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場所を特定すると弊害がありそうなので伏せるけれど、私が育った村にはかなり特殊な慣習があった。
今の日本では受け入れられないものが多いと思う。でもそのほとんどは、山あいの小さな村で生き残るために長年の経験で培われた生活の知恵であり、村を存続させるために、そうせざるを得ない理由があったのだと理解してほしい。
最も批判されそうなものを書いておこう。あの村では、人権という概念はほぼ存在しなかった。村人はすべからく村を存続、繁栄させるために一生涯尽力すべきとされ、さながら働きアリのごとき存在であった。
村を繁栄させるためには家が盤石でなければならない。村には九軒の屋敷があり、その数は二百五十年前から変わっていないと教えられてきた。
家を潰すことは大罪であったから、どの家も跡取りを産み育てることに熱心だった。そのおかげで各家は代々長男によって受け継がれ、昭和の時代まで軒数を守ってこられたのだ。
ふと疑問に思ったのは、数えで十歳の秋だ。減らないのは分かるが、なぜ増えることがないのだろうと。
どの家にも少なくとも五、六人の子どもがいた。本家を継ぐのが長男、女子は村外へ嫁に出すという慣習は他の土地と同じであったから、それ以外の男子が分家となり村に家が増えても良いはずではないか。
私はその疑問を、世話をしてくれていた四郎に聞いてみた。
「この村の男で家族を持てるのは、長男だけなんだよ。長男以外、結婚は許されないからね」
四郎は膝に乗せた私に捥いだあけびの実を渡し、柔らかな声でそう答えた。
「許されないって、誰に?」
「村に、かな。神社も役所も、手続きはしてくれないだろうね」
「どうして? 誰か困るの?」
「そりゃあ困るだろう。家のために働く者がいなくなる」
あけびの実は食べやすいように彼が割ってくれていた。私は中の白い果肉を指でほじり、ぷるぷるしたそれを口に運んだ。
家のために働く者なら、四郎たち「家おじ」がいるじゃないか。そう言おうとしたが、甘いあけびの実を堪能するうちに忘れてしまった。
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