古い家の日記6

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まあ、少なからず心のある我々は、思いやりという薄い壁を挟み日々を送っているわけだが、それは我々が同種であり、同族であり、感情があり、知能があるからだろう。 生命体である他種には人それぞれが別の感情を抱く。 ペットは溺愛するが、ダニや蜘蛛、ゴキブリは抹殺する。 花は愛でるが、雑草は踏み潰す。 逆もいるだろうし、どちらでもない人もいる。 それらには感情があってそのコロニーでは我々と大差ない。 しかし人間様は一番強いから、見つかったら殺されるし、従順にもなる。 では生命体ではない場合はどうだろうか。 わかりにくく言うと無機物だ。 今座っている椅子や床は、消費するシャーペンの芯は、着ている服は。 感情がない彼らに選択の余地はない。 されるがままでそこにある。 動くことも喋ることも出来ない。 もしも無機物に感情があったらどうだろうか。 床は痛いと嘆くだろうか。 シャーペンの芯は熱いと嘆くだろうか。 服は臭いと嘆くだろうか。 これは休み時間だ。 人生においての無駄は休む事に他ない。 だから今はどんな無駄も許される。 考えるべき対象を無機物にしたって許される。 語ろうか。 私の持論に過ぎないが、過ぎない程度に宿そうか。
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