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雨に濡れ色を変えてゆく平成の町を、私は窓ガラスごしに眺めていた。天の恵みは、時代を超えても変わらない。
私は十八歳で村を出て、隣県に嫁いだ。その後、二人の弟も幼馴染たちも家おじとなり、それぞれよく働いた。兄のため、家のため、そして、村の繁栄のために。
その村はもう、ダムの底に沈んだ。
家長たちは立ち退きに断固反対したが、そもそも時代遅れの因習と既得権益に囚われていた彼らが、お上に逆らえるはずもない。九軒の屋敷は村の施設やあけびの森ごと水の底に沈められ、村人は散り散りになった。
村の外に嫁いだ姉たちも私も、人並みには幸せになったと思う。でも、守るべきものを失い自由になったはずの家おじたちのその後の人生は、語れるようなものではなかったようだ。ときおり我が家に金の無心に来る末の弟以外、今では誰の消息も分からない。
四郎は森で死んでよかったのかもしれない。近ごろ私はそう思うようになった。
あの時、私は彼を斜め後ろに突き飛ばした。そこに底なし沼があることを知っていたからだ。彼が私の告白を受け入れなければそうするつもりで、その位置と深さを予め確認してあった。
自分が謀ったこととはいえ、四郎が沼に沈んでいくのを見るのはつらく悲しかった。
愛しい彼にもう会えなくなる。優しい手も、柔らかな唇も、失われてしまう。
生きながら泥水に埋まるのは苦しかろう。
それでもあの時、底なし沼より暗い私の心の深淵に、これで四郎を私だけのものにできるという甘い喜びがあった。
彼は村のみんなを愛し、誰のことも特別に愛してはいなかった。来る者は拒まず、去る者は追わず。そういう生き方しかできない男を、私はどうしても自分だけのものにしたかったのだ。
幼い独占欲と策謀に、彼は気づいていただろうか。
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