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改札を出た所で、彼女は立ち止まる。染みの付いた小さなバスターミナル。手頃なベンチを探すと、彼女は腰を下ろした。続いて男も隣に座り、口を開く。
「タクシーですか?」
「そうだけど。電車で1時間の距離だもの」
「こんな時間にこんな田舎で……待っていたら日が暮れちゃう」
「もうとっくに真夜中だけどね」
あえて皮肉っぽく言ってみる。それもそうか、と男は呑気に笑う。本当に分かっているのか。男に冷たい視線を送りながら鞄をまさぐり、財布を取り出す。開いた瞬間、彼女は天を仰いだ。
「──────あーーー、さいあく」
「どうしたんです」
「お金がない」
左手に出した数枚の小銭をジャラジャラしてみせる。いや、もはやジャラジャラとも言わない量なのだが。
「あーーーもう!!なんでお札全部チャージしちゃったのよ!ばかばかばかぁ!」
ICカードを恨めしげに握り潰す。可憐な見かけによらず案外乱暴なようだ。あーあー折れちゃう、と男はそれを取り上げる。それを差し出しながら宥めるように言う。
「まあ、持っていたところでタクシーなんて通りませんから…」
男なりの励ましなのだろうが、全く救いにならない。言いながら赤い麻の葉模様のがま口を覗き込んでいた男は1枚の100円玉を取り出し、苦い顔をする。彼も所持金は無に等しいようだ。彼女はパチンと手を合わせる。
「そうだ、奏太に来てもらおう」
「ソウタとは?」
「ん、幼なじみ。今日は朝までオールナイトとか言ってたからまだ起きてる…と願いたい」
「お仕事ですか」
「いや、ゲーム」
言いながらも彼女の視線は手元に向いている。一縷の望みをかけてスマホを叩くが、うんともすんとも言わない。落とした衝撃で壊れたことは砕け散った画面から容易に想像出来るが、諦めきれないのか何度も電源を入れようとする。
「完全に壊れてるみたいですねぇ」
「……」
「そもそも、あの電車を見逃さなければ良かったのに─────」
男が言う。
「…会いたくない人が乗ってたの」
「会いたくない人?」
「元彼。乗ってただけならいいのよ、どうせもう他人だし。あいつ、私に微笑んできたの。小さく手まで振ってさ。何股もして、別れ際もあんな振り方したクセにまだ友達だと思ってるみたい。もう、どこまで都合が良いんだか!あーーもうこうなったのも全部あいつのせいだ!」
「本人に言ってやれば良かったのに」
「……言えないわよ」
「どうしてです」
「ずっとずっと好きだったんだもの。彼のあの笑顔が好きだったのに。ずっとずっと信じてたのに。ようやく区切りをつけたって時にまた人の気持ちを振り回して、とんだ最低野郎よ─────」
いきなり身の上話を聞かされ八つ当たりされるなんて男もとんだとばっちりである。暫く黙って顎をさすっていた男が、聞こえるか聞こえないか分からない声で呟く。
「……その人が好きなんですね」
同情でもなく、繕ったようでもなく。男の一言で彼女の中の何かがほろりと崩れた。ああ、そうだ、好きなんだ。涙が止めどなく溢れてくるが、辺りが真っ暗なのが幸いした。男に泣いているのが気付かれるのは何だか居心地が悪い。喉の奥で押し殺した嗚咽が涙となって溢れてくる。
彼女は空を仰ぐ。ぼやけた視界の中を街灯が濃紺にぽわんと浮かんでいる。それをぼんやりと眺めていると、横から男の視線を感じる。
「……何よ」
「いえ、向こうに」
すっと細い指で指す方向を見ると、かすかに光る箱が見えた。
「電話ボックス…」
「みたいですねぇ」
彼女は手元の小銭を弄る。これだけあれば電話をかけるには充分だ。
「良かったですね。助けが呼べますよ」
「そうね!じゃあ早速……ってスマホの電話帳がないとどこにもかけられないわ」
「覚えてないんですか」
「逆に覚えてる人いるの?」
あっけらかんと答える彼女。
「さすが現代っ子…」
そういう男は何歳なのだろう。暗闇のせいでよく見えないが、話し方からきっと20代の自分よりは歳上なのだろう、と彼女は推測する。
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