄があった。
「アンバー! やはりオーガストはこの鞄にマリア王女の魂となる人形を入れていたようだ。マリア王女の肉体がこの宿にあることを確認してから、あのフランシスを呼んだのだと……」
「分かりました。私もすぐにそちらへ行きます。王子、しばし失礼いたします。レイナ、ここで待っていてください」
ジョセフに頭を下げたアンバーは、重たげな黒衣を翻し、ダリオたちの元へと向かった。
フランシスが生じさせた深紫色の靄は、今や完全に晴れていた。
階下にも人が戻ってきたようであり、複数の話し声がレイナにも聞こえてくる。
床にへたり込んだままのレイナは、恐る恐る顔を上げた。
自分を見下ろしているジョセフに、思わずビクンッと跳ね上がってしまった。だが、今のジョセフからは、レイナが当初に感じていた冷たい雰囲気はなぜか感じられなかった。
ジョセフがレイナに向かって、ゆっくりと口を開きかけたその時――
バタバタを勢いよく階段を駆け上がる音も聞こえたかと思うと、褐色の肌で筋肉隆々の青年――トレヴァーが部屋に飛び込んでのだ。
「ルーク! ディラン! 無事か!?」
剣を片手に持ったまま、トレヴァーは彼らに駆け寄ろうとした。
けれども、部屋の中のジョセフ王子にハッと気づいたトレヴァーは、即座にその場にバッと跪いた。
「ジョ、ジョセフ王子、いらっしゃるとは知りませず、ご無礼をいたしました。申し訳ございません」
床に膝を着き、深々と頭を下げるトレヴァーの姿に、ルークとディランも我に返り、その場に彼と同じく跪いた。その勢いで、彼らの髪や衣服の煤が宙を舞った。
「お嬢様、ご無事で良かったです!」
次にこの部屋に姿を見せたのは、ジェニーであった。彼女の隣では女将が青い顔で、この部屋の様子をうかがっていた。ジェニーは、ジョセフに気づくことなく、レイナにパタパタと駆け寄ってきた。
「私……途中で記憶が途切れていて、気がついたら、外に……」
「ごめんなさい、ジェニーさん、体は大丈夫ですか? 女将さんも……」
ジョセフを気にしつつも、レイナは巻き込んでしまったジェニーに小声で問う。
「ええ、ちょっと全身痛いかなってぐらいで……でも、私、野育ちだから頑丈なんです」
精一杯明るい声を自分に向かって出してくれたジェニーであるが、その唇はまだ震えていた。
荒らされた部屋の中をきょろきょろと見回したジェニーは、やっとジョセフに気づく。
ジョセフの姿に、ジェニーは稲妻に打たれたように言葉を失いただその場に立ちつくした。一瞬のうちに頬を朱にそめ、ジョセフに見惚れるしかなかった彼女に「ジェニー、そのお方はジョセフ王子だ」とトレヴァーが抑えた声を出す。
トレヴァーの言葉に、ジェニーも、そしてジェニーと同じくジョセフの高貴な美貌に見惚れていた女将も、スカートを両手で持ち、その場にひれ伏した。
「申し訳ございません。とんだご無礼を」
ほぼ同時に同じ言葉を発し深々と頭を下げる、ジェニーも女将もガクガクと震えていた。
恐怖ではなく、この上ない高貴な身分の者を前にした、緊張と畏敬で彼女たちは震えているのだ。身分というものが持つ強制力を目の当たりにしたレイナは困惑した。
――私も頭を下げるべきよね? だって、この肉体はマリア王女でも中にいる魂の私は河瀬レイナという、ただの一般人だもの……
レイナもジェニーたちの真似をしてドレスを両手で持ち、彼に頭を下げようとした時、ジョセフが口を開いた。
だが、ジョセフの視線は、レイナではなく、ルークたちに注がれていた。
「そこの者ども、迷惑をかけたな。このことは他言無用で頼むぞ」
「はっ!」
威厳あるその声に、ルークたちは声を揃えて答えた。依然として、彼らの頭は下げられたままであった。
次にジョセフは、女将とジェニーに向き直った。
「そして、女将よ。この宿にもできる限りのことはさせてもらう」
「そっ……そんな滅相もございません。こんなところに、お姿を見せていただいただけでも身に余る光栄でございます……」
女将のその声は、その豊満過ぎる肉体から発せられているとは思えないほど、か細く弱弱しかった。
その時だった。
突如、レイナの眼前に、またしても光がパアッと現れたのだ!
「きゃあああっ!」
驚いたレイナはズデンと尻餅をつき、後ずさった。逃げなければいけないはずなのに、腰を抜かし立ち上がることもできなかった。
まばゆい光の出現に、ジョセフはすぐさま剣を取り、身構えた。ルーク・ディラン・トレヴァーも自分の剣へとサッと手を伸ばし、ジェニーと女将は互いに手をとりあった。
「――ジョセフ王子、何が?!」
部屋の中で再び起こり始めた事態に気づいたアンバーたちも廊下より戻ってきた。
輝く”白い”光を見た彼女たちは、即座にジョセフとレイナの盾となるよう踊り出て身構えた。
――フランシスが戻ってきた?! それとも、また別の……?!
失禁してしまうほどの恐怖に包まれ動けなくなっているレイナであったが、そのまばゆい光が徐々に大きくなっていく様より目が離すことができなかった。
その光は、先ほどあのフランシスたちが消えていった漆黒の闇とは全く異なっていた。
美しく、どこか懐かしく、切なく、そして荘厳な思いを抱かせる光であったのだから。
レイナだけでなく、ここにいる誰もが同じ思いを抱いているのだろう。ジョセフでさえ、剣を構えているその手を下ろしてしまった。
光の中には、人がいた。いや、人には違いないが大人ではなくそこにいたのは、子供であった。年はまだ6~8才ぐらいの少年。レイナの元の世界の基準で言うと、小学校低学年ぐらいの1人の少年が光の中に佇んでいたのだ。
クルクルとした蜂蜜色の巻き毛。白くぷっくりとした輪郭のぽっぺたは頬紅をつけたかのような桃色。愛くるしいとしか形容できない、その顔立ちの中にある瞳は光輝く黄金であった。きらめく夜空の星と同じ輝きを持っていた。
いきなり現れた、外見からは邪心の欠片もうかがえず、まるで天使のようなこの少年に、誰もがあっけにとられていた。そう、アンバーですらも。
だが、少年は周りの様子など全く気にすることなく、床にストンと着地した。
少年の手には1枚の紙が握られていた。
キョロキョロと周りを見回した少年は、尻餅をついたままのレイナにハッと目を留めた。
「……えーと、うーんと。僕の瞳と同じ色の髪の毛と、夜空のお月様と同じ色の瞳のとっても綺麗なお姉さんに、この手紙を渡せって頼まれたんだ」
少年は、タタタ、と無邪気にレイナに駆け寄ってきた。
満面の笑みを浮かべた少年は、あっけにとられたままのレイナに向かって「はい」と手の内の手紙を差し出した。
レイナは恐る恐るそれを受け取る。ゴクリ、と飲み込んだ唾が乾いた喉に落ちていく。ジョセフやアンバーたちも固唾を飲んで見守っていた。
そこに書かれていたことは――
「……私、読めません」
おそらくこの世界の言葉であるだろう。英語の筆記体に似ているようであるも、それよりさらに複雑に絡みあっている文字がそこには羅列されていた。
この世界の言葉は通訳なしで、それこそレイナは日本語を喋っているつもりなのに通じている。だが、文字を読むことはさっぱりできなかった。
「貸せ」
ジョセフがレイナより手紙を受け取る。手紙を読んだジョセフの顔が一瞬、固まった。
「ジョセフ王子、一体そこには何と……」
ジョセフはアンバーに黙って、手紙を差し出した。
そこに書かれた文字を読んだアンバーも、ジョセフと同様に固まった。だが、固まったのち、手紙を持つ彼女の手が震え出した。
「まさか……これはアポストルからの啓示では……?」
「そのようだな……言い伝えには聞いていたが、まさか本当にこんなことが……」
額に手をやったジョセフは、アンバーの手からその手紙を取り、読み上げた。
「悪しき魔導士フランシスとの戦いは、アリスの町にある山の麓で。
そこに、今この部屋にいる平民、以下3名を同行させよ。
ルーク・ノア・ロビンソン
ディラン・ニール・ハドソン
トレヴァー・モーリス・ガルシア
彼らには使命がある。
彼らはやがて英雄となる。
私はすべてを知っている。
すでに、全ては紡がれているのだから」
手紙のなかに、自分たちの名前がそれもフルネームで書かれていたことに、ルークたちは驚愕した。そして、英雄となるということにも。
「なんで、俺たちの名前が知られているんだよ?! そもそも、アポストルって何だよ?」
「馬鹿。死してこの世界の精霊となった魔導士のことだよ。ニーナレーンの伝説とか、昔聞いたことあったろ」
「いいから、2人とも静かにしろ」
トレヴァーが小声で言葉を交わし合う、ルークとディランを諌めた。
わずかにザラザラとした手触りで、ジョセフの手にあったその手紙は徐々に色あせ始めた。
まるで、時の流れに消えゆくように、その手紙はボロボロと崩れゆき、やがて風となり――
「わあ、本当にお兄ちゃんの言ったとおりだ」
手紙を持ってきた少年は、長い睫に縁どられた黄金の瞳をクリクリッと動かし、嬉しそうに笑った。
「……どういうことですか?」
アンバーが、少年と同じ目線に腰をかがめ、優しく彼に問う。
「僕はお兄ちゃんに頼まれたんだよ。最初に金色の髪のとっても綺麗なお姉さんに手紙を渡せってね。でも、その手紙を読み上げるのは、お姉さんと同じ髪と瞳の色をした凛々しい男の人だって。で、男の人が手紙を読み上げた後、その手紙は消えてしまうんだってお兄ちゃんは言ってた」
少年の言葉に、ジョセフもアンバーも驚く。
「そのお兄ちゃんとは一体どなたなのです?」
「知らないお兄ちゃん。いっつも怒ったような顔してる、ちょっと怖いお兄ちゃんだよ」
天使のように愛らしい少年は、自分の存在がこの部屋にもたらしている緊張感に気づくことなく、無邪気なままであった。そして、少年は眼前にあるアンバーの顔をマジマジと見て言う。
「もしかして……お姉さんがアンバーっていう人?」
今度はアンバーが驚きの表情を見せる。
「僕、お兄ちゃんにもう1つ頼まれたことがあったんだ。最後にアンバーってお姉さんが僕に声をかけてくるから、伝えれくれってさ」
「何を伝えろと?」
さらに強い緊張感がこの場の空気に重ねられていく。レイナの心臓もドクン、と脈打った。
「……うーんとね、”必ず最後には悪しき者たちに勝つ。だから今は守るべきものを思って心強く進め”ってね」
少年は愛らしい笑みのまま、アンバーを真っ直ぐに見た。
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